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江戸時代の人たちはMinimalistだった...!?

Minimalist(ミニマリスト)って聞いたことありますか?

Wikipediaによるとミニマリズム (英: Minimalism)とは、完成度を追求するために、装飾的趣向を凝らすのではなく、むしろそれらを必要最小限まで省略する表現スタイル(様式)とのこと。。

なんだかわかりづらいですね。アートなどでも使われている用語ですが、今回私が話していく内容は生活スタイルの中でのミニマリズムです。

つまり、生きていくために必要最低限のものだけを所持して生活していくスタイルの事です。

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現在の私の生活は決してミニマリストではないですが、海外にいる今なんであんなに東京にいるときはモノが欲しくて、部屋がモノに溢れていたんだろう。と思うくらいあまり物欲がなく、家には必要最低限の物しか置いていません。

でもそれがびっくりするくらい自分の心を安定させてくれているように今感じています。

実際私が所有物を減らした結果どんな影響が心にあったかシェアしたいと思います!

まず、なんでモノを減らしたのか。

これはミニマリストになりたかったから、とかではなく、勝手にミニマリストにならざるを得なかった、というのが正直な話です。(笑)

まず、海外に出発するにあたり飛行機に預ける荷物を23kgに絶対的に納めなければならなかったので東京の家にあるものの中で本当に必要なもの、お気に入りの服だけをパッキングしました。

いくらでも追加で荷物を送ることはできましたが、それはお金もかかるしだったら現地調達しよう!と思っていました。

しかし、パリ、ジュネーヴはとにかく物価が高くてちょっと買っちゃおうという気分で色々買えなかったのです。。

結果として、全然買い物していません。こちらに来て3か月経ちましたが、追加で買った服は2着だけ。あとは生活に必要なフライパンなどしか購入していません。

でも、これがなんとも心地いいのです。そして今いるジュネーヴでは、全くそれが気になりません。なんでかなあと思っていましたが1つ自分で気づいた大きなことがあります。

とにかく街に広告が少ない

東京に比べると、無駄に購買意欲を奮い立たせるような広告がとにかくありません。広告として一番多いのはむしろアートの美術館や展覧会の案内ポスター。もちろん全く広告がないわけではありませんが、そこまで目に入りません。

例えば以下の写真はレマン湖沿いの道で撮ったものですが、この広告らしき物はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の広告です。さすが、国際機関の集まる地ジュネーヴといったところですが、このような多くの人が通る場所に洋服のブランドなどの広告が一切ないのです。

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だから、あ、あれ欲しい、とか、今セールで安くなってるから今いらないけどこれ買っておこうかなとか考える理由を与えられないように思います。

いかに、東京にいるときの私は広告に踊らされていたか。。痛感します。

そして、東京に沢山のものを置いてきましたが一つも今ああ持ってくればよかったと思い出すものはありません。

つまり、部屋に置いてきた沢山の服やバッグは

全部なくても私の人生に影響しないものだったんだ

と感じています。

むしろ、今いる部屋はすっきりとしていて家に1日中いても心がクリアでいられます。東京で自分の部屋にいた時には感じられない感覚です。

部屋の汚さは心の乱れ、などと言いますがモノを持っていなければそこまで汚くなることもなく、なったとしても片付けることができ、すぐ部屋がきれいになります。

江戸時代の人たちは究極のミニマリスト

だったとどこかで聞いたことがあります。

江戸の人たちは損料屋というところで、ふんどし、布団、手ぬぐい、浴衣、冠婚葬祭や旅行で使う様々なものを借りて使っていたそうです。

経済的な理由もあったようですが、部屋の狭さや火事などがよく起きていたことからモノを持たないことが当たり前の時代だったのです。

結果として江戸時代は日本の歴史の中で最も華やかで、アートや文化が花開いた時代と言われています。

もしかすると、このミニマリストの生活が江戸時代の人たちの感性を研ぎ澄まさせていたのかもしれませんね。

モノを借りる文化、モノを持たない文化、日本にもまた根付くといいなと思います。

もし、Minimalismに興味を持った方是非Netflixで”Minimalism”というドキュメンタリーを見てみてください。きっと理解が深まると思います。