メギド72『嵐の暴魔と囚われの騒魔』における台詞変更について

最近ドハマりしてるゲーム「メギド72」ですが、そのイベント内の台詞が変更されたことについて個人的意見を書いていきたいと思います。

(イベント未プレイの人はネタバレ注意)

『嵐の暴魔と囚われの騒魔』イベントは、「猫耳」という異形の姿とコントロール不可能な嵐の力を持った「ジズ」というメギドが、その姿と力ゆえに迫害され、放浪してゆく運命(とさらにはその裏に秘められた計画)から主人公ソロモン達が新キャラクターとも力を合わせて彼女を救う物語でした。

事実このイベントがかなりハードな内容であることは否定できず、登場人物の台詞の一部が変更された経緯も想像できます。しかしその変更された箇所、このイベントのテーマを突き詰めたある意味最も重要な箇所なのです。

↑こちらが変更前

↑こちらが変更後

(※画像データは変更前のデータを読み返せないこともありTwitterから拾ってきています)

上記の台詞は、猫耳という姿を持ったジズに対する評価の台詞です。変更後の方がかなり肯定的な表現になっています。

今回のイベントはジズがその姿と力ゆえに迫害される物語です。ジズの猫耳と嵐の能力。それは「力」であり「個性」です。行く先の村や街の人々に迫害されるジズのあまりに悲しい姿にジズに感情移入するプレイヤーが多数だったと思います(自分もちょっと泣きながらプレイしてました)。しかしこの物語、実際に「強者」なのはメギドであるジズであり、力を持たない「弱者」の一般人たちが身を守るためにジズを追い出して安全を守ろうとする物語でもあるのです。

力を持つジズという異物。それに耐えきれない弱い人々はジズを攻撃し、排除しようとします。それを劇中でバルバトスは「免疫力」と呼んでいます。『嵐の暴魔と囚われの騒魔』は、「力あるはずの者がその力を発揮できず、その力ゆえに生きていけない」ということがテーマになっているのです。(ここにその地獄絵図はメギドラルという黒幕が意図的に生み出したものであるという真実が関わってくるのがとても上手い)

ジズの力であり個性の象徴である「猫耳」。それは評価されるべきものなのか?排除するべきものなのか?以下、変更箇所へと踏み込みます。

変更前のマルコシアスは「すごく可愛い」と言いつつも「年取ったらヤバくね?」の反論に上手く反論できず、「周りがきつくなってから対策を考えましょう」と答えました。一方、変更後の内容ではジズの猫耳を仲間たちが全肯定する内容になり、モラクスが「文句を言うヤツがいたら俺がぶちのめしてやる」と結論を出します。

つまり、変更前の内容では「個性」に対して「本人にはどうにもならないもの」とし、変更後の内容では「肯定されるべきもの」としているのです。

変更前のマルコシアスの「そ…そのときはそのときです。周りがきつくなってから対策を考えましょう」という台詞、実はこのジズの「個性」に対する核心をついているのです。

本人が持つ特徴や個性というものは、本人の意図に関わらず周囲に「評価」されてしまうものです。ジズが受けた迫害も、人々が「力を評価」したがゆえに起きたものなのです。

マルコシアスは個人的にはジズを肯定しつつも、その「評価」に対しては明言を避けました。「そのときはそのとき」。そう、「そのとき」が来ないならそのままでいいのです。

この台詞を考えたスタッフの人は、メギドが持つ「多様性」というテーマや、本イベントの「力や個性」といったものに対して考えに考え抜いた結論を出しているのです。

「個性は肯定されるべき」。変更後のモラクスのようにそう口にするのは明快です。しかし個性を持たない人は?個性により被害を受ける人は?このゲームに出てくる一般人は主人公たちと違い、特別な力を持ちません。それゆえに個性に耐えきれず、攻撃に出たのです。

解決が極めて困難な「個性」というものに対して、「問題にならなければそのままでいい」というものは極めて的を得た結論だと思うのです。…しかし、個性というものにそこまで理解を進めるのは難しいことです。それゆえの変更なのでしょう。


一度変更してしまったものですし、難解なテーマゆえに再変更は難しいと思います。しかし、「個性」に対して一つの結論を生み出したメギド72のスタッフに対し敬意を表して、この記事を残したいと思います。

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