メギド72「キミに捧げし大地のソナタ」の考察

キミに捧げし大地のソナタ、面白かったですね。小粒なエピソードながらサタナイルとアリキノのキャラクター描写の完成度は類を見ない出来だったんじゃないかと思います。

今回の考察は終盤でアリキノが暴走した理由についてです。

今回のエピソード、恐らくテーマは「二面性」だったんじゃないかと思います。音楽に執着しながら部下の前では毅然とした姿を見せる性格と、誰だろうと死を好まないというメギドらしくない優柔すぎる考えの二つを併せ持ったサタナイル。サタナイルへの深い憧れと、ヴィータという他種族への冷酷さと力への執着を併せ持っていたアリキノ。二人がお互いの二面性に気づかなかったゆえに起きた悲劇が、今回のシナリオの根幹なのではと思います。

アリキノがなぜ暴走してしまったのか、その理由はおそらくアリキノが隠し続けてきた彼の「もう一つの面」がサタナイルにバレてしまったことだと思われます。

サタナイルは音楽という文化に執着しており、音楽という創造行為をメギドの個性としてしまったために非暴力的なメギドとして個を確立してしまいました。その思想から懲罰房行きになった彼女は、「毅然とした指揮官」というもう一つの面を生み出して、メギドラル社会に対応するようになります。しかしそれでも音楽への愛は止められず、「メギドでありながらフォトン回収任務なのにヴィータを殺さない」という明らかな上層部への反逆行為を彼女に行わせることになります。

一方アリキノは元々弱小メギドであり、「毅然とした指揮官」のサタナイルに拾われたこと自体が幸運でした。アリキノはサタナイルに憧れ、指揮の技術を教えられてメギドとして自分の居場所を見つけます。彼がサタナイルの「音楽」そのものに共感していたのはクロケルが戦闘に使ったベルにイラついていたことからもわかります。最後は不幸にも下級メギドに喧嘩を吹っ掛けられて、サタナイルのために戦い死亡します。(メギドとしては「サタナイルという「個」のために弱い自分が死ぬ」というのはとても正しい死の在り方)…しかし、ここでアリキノに不死という特性が発動したことで、アリキノにもう一つの面が現れました。それはアリキノがサタナイルより強いという事実。つまりサタナイルの「個」の意思を残すための実力がサタナイル本人よりもアリキノの方が上回ってしまったのです。

「サタナイルよりも強い」アリキノはサタナイルに憧れていながらも、ヴィータへの共感を持っていないためにサタナイルを上位層から守るために裏でヴィータの虐殺を行います。アリキノが裏でヴィータを殺していなければ恐らくどこかの段階でサタナイルは処罰されていました。アリキノが力を獲得したことで、本来なら不可能なはずであったサタナイルの地位が守られ続けたのです。実際アリキノがスパイとして要請されていたのは「指揮術の獲得」であり、嫌われつつも彼女の能力は評価されていたのがわかります。アリキノがそれを明かさなかったのはサタナイルが望まない殺害行為を行う自分を受け入れてくれるとは思っていなかったためだと思われます。

サタナイルは自分がどうなろうとも構わないがアリキノには生きていて欲しかった。アリキノは自分が憧れるサタナイルの理想(暴走した彼曰く「ゴミみてぇな理想」)をどんな手段を使ってでも叶えたかった。互いに相手の「二面性」を知らないままに相手を信頼していたために、サタナイルはヴィータを殺さないという半端な作戦を続け、アリキノは自らを(望んでか命令かは不明だが)幻獣体に改造しながらサタナイルに知られないように裏でヴィータを殺してサタナイルを守り続けました。

その矛盾した行軍がついに崩壊する事態が起きました。アリキノがヴィータを虐殺中にソロモン一行と直面してしまったことです。当然、彼の行いはソロモン一行には受け入れられる事態ではなく、アリキノはソロモン一行に敗れます。アリキノは最後まで自分の所業を隠そうとし続け、サタナイルの前で死に絶えます。

その後、「不死」の能力で蘇ったアリキノが見たものは幻獣化の技術を知ったサタナイルとソロモン一行でした。この状況は彼にとって「詰み」です。彼にとってサタナイルは「ヴィータを殺さないまま作戦指揮ができると思いこんでいる憧れの上司」であり、アリキノがヴィータを殺してきた事実はソロモン一行がいることからも明るみになるのはすぐであり、それはサタナイルとアリキノの決裂を意味します。アリキノと決裂したサタナイルに待っているのはソロモンとの敵対か上層部からの処罰であり、どちらだろうとアリキノより弱い彼女の「理想」を実現することはもはや出来ません。

…だからアリキノはメギド流の手段を取りました。かつてサタナキアやサルガタナスが取ったものと同じ手段です。それは「アリキノがサタナイルとソロモン一行を殺すことで上層部に評価され、アリキノが「サタナイルの理想」をかなえる」という手段です。

メギドという種族にとって重要なのは「死ぬまでに「個」として何を世界に残せたのか」であり、アリキノは「真っ当な」メギドとして、「『サタナイルの理想』のためにサタナイルより力が強いアリキノがサタナイルの死を功績に変えて目的を果たす」ことを実行せざるを得なくなったのです。


アリキノにとっての最大の誤算は、サタナイルのもう一つの面、つまり彼が見てきた「毅然とした姿で甘い理想を追う上司」という面よりも遥かにサタナイルが情に甘い性格であったという事を知らなかったことでした。アリキノの所業を知ったサタナイルは怒るどころか謝罪し、彼の行いを労って「音楽」で彼を葬送したのです。

アリキノはサタナイルの「もう一つの面」を知り、最期の死ぬ瞬間になってやっと暴走した姿で動く必要がなくなりかつての面に戻りました。もし二人があのタイミングよりもっと前に相手の「二面性」を知っていれば、アリキノが一人で暴走することもなかったのではないでしょうか。


…メギドの人達ってなんでこんなに感情が重いんでしょうかね?

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