とおくのまち 6 女装ルーム

 就職して、社会人になった。
社会はバブル崩壊の直後で、私も厳しい毎日に押しつぶされながら、真っ当な日々を過ごしていた。
営業の仕事をしていたので、その日のノルマをこなすことに必死であったのだ。過度のストレスだったのか、髪の毛は日増しに薄くなっていき、年齢とともに体も大きくがっちりと男らしくなっていった。

 子供の頃に抱いた女の子になりたいという夢は叶わないだろうと諦め、時だけが無意味に過ぎていったのだ。もう、自分自身が女になることは叶わないだろうと思っていたからなのか、

ファッション雑誌に、その夢を託すようになっていた。
CanCam、Ray そんな雑誌をたくさん集めていた。わたしが募らせた想いの大きさに比例するのだろう。専属モデルや読者モデルに自分のなりたかった姿を重ねて。
このきれいなお姉さんが自分の姿だったら……と、ため息をついていた。

 
そんなある日、女装ルームに行ってみようと思い、新大阪にある女装ルームの門を叩く。かつて、女装会館エリザベス大阪が在った場所。店名や経営は変わってしまっていた。

 

 実は、半年後くらいに結婚が決まっていたので、それまでに、もののためしにと思い行ってみたのですが、今まで自分がしてきたいい加減な女装を根底から打ち崩すほど感動したのです。

 漫画でよく女の子になった少年が鏡をみてつぶやくあのセリフ、
「こ、これが……ボク?」というあれ。
スタッフさんのメイクがものすごく上手くて、鏡のなかにうつる女の子がものすごく女の子らしくて可愛らしく思えた。

 今まで、自分でも何度も化粧をしたこともあったけれど、やっぱり男性が女装したらこんなものだろうという程度だったのに、化粧でこんなに変われるなんて驚きだった。

「魔法みたい……」とうとう女の子になることができたと泣きそうになった。ここでは、みんな名前を決めるみたいで、
「お名前は?」
とメイクのスタッフさんに尋ねられたけれど、わたしにまだ名前はなかった。

 とっさの思い付きで、『れいか』と名乗った。私は、マンガや小説を書くのが好きだったので自作の小説のヒロインの名前を女装名として使うことにした。
メイクさんに漫画みたいな名前といわれた。現在のようなキラキラネームもない時代だった、ふつうの女性の名前は〇子や〇美なんかが一般的だったなあ。

  その時、もう一人の自分が誕生したことを確信していた。いや、誕生ではない、封印が解かれたというべきかもしれない。
ずっと仮の男の自分の中に閉じ込められてきた本当の自分が、その姿をあらわしたかのように。

 現実には、その半年後くらいに、結婚することが決まっていたのだから。あまり気の進まない結婚とはいえ、結婚後は女装をきっぱり止めようと覚悟した。
だから、逆に、いつも女装する時は、「今日が最後かもしれない」と思っていたからか、真剣勝負みたいな感じでとても気合いが入っていたと思う。

 

 社会人になったこと、そして結婚。
それは、「わたし」にとって、家族との葛藤の始まりであった。

 その頃の私は、週末を婚約者とのデートや結婚式の準備に費やすため、空いた日は必ず女装に充てた。
まるで世界の終わりが来るかのような気分で過ごした。

 相手のことが好きとか嫌いとか、そういうことではなく、女性に興味がなかった。
結婚にしてみても、私が妻をもらうというよりは、いつか自分自身が真っ白なウェーディングドレスをまとって花嫁になるのだという妄想のほうがリアルに想えたくらいだ。
昭和の頃の幼い女の子の夢は、お嫁さんというのが定番だった。
そして、女の子になりたかったわたしも、実はそんな風に思っていたこともある。

 現実へのささやかな抵抗だっのかもしれない。12月のクリスマスシーズンの街、都会のお洒落な写真館に行ってウェーディングドレスを着てみた。

 年明けに結婚式を控えていた年末の冬、女装ルームでメイクしてもらって、そのまま帰り、心斎橋にあった変身写真館へと向かった。その日の服装は、白いスーツだった。

 結婚式をイメージしていたからか。そのまま、その日は、家に帰らなかった。

一応、親には適当な理由をつけて電話で連絡をしたが、小さな家出のひとつだった。
むしろ、この時、そのまま消えてしまっていたほうが、だれも巻き込まなくてよかったのかもしれない。今にして思えばだけど。

 「このままでいたい。そして、ずっと女として暮らしてみたい」そう思った。
白いスーツに白いパンプス、長い黒髪。ホテルの姿見に映った姿を確認してから、外へ散歩に出た。街もクリスマスの装いをしていて美しかった。

イブにはまだ数日早い夜ではあったが、街路樹は電気仕掛けの金色のつぼみをクリスマスツリーのように点滅させていた。

アメリカ村あたりの洋食屋さんでちょっと豪華なディナーを食べに行った。それくらいで満足したのか、次の日にはふつうに家に戻った。

 家族、世間、それらは、この私を囲いこむ目に見えない檻だった。親たちは、いつも私を形式に当てはめようとしてきた。それなりの線路を引いて、その上を走らせようとする。

 以前から決めていたとおり、女装を止めることにした。服や靴など思い入れのある物を処分するときは哀しかった。貸しロッカーに隠し、残そうかとも考えはしたのだが、この時、吹っ切らないと、後はない。

 いよいよ、本当の結婚式も目の前に迫っていた。
最後に女装ルームを訪れたとき、新年も直前であり、私も季節柄、振袖を着てみた。
着物に興味があったわけではなかったが、ウェーディングドレスと同じで一度は着てみたいと憧れの衣装であった。

 出来上がった写真をメイクさんから手渡されて、「よい記念になります」とわたしがつぶやくと、
「どうしたの、まるで最後みたいに」と心配そうに言われた。

 万感の想いとともに女装ルームをあとにした。

 

 それが、最後の女装になるはずだった。

 

 

* 『れいか』はこの文章での仮名です。
実際には、『れいか』ではなく別の名前を使っていました。

 

* 記憶に曖昧な点もあるため、商品名や店名、人名などはフィクションとしてお読みください。
実在のものとは一致しない場合もありますので、ご了承願います。

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