とおくのまち 26 沈黙の夏

苦し紛れに、ピアスをあけた。
レーザー脱毛に通っていた皮膚科の病院では、ピアスも取り扱っていたので、両耳にひとつずつ開けてもらった。
小さな穴をあけるだけのことでも、かんたんなようで、なかなか大変。
傷口が膿んだりしてなかなか治らなくって不安になるし辛かったなぁ。
それと、男性でピアスをしているとなにかと悪目立ちした。
男のふりをしておきたい時は外したかったけれど、ピアスの穴が安定するまでは刺したままにしておかないといけなくて、ホールが完成してから付けないでいると穴が小さくなったり消えて埋まってしまったりする。
 
 当時の性同一性障害の治療のプロセスにリアルライフテストというものがあった。
①   精神療法→②ホルモン療法→③SRS(性別再判定手術。性転換手術のこと)という段階を踏む。
その段階と並行して、リアルライフテストやリアルライフエクスペリエンスというものを行うとされていた。あまりそんな話は聞かないけれど、当時は
そういうふうになっていた。

のぞむ性別での生活を実際にやってみるということである。
一時的に女装するのではなく、毎日ずっと女性として生活していくことを「フルタイム」という。フルタイムできることが、この段階を進めていく上での条件となる。
そして、その性別で社会に適応していけることが大切とされた。
SRSしました、はい、今日から女性です…とはいなかいらしい、
少しずつ、知人や職場などにも溶け込んでいくことを求められた。
それをすっとばして、SRSや戸籍の性別変更なんかをしてしまうと、
せっかく望みの性別の身体になったのに、社会に適応できない事態になるからだって(^^; 
 
自分も……これからは、女性として社会と関わっていくことになるのかなぁ。

 わたしは、懐かしい友人たちのもとを訪れた。何年ぶりだろうか。
会うつもりはなかった。
今はこんな姿だし、遠くからでも、ひと目でも見れたら本望だ。
でも、会ってしまった。
親友たちは、なにひとつ変わらなかった。私がふつうの男性であった時となにも。そして、好意的だった。
ほんの数時間だったけれど、至福の時間は訪れた。
もうよい。シンデレラの魔法が解けてもかまわない。
 
 
幸せはいつも、ながくは続かないのか。
 
ふと気が付くと、もう八月になっている。
私の周囲の時間は止まったままのようだ。
人の感傷に関係なく、地球も廻れば、季節も移り変わる、
もっとも、刻が止まるなどということはありえないのだが・・・。
このまま、過ぎ行く流れの中に埋もれてみるのも悪くはないと
思ったが、眠ってみても寝付けぬ日々しか訪れず、
ただ、悲しみに沈黙し続けるには、私の心は、自分自身さえ
認識できずにいる・・・。
私が私でないとすれば、自分は誰のために哀しむというのか、
まるで、寝覚めの悪い夢を見ているような気分だ。
もっとも、悪夢か、蜃気楼しか見なくなってしまっている、
数年前の、あの遠い夏の日からは・・・。
 
GIDや女装の問題を超えてしまった・・・。
今の私は、アイデンティティさえ、失っている。
自分という存在すらみえなくなってしまった。
 

私は何を迷い、苦悩しているのか。
念願のフルタイムでのトランス生活からの暗転、
そして、長い歳月をかけて育んできた『れいか』としての
自分が消滅するかどうかの危機に陥った事の次第とは。

父の死であり、私が実家に戻らなければならなくなった。
家族から、親戚から、相次ぐ私への非難と、重くのしかかる
使命と責任。笑止である、そんなもの・・・。
それだけなら、跳ね除けられる。これまでだって、それくらいの
試練ならくぐり抜けてきたはずだ。
そんなことではない・・・。
いつかは、わかってもらいたかったことがあった、
いつの日にか、許してもらえることを夢見ていた・・・。
ほんとうの私を・・・。
一番、わかってほしくって、最もわかりあえないその人に。
しかし、その望みは、もはや叶うことはなくなってしまった。
「わたし」は、永遠に、認められることはない。
父は、ほんとうのわたしに会うことはない。それは、「わたし」も
ついに、父と会えなくなったということでもある。
もし、父の病状が良くなったら、母と私を連れて海外旅行へ行くことに
なっていた。
その頃には、わたしは、両親からも「女」と認められて、
娘のように、三人で楽しく旅行できたらなぁとひそかに望んでいた。

正直言って、わたしにとって、壁は、父、その人だけだ。
親戚も、世間の目も、社会や法律など、そんなもの、関係ない・・・。
 
 
いつもと同じ日々が続いていくと思っていた、
そう、その日も・・・。
お気に入りの化粧品の限定品が発売されるの
で、買い逃さないようにとデパートへ向っていた。
その前に片付けないとならない仕事がらみの
用事があったから、その日は男装だった。
と、いっても、フルタイムを謳歌する身、まともな
男性の服装ともいえない。
髪は長くなっていたし、トップスは、黒のレディス
に、その上に男物だけどきれいな色のシャツを
羽織っていた。下は細めのジーンズに
スニーカー。ベルトには、クリスタルやライン
ストーンがじゃらじゃら吊り下がっている。
最近の服装がユニセックス化してるのは、
私のせいではないし。
まあ、メイクしていなかったから、十分、
男の格好といえる。
ケータイが鳴った。母から・・・だ。
別に悪い予感はしなかった。
ただ、せっかくのショッピングにとんだ邪魔が
入ったなぁという軽い気持ちで対応した。
私は、デパートの横に留まっていたタクシーを
拾って病院へと急行した。
父の具合は、それほど悪くはなくほっとした。
その時点では、「まったく、ふりまわされたなぁ」
と溜息をつく余裕すらあったわけだ。
病室の外にある控え室で、のんびりと、売店で
買ってきた弁当を食べていると、母が形相を変
えて呼びに来る。
様態が悪化した。医師や看護婦が右往左往し、
ドラマで見たことのあるような機械がもちこま
れたとき、やっと、私にも事態の緊迫性が
わかった。その機械は、情け容赦なく、
低下していく生命力をデジタルの数値と
折れ線グラフのような波を表示していく。
母も、私も、家族の必死の呼びかけも空しく、
機械は非情なカウントを続け、そして、医師が
ある時刻を読み上げ、冷酷なその機械は沈黙した。
そのとき、何もかもが終わったように感じられた。
一生懸命、頑張ってと父の名を呼び続けた母の
掛け声は、言葉にならない絶叫へとかわった。
いつかは訪れることだとは覚悟はしていたけど、
信じられなかった。
これは、悪い夢であり、朝が来れば、醒めるはず
だと思いたかった。
 
 
わたしの夢は、女になることだった。小さい時から、ずっと、そう思っていた。
いわゆる、性同一性障害である。
ほんとうの女性になれるわけはないって、
いまでは、そんなことは、よくわかっている。
それでも、出来ることなら、女の人として暮らして
行きたいと願っている。
生活の一部の時間だけではなく、出来ることなら、
すべての時間を女性として生きて行きたいと・・・。
これをフルタイムと呼ぶ。
最近になって、やっと、フルタイムでの生活を
踏み出せそうになった。

実は、今年の初め、失業した。
私は、父の経営していた会社で働いていたが、
病気に倒れた父が退陣したあと、会社がなくなった。

会社といっても、結局、父がいないと動かない小さな会社。
後継者が情けないからだ。(ああ、私のことだ)
看病や、動けない父のかわりに残務整理する
だけでも、人一人くらい雇わなければならなかった
から、それが私の当面の仕事となった。
父が転院した病院は、わたしのマンションから
近かった。
今まで実家で軟禁状態にされていた私だが、
事態が事態なので、実家に帰らなくっても、
そのマンションでの寝泊まりが許された。
その部屋というのは、わたしの隠れ家(マイルーム)こと、

女装禁止で、実家に軟禁状態、夜間の外出も
制限されていた私だが、なぜか、こんな部屋が
許されていた。
しかも、矛盾するようだが、これは、父がわたしに
与えてくれものである。
わたしにこんなものを与えたのはなぜか。
きっと、適当な「逃げ場」を作ってくれたのではないか。
悪くいえば、わたしが爆発して失踪するよりはましという
核シェルターみたいなもの。
いや、ただ善意だったのかもしれない、そうともとれる会話をしたこともあった。
真意は、もはや、永遠に霧の中となってしまった。
このような事情から、「フルタイム」で女とし暮らせるようになっていた。
飾りか、昼寝用だったお気に入りのベッドでゆっくりと
眠れるようになったし、好きな時にメイクもできる。
買物にも、あたりまえのように女の格好で出掛けた。
自粛はしていたけど、夜の飲み会にも多少は行けた。
さすがに、お見舞いに出向くときは、ちゃんと男装した。
男物の服装をするのに、わざわざという億劫さを感じる。
何ヶ月か、こんな生活をしていたら、だんだん、
自分の性別がふつうに女だったような気になってくる。
 
ひさしぶりにマンションに出向くことが出来た。
ベランダで育てていた花は倒れていた。
この花には、特別に想い入れがある。
ふたつ、願いを込めていた。
そのひとつの願いは、もう叶わない。
そして、もうひとつの夢は・・・。
そう、ここでずっと長く女として暮らせるように・・・って。
ふたつの願いは、セットのようなものだ。
父が亡くなったことで、束の間の自由な一人暮らしはついえ、
私はまた実家にがんじがらめの生活を余儀なくされる。
夢への道は閉ざされ、現実が訪れた。
近所の人々たちが集まってきた。
親戚たちもやって来た。
 
女装しているわけではないし、物静かでおとなしい私はむしろ
地味で目立たないはずだ。
それでも、叔母や叔父たちはしきりに
散髪に行ってくるように迫った。
現に、私の髪は十分に肩にかかる長さになっていた。一年と数ヶ月、一生懸命伸ばしてきた。
もうすぐ憧れのロングヘアなのに。

ただ、髪のことだけが気付かれただけだ。
この二年近くにわたしが試みた変化はそれだ
けではない。
レーザーによるヒゲの脱毛、女性ホルモンの
服用による体の変化・・・。
実際、筋肉などはかなり落ちていたり、胸が
少し出来たけど、ゆったりした男物の服を纏
えば、簡単には気付かれない。
母や従兄など観察力のある一部の者には、
耳に開けたばかりのピアスも気付かれた。
叔母たちの言葉は、軽く聞き流した。しかし、
妹の言葉には心をつぶされそうになる。
父は、私が髪を長くしていることをすごく嫌が
っていたが、それを嗜めると、私が拗ねて
また出奔でもしたらいけないので黙っていた
のだと。

呆然となって私は奥の部屋に引きこもった。
鏡を覗く。わたしの目指している長さになるまで、
まだ一年以上はかかる。ここまでに、一年半
ほどかかっている。もし今、切り落とせば、
差し引きで三年くらいの時間がいることになる。
わたしには出来なかった。
「言ってくれたことはよくわかっている。
でも、ごめん、自分には切れない。
たとえ、みんなを敵にまわしてでも、
わたしはわたしでしかない。」と決心した。

黒いゴムひもを髪の内側に仕込んで、ばらつきを抑え少しでも目立たないようにしてくれた。
 
 
父には、どんなに謝っても謝りすぎであることはなく、
どれくらい感謝してもしすぎることはない。
 
ごめん、ありがとう。
 
遠き日の京都、夜のお店。わたしは、力づくで連れ戻されたとは、ほんとはこれっぽちも思っていない。
救けに来てくれたのだ。なぜ、そう思えるかというと、
ずっと小さい時からも、いつも助けに来てくれたから。
だから、あれは、つれもどされたんじゃなく、たすけられたんだろう。
 
その時の自分には、まだよくわかっていなかったから、
ただ、夢が叶わなくなったとしかわからなかった。

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