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「夢見る羊飼い」とは

こんばんは!カモミールです。

以前の投稿からだいぶ時間が経ってしまいました。前回の投稿から今までにいろいろなことがあったのですが、神様が現実を生きていくことに集中しなさいと言われているような気がして、とにかくひたすら今やるべきことに向き合っていたら、なかなか書く機会を失っていました。でも面白いもので、神様はまたこうやって僕にブログを書き始めることを再開させる機会と境遇を与えてくださったこと、本当に感謝ですし驚きだなと感じています。

今日は僕のノートのタイトルでもある「夢見る羊飼い」についてお話ししたいと思います。

これは僕のノートの中でおそらくとても大事な話の一つになるのではないかと思います。

神様は、この話を今の今までとっておいて、ブログを始めたときにはまだ書く機会が与えられず、今このタイミングで書けているのも、とても面白いなと思いますが、神様は本当に最善の時に最善のチャンスを与えてくださるのだなと心から感じることができるなと思います。


さて、本題です。今日呟いたツイートから見ていきたいと思います。

夢見る羊飼いというのは、僕が理想とする生き方のモデルです。実際に「誰が」そのような生き方をした、というものではありませんが、今までの先人たちの生き方や生き様を集めて、エッセンスを抽出して、こんなふうな生き方をしていきたい、というモデルとして作り上げた考え方がこの「夢見る羊飼い」です。

ここで大切な注意点が一つ。「羊飼い」という言葉はクリスチャンにとっては「イエス様」を連想させる言葉ですが、僕が使っている「夢見る羊飼い」はイエス様のことではありません。ダビデやモーセが従事していた職業としての羊飼いです。

『モーセは、ミディアンの祭司、しゅうとイテロの羊を飼っていた。』
(出エジプト3:1)

「羊飼い」という言葉はキリスト教でイエス様を表す言葉なのでそういった意味でも、夢見る羊飼いという言葉自体にイエス様が現れているという意味では、クリスチャン的とも言えるのかもしれませんね。ふと思った余談です(笑)


夢を見て生きる、ということは今の社会において大事だとされています。「少年よ。大志に抱け。」のクラーク博士の言葉は、日本人であれば誰もが聞く言葉なのではないかと思います。

やりたいことを見つける。実現したいものを探す。そして夢を持ち、人生に希望を持つ。その生き方こそ、私たちが未来を希望を持って生きていく生き方です。なぜ勉強するのか。なぜ仕事を頑張るのか。それは叶えたい夢を叶えるため、といってもいいのではないかと思います。

夢について、私の大好きな名言があります。ディズニーという偉大なアニメーションを作り、今では人々に感動と夢を与えるエンターテイメントを作り上げたウォルト・ディズニーの言葉です。

If you can dream it, you can do it.
(夢を見ることができれば、叶えることができる。)
ウォルト・ディズニー

夢を見ることができれば、叶えることができる。これはつまり、考えることができない、思いもつかないことは現実にすることはできないが、考えられることは必ず実現することができるということです。電気で灯りを灯す。人が空を飛ぶ。宇宙旅行をする。夢を見てきた人たちは、それを叶えてきたのです。


ではどうすれば、夢を叶えられるのでしょうか?ここがとても大事な部分です。ディズニーは、夢を叶えることができる、とまでは言っていますがどうすればできるということは書いてありません。

僕は大学生の頃、真剣に考えていたことがあります。それは、どうすれば人は成功できるのだろうか。どうすれば夢を叶えられるのだろうか、ということです。真剣に考え、沢山の本を読み、考えました。そして僕が行き着いた最終的な結論は聖書にある言葉だったのです。それは次のみことばです。

イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに言います。もし、からし種ほどの信仰があるなら、この山に『ここからあそこに移れ』と言えば移ります。あなたがたにできないことは何もありません。」
マタイの福音書 17章20節

僕はこのみことばに出会った時、人の成功、夢を叶えるというのは神がなさるのだとはっきりと思いました。そして、夢が叶えられる可能性を最も上げることができるかもしれないこの神を信じよう、と思い信仰の道に入ったのです。今考えればとても打算的な思いですね(笑)

僕はこの神を信じて、僕の夢は神が叶えてくださると信じ、十数年の信仰生活を歩んできました。時にボロボロになるくらい砕かれることはありましたが、振り返ってみれば、当時の僕からは考えられないくらい多くの成長があり、また神様を信じていなければ決して実現することができなかった多くのことを実現してきました。だからこそ、神の偉大さはすごいですし、その時よりもなお確信を持って、夢を叶えるのは神だと言えることができるのではないかと思います。


神を信じれば何でも夢が叶うのでしょうか?そうではありません。神は、私たち一人一人に神ご自身の計画を持っていらっしゃいます。そして神は、それぞれに召しを与えて、それぞれに神がご計画された最善を私たちに成してくださるのです。それは、私たちが自分たちで決めて夢を叶えるのではなく、神様が夢を叶えるのだというところにしっかりと立つ必要があるのです。

例を挙げて説明したいと思います。最近、知らない人はいない有名なYoutuberのヒカキンさんがいます。この方は、10年ほど前からYoutubeを始め、今では日本中で有名になるくらいの大物Youtuberになりました。今ではたくさんのお金を稼ぐ夢を叶えた若者の1人です。では、なぜ彼が成功したのでしょうか?

もちろんたくさんの理由はあるでしょう。Youtubeを始めたタイミングが良かった。面白いコンテンツを考えついた。人柄が良かった。Youtubeの仕事を人一倍頑張った。たくさんあるでしょう。でも、このヒカキンさんがもしあと5年、10年早く生まれていたら、、、彼は果たしてここまで成功していたのでしょうか?

もしかしたら彼以上に素質がある人がいるかもしれない。人気者になれる可能性がある人がいるかもしれない。彼以上に頑張れる人がいるかもしれない。しかし、彼がその夢を叶えられた。それはまさに神の選びという他ないのではないでしょうか。恐らく彼はクリスチャンではありませんが、クリスチャンでない人にも神は選びその計画をもたらすのだと思います。

その人にしか見れない、抱けない夢があるのではないかと思っています。夢を見るという思いは本当に人それぞれです。叶えたいという思いは本当に人によって様々です。ある人はピアニストとして人を感動させたい。ある人はプロテニスプレイヤーとして世界の強豪と戦いたい。ある人は起業して事業を大きくしたい。本当に人それぞれです。そして具体的な想いや動機、思い描いている内容は本当に人それぞれです。その思いを描いたのはもちろんその人が思い描いたのだと思います。しかし、その奥側では実はその思いさえも本当は神様から与えられたものなのではないかとも思うのです。つまり、本当の夢は神からくるのだということです。

神から来る夢は必ず神が叶えてくださるのだと思います。モーセも燃える芝で神様から召命を受けてから、羊飼いから民を導くリーダーになりました。その人がどう実現すればいいのか想像もつかないようなことを実現するのが神様なのです。

では、モーセは燃える芝で召命を受けるまで彼は何をしていれば良かったのでしょうか?羊飼いの時にどのような準備をしていれば、その実現の準備となったのでしょうか?答えは、何の準備をする必要もなかったのだと思います。

私たちは夢を描いた時に陥りやすいことは、自分たちであれこれ思いや計画を立ててしまおうとする所にあるのだと思います。ヒカキンさんは、彼がここまでの成功を収めることを果たして始めた時から思いついていたでしょうか?計画していたでしょうか?おそらく彼は、彼がその時できることを精一杯努力していたら、気づいたらここまで成功していたのではないかと思います。もし彼が、当時思いつく限りで計画を立ててそれを達成するために行動していたのであれば、もしかしたらここまで成功することはなかったのだと思うのです。なぜなら計画を立てる段階では予測不可能なことはたくさんあったのですから。

では、私たちが夢を叶えるためにすべきことは何か?それは、神を信じ、この方こそ夢を実現してくださる神だと信じ、この方に信頼を置いて、あとは今ある現実を精一杯頑張ることなのだと思います。つまり、待ち望む、ということです。

しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。
イザヤ書 40章31節

主に期待し、待ち望むことこそ、私たちが夢を叶える上でできる最善なのだと思います。もちろん、進路等を決めていく上で直近迫られている決断をすることは大切ですしある程度予測して判断し決断することは大事です。しかし、大枠、そして最終的なゴールに向かっては、あれこれと自分でやろうとするのではなく、神様が叶えてくださると信じて、今できることをただ頑張るだけでいいのだと思います。

「少年よ。大志に抱け。」少年と言わず、老若男女誰しもが大きな夢を見るのはいいことです。そして夢が大きければ多いほど、現実を見る時に、夢と現実の差に打ちひしがれることがあるかもしれません。しかし、落胆することはありません!神様にできないことはないのですから。必ず、叶えられるでしょう。

最後に、僕が「夢見る羊飼い」と名づけるきっかけとなった本のある一文を紹介します。キリスト教からの自己啓発書として有名な「As A Man Thinketh」(ジェームスアレン著)から、この文章を抜粋したいと思います。

このことについて、スタントン・カークハム・デイヴィスは素晴らしい言葉を書いています。
「あなたは今、帳簿をつけているかもしれない。
やがてあなたは、
長い間、理想の妨げになっていたドアから出て、
気がつくと聴衆の前にいることだろう。
ペンに耳をはさみ、
インクのシミを指につけたままで・・・
すると、ただちに直感がほとばしり出ることだろう。
あなたはいま、羊を追っているかもしれない。
そして、やがて町へ出てみて、
そこの様子に驚くかもしれない。
そこで聖霊の大胆な導きによって、
偉大なる主人の門を叩くことになる。
そして時が過ぎると、その主人は言うだろう。
「もうこれ以上何も教えることはない」と。
その時から、あなたは主人になる。
ついこの間まで羊を追いながら、
大きなことを夢見ていたあなたが、である。

やがてあなたはノコギリとカンナを下に置いて、
この世の改革にとりかかることだろう」

大きな夢を描きながら、羊を追いかける。今はそんな簡単な仕事をしているかもしれない私たちは、いつか大きな夢を成し遂げることができる。神様によって。

モーセ自身が夢を持っていたのかはわかりません。しかし、きっと想像するに彼も神に用いられることを夢見ていたことと思います。

夢を見れば叶えることができる。そして、夢見る羊飼いとして、神に求め、夢は叶えられると信じる信仰を持って、今できることを精一杯頑張る。そういった生き方を、神様は大きく祝福してくれるのではないかと強く信じています。

これが、夢見る羊飼いとしての生き方です。




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