習慣化など土台無理な話

だと思ってます。

ツイッターを眺めていると「努力しようとして続けるには無理があるので習慣にしてしまおう」みたいな話がたまに流れてくるのだが、何かを習慣にできた試しがない。これまでの人生で習慣にできたのはせいぜい歯磨き程度であるし、歯磨きだってたまに忘れる。あとは全部義務。

習慣とはつまり同じ行いを何度も反復する行為であり、自分は反復する行為が嫌いなのである。何度も行うなら前に進みたいので、前に進めるぶん習慣より努力のほうがマシだと思う。(ちなみに努力という言葉も嫌いです。徒労を過大評価してるだけの気がする。)

習慣をディスってるばかりでもなんなので、ものごとが習慣化するプロセスを考えてみようと思う。これは「能動的に習慣にする」、ということではなくて「気づいたら続けている」、という行為に関して。

まず何か一つのことを始める。その始めた行為が楽しいか楽しくないかによって、行為を継続するかしないかへと分岐する。楽しくなかった場合はその場で終わりだ。未来はない。しかし楽しかった場合、もう一回やってみようという気持ちになる。

続けたいという気持ち、つまりモチベーションを維持するのに必要なのは精神と時間の確保。これが多分人によって理由含めさまざまであり、全然余裕がない人とか余裕が空きまくってる人とかがいる。つまり、「習慣化」が起きるのに必要なのはモチベーションを維持するための余裕なのである。

その「楽しかった行為」を自分の日々の時間と精神の配分に割り込ませてもなお負担とならない場合に、初めてそれが習慣となる。たぶん。

なので余裕のありまくるときはなんでもかんでも手を出して習慣に取り入れたりできるだろうし、余裕がなければ習慣を増やしてる暇なんてないと思う。余裕がない人が無理に習慣をつけようとしても負担がかさ増しになって余計に首が回らなくなる可能性が高いので、その場合は素直にあきらめるのも手だと思う。ちなみに自分は最初に言った通り習慣そのものが不得手なので余裕があっても習慣は増えません。

追記:noteを始めたときは雑記を習慣にしようなんて思っていたが…この有様(記事一覧)を見よ。おれはやりたいときにやるのだ。

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