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お化粧のように

   

お化粧ほど、その人らしさが出るものってないですよね。

基礎化粧品ひとつとっても、オールインワンタイプを使う方もいれば、化粧水・乳液・オイル・美容液・クリームにアイクリームやリップクリーム、スペシャルケアにマッサージやパックを加えると、それぞれにとってどこまでが【当然おこなうこと】なのかなんて本当に千差万別です。

メイクの手順もそうです。

基礎ケアの上に、日焼け止めを塗って、ベースを塗って、ファンデーションをつけて、お粉を使って(粉タイプのファンデーションの人もいますね)、チーク、アイシャドウ、アイライン、アイブロウ、人によっては付け睫して、もしくはビューラーしてマスカラ。

この間、電車の中でメイクをされている方がいらして、その一部始終を見物する機会がありました。スッピンからフルメイクが出来上がるまでを見ることができました。今日は、その方の常識非常識をどうこう言いたいわけではありません。ただ、フルメイクまでの道程がこんなにも自分と違うのかと別の意味で衝撃でした。使う道具はもちろん、その手順もやり方も私とはまるで違ったからです。

それもそのはず。人の顔はひとつとして同じ顔がないわけですから、その人の顔の形に始まり、目、鼻、口、眉、髪型や髪色、もちろん年齢によっても違いますし、時には着ている服装によってもメイクって少しずつ変わるものだと思うのです。(私はそこまで変えられませんが😅)ですから、年齢だけでも自ずと違ってくるし、顔の各パーツやTPOに合わせたら幾千、幾万と違いができてくるわけです。

一口にお化粧といっても、とてもとても一言ではカバーしきれないほどの手順があり、セオリーがあり、個々人のやり方がありますし、好みもあります。それを自分と違うからって『これをしないなんておかしい』『手順が違う』なんて言わないですよね。それぞれがそれぞれの好みと自分のお顔に合った手順を求めその人らしいメイクをして生活を、そして人生を彩っているのですから。これが常識!って他人に押し付けたりしません。何が常識かもわかんないですしね。個性や好みってこういうふうに尊重し合って大事にされるものだと思うし、そうやって自分らしい彩りを作っていくのです。

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さて、障害者の中にもいろんな人がいますのでそれこそ様々なんですが、一般的に障害者の希望が『ワガママだ』と誤解されてしまう様々なことの中には、ちょっとだけみなさまに知って欲しいな、想像して欲しいな、と思うことが隠れていたりします。もちろんそれを知っても『贅沢言うなよ』って思うことはそう思ってくださっていいですから、少しだけ耳を傾けていただけますか?

例えば、車椅子利用の障害者が一人で電車に乗って出かけることって最近は随分できるようになりました。駅では駅員さんがスロープを持ってきて乗せてくださいます。そして、降りる駅に前もって連絡してくださっているので降りる時にもホームに駅員さんがいてスロープをかけて降ろしてくださいます。ですが、彼らには実は『途中下車』の権利がありません(2020年初春現在)。乗った電車の中で用事を思い出し、『ここで降りたい』って思っても、決まった駅にしか迎えが来ていないので降りることができないのです。

途中下車したいっていう希望を持つことはそんなに『ワガママ』でしょうか。

昨今、スマホひとつあれば乗り換え検索でき、経路を選び、新幹線や飛行機のチケットも取れ、搭乗手続きまでできたりします。宿も取れるし買い物もできる。宅配便の荷物の受け取り場所を変更したり、タクシーも呼べます。おそらく障害者が途中下車したいっていう望みも、近い将来スマホ一つでなんだか解決しそうです。そう、特別なことをしなくてもきっともう、技術はあるのです。でも、どこかで『人の手を煩わせていながらそんなの贅沢だ』っていう思い、皆さんにはないでしょうか?障害者の側にも、そこまで社会に求めては我侭だという思いはないでしょうか?

また、重度の障害児を生んだ親に対し『これだけ手のかかる子を生んだのだから親に自由なんてなくていいんだよ』『こういう子の親は髪振り乱して頑張ってこそ』『税金使って息抜きしようと思うんじゃないよ』っていう価値観は本当にないでしょうか?

親がお洒落したりお出かけしたり気分転換の趣味に興じたりすることを非難する気持ちは本当にないでしょうか?障害児に限らず、手のかかる乳幼児期の子どもがいる親御さんは、みんなそういった世間の目に長い間晒されてきたのではないでしょうか?

私は障害者の親という当事者ですが、実は自分自身に対しそういう思いがありました。自分がまず必死に頑張ってこそ世の中に甘えることをやっと許してもらえるんだっていう思いが。

なっちが10歳くらいまではずっと、『私にも自由が欲しい』と思うことにどこかで罪悪感を抱いていました。

でも、本当はおかしいですよね、そんなこと。

障害福祉の話をすると二言目には【税金】ってワードが出てくるんですけど、健常な皆さんのために用意されているシステム・公的なものも多くは税金によるものだし、障害を持っているっていうだけで健常者の皆さんの使える公的システムを逆に利用できないことも多いわけですから、代替サービスを使わせていただいてもいいわけです。今思えば何を遠慮することがあるんだろうと思うわけですが、私自身若い頃は、身を小さくして皆様に後ろ指さされないように生きなきゃいけないと思って罪悪感とのせめぎ合いでした。

当事者でさえこんなもんです。身近にマイノリティのいない方々は尚更ではないでしょうか。その生活を想像できず、贅沢言うな!って思っちゃうとしても不思議はありません。

でも、親だって時には気分転換したいし、夫との時間を楽しみたいし。映画やお芝居も見たいし、コンサートにも行きたい。習い事をしたかったり、自分の生きている価値を見出せるような職にもつきたい。アートに興じたり、人付き合いに癒されたり、時には美味しいものを食べたり楽しいお酒を飲んだりしたいのです。

むしろ、そういう息抜きの時間や心から笑顔になれる時間を豊かに過ごすことで、また、ちょっと大変な日々も元気に過ごすことができたりするわけです。

私は、心の中では罪悪感だらけでしたが、それでも、もしも私がなっちだったら、母親の一度きりの人生が自分のために必死に頑張るばっかりだったってなっちのせいにされたらたまらないだろうから、と正当化しつつ(^^;自分の時間を比較的大切にしてきました。

やりたいことはできるだけ我慢せずに目一杯させてもらいました。もちろん、私がそんなふうに自由にできたのは家族や周囲の人たちの理解があってこそです。

ですが、20年も経ちますと怪我の功名というか、結果論というか💦そのお陰で、笑顔の多い子育てになった気がするのです。だからノイローゼにもならず、虐待もしなくて済んだのかもしれません。

 だからこそ、こんなことに罪悪感を抱かなくてよくなれば世のお母さんは助かるだろうな、笑顔になれていいのにな、って思うし、親が抱え込まなくて済むための児童福祉、家族がギリギリまでがんばらなくても助けて認めてもらえる優しい社会になれば救われる人は多いだろうな、そんな世の中になったらいいな、と思うのです。

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お化粧の彩りって本当に多種多様です。一人として同じやり方はないかもしれません。好みややり方にはこだわりがあって、それこそが個性です。

でも、お化粧って生きていく上で必要不可欠なことではありません。命を維持するために必要なことではないので言っちゃえば贅沢モノです。

でも、他人に対して「目のお化粧なんてアイシャドウだけでいいんだよ。アイライナーなんて贅沢だ」なんて言いませんよね。「化粧水だけでいい、クリームまでなんて贅沢だ」とも言いません。

 

障害の有無に関係なく、我侭や贅沢との境界線を個人の価値観だけで判断することはとても難しいことです。時には自身の常識と鬩ぎ合い衝突する思いもあるでしょう。

でも、あまり角張った考え方をせずに、お化粧の自由くらいの気軽さで、みんなが『自分のしたいこと』を語れるようになればいいのにな、その人らしく生き方をデザインできればいいのにな、そしてその生き方に対し善し悪しを語ることなく、自然で穏やかな気持ちでそっと耳を傾けられる世の中になったらいいのにな、と。

《優しい思いや笑顔はきっとお隣の人も笑顔にする》そう思うのです💕

 

 

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