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#85カラオケで学んだ空気を読む息苦しさ。歌っていると他校の生徒が乱入して歌うという地域でした。友達付き合いが得意じゃないので、居留守・電話線抜いてでも避けたいことが色々ありました(笑)(貧困幼少期からNPO代表理事までを振り返る)

面接を受けて二次面接の連絡を頂きました。自分の命を使う仕事として、多方面でも縁を紡ぎたい会社ですので、広義で縁を繋げると良いなと思っています。相手に何で貢献できるのか?を考えて行動をしようと思っています。

カラオケブーム到来。西はジャンカラ、東はうたひろ。

カラオケブームが到来して、小学生高学年あたりからカラオケに出入りするようになり、ジャンボカラオケ広場という場が遊び場になりました。

全く話変わりますが、ジャンボカラオケ広場(略称ジャンカラ・本社京都)を当たり前のように見てきた中で、東京に来て歌広場(通称うたひろ・本社東京)のロゴをみて「これは系列なの!?」と思った人は私だけじゃないと思います。
ちなみにこの質問を何人かにして、「ジャンボカラオケ広場」で何度か笑われた私です。いや・・・ほんまにそんな名前なんだって(笑)

ジャンカラロゴ
歌広場のロゴ

当時はSPEED・安室奈美恵・華原朋美・MAX(敬称略)などを歌っていたような気がします。

今もそうなのか、あの時がそうだったのか、90年代・・・特攻服を先輩から引き継いでいる生徒がいました(笑)そのような人たちがバイブルソングとしていたのは尾崎豊さん。

私は特攻服というものが良くわかっていませんでしたが、”天使なんかじゃない(矢沢あいさんの漫画)”のヒーローの晃が来ている姿で知りました。服が持つ重みというのはわかっていませんでしたが、先輩から引き継ぐというのはとても重んじる伝統だったようです。今は特攻服とか死語なのかしら?

中学校はある程度縄張りみたいなものがあり、学区外はトラブルが発生することもありました。先生から他校の生徒に絡まれた時の方法が連絡されていたような気がしますが、忘れました。

ある日カラオケで歌っていると・・・他校の生徒が覗いて乱入してきました。今思うとそこの店員何しているねん?という事なのですが、不良風味の方が店員でした(笑)漫画から出てくるような世界があったんですよね。

カツアゲされた過去もある私

知らない中学生が歌うのを聞きながら、あぁもう嫌だなぁと思った記憶があります。骨粗しょう症の友人関係の付き合いで行っていたカラオケは、そんな乱入があっても逆らう人は誰もいないものなんですよね。

煙草デビューしてた周り

今なら即店員に連絡ですし、110番でもいいです。
我慢する理由はありません。

・・・が当時は我慢文化でした(涙)

それから私はそのカラオケに行かなくなりました。理由はカラオケって結構色んな考えることがあったのですよね。

・歌の順番の公平性(みんな歌えているのか?とか)
・歌っている人に合わせた無駄な横揺れ
・盛上げを考えた選曲(流れと空気の作り方のセンス問われます)
 私は自分が歌いたい歌は、山口百恵さんとか森昌子さんとかだったので、どうもずれていたのですよね。流行を追えずかつ、テレビを消音でみていたので・・

こういうことを考えるのがめんどくさくて、カラオケに誘われたら何かしらを理由に断ったり、居留守を使ったり、電話線抜いたりして自己防衛していました(笑)

われながら、THE陰気!

仲間外れが定期的に来る骨粗しょう症的な友達ごっこな関係

社会人になって二次会のスナックなどで歌う時も先輩が何を歌っているのか?とかかなり気にしていました(笑)今は図太くなって、周りの空気を大切にするより、自分が好きな歌を選ぶようになりましたが(いいんかいな・・)

子供の学区や学校にこだわる親も同年代に多いですが、個人的には学区が大事なのではなくて、その子がどんなポジションを築くのかなのだろなと思っています。ヒエラルキーで虐げられた経験は今に活きているな思います。

幼少期に偉そうだった人が、大人になってあれ?ってことが往々にあるのです。人生は面白いなぁと思います。

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ささいなことで人生は変わる! その一歩は自分が踏み出すこと。
見て下さったあなたの何かを踏み出す
キッカケになればと思って綴っています。


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