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「まぼろしとうつつの」(2023/05/23の日記)

■ 今日やった生放送の感想

・今日は動画を上げるつもりで編集してたんですけど、私が大きなミスしてボツっちゃったんで、代わりに緊急でマスターデュエルの生放送をした。こういう時、マスターデュエルの存在は凄く助かる。っていっても、「代打の取り敢えず」っていう感覚は殆ど無くて、普通にやってもちゃんと面白い生放送になるのが凄い。そもそも楽しいのが、大事なんだな。

・WCS2023の予選が行われているとかで、そちらの方をプレイ。皆のコメントに合った通り、下位ランクはブルーアイズやブラマジ、BFなどのストラクチャー勢もいた。

・目を見張ったのは、ティアラメンツに2回、ティアラメンツ絶対許さんデッキにも1回当たった事。相当下位にもいるのか、それとも下位と中堅は結構ごった煮になるのか、しかも、片方のティアラメンツは使い始めって感じのたどたどしさがあったが、もう片方はかなり慣れている様子で、色々な憶測が捗る。

・ティアラメンツというテーマ、圧倒的にマスターデュエルに向いていない。いや寧ろ向いていると言えるのかもしれないが。というのも、ランダム墓地肥やしによって、ターン内に発生する情報の量がとんでもなく多く、対戦相手は何が起きたのか、これから何が起きるのかを都度都度確認しなければならず、時間が大量に必要なのだ。各ターン定められた時間では全然間に合わず、結果、最良のプレイから遠ざかってしまう。

・昨日の初めにカジュアル向けのランダム墓地肥やしのデッキを使ってたんだけど、全然時間が足らず、タイムアップギリギリいっぱいまで時間が掛かってしまって思った。マスターデュエルは墓地へ落ちたリソースの管理が凄く大変だ。それを墓地から妨害する形で相手にも強いるティアラメンツは、システムの面からも強力だと感じた。

・運営もかなり苦心してるんじゃないかと思う。実装されてないカードがそこそこある中で、初めから規制を掛けながらWCSのタイミングに重なるようにティアラメンツを持ってきたのは、たくさん使われる中で皆に慣れて欲しいのか、それともWCSの結果を見て大きく規制して、その後に色々なカードを追加するつもりなのか。

・しかし、圧倒的に強いテーマが1つあるっていうのは楽しい部分もある。わかりやすく仮想的というか、大ボスというか、この日は最後にいつものヌメロンを回してたんだけど、もう少しで勝てそうなところまでいけて、大いに盛り上がった。殆ど勝てないと皆が思ってるからこそ、勝てた時に盛り上がる。死にゲーの概念に似ている。


■ 2023/05/24の日記

・日々特に無し。

・雨が上がって気温が低いですね。編集デイしてた。

・先日、故あって演劇を見に行く機会があった。劇団「譜面絵画」さんによる「幻幻幻幻と現現現のあいだ」(マボロシトウツツノアイダ)という作品だ。

チケットがきれい

・私のこれまでの人生で「演劇」というものに触れた機会は殆ど、学芸会くらいのもので、全く自分の中に「どういうもの」としての認識が無く、何を考えて見たらいいのか、何に注目すべきなのか、そういった理解は全くない状態だったけど、単純に経験と「どういうもの」を埋めるために見に行こうと思った。


・行ってみて、まず第一に思った感想は、演劇の視聴体験の理解というものは、私の想像していたものの遥か彼方にあるという事。

・そして、今日この日記で、私にとっての演劇の体験はこんな感じでしたよ!ってみんなに伝えようと思って色々考えたんだけど、あの時間を共有していない人にその説明をするのはあまりにも難しくて、全然上手くいかなくて、腐心する事になったということ。


・劇場に入った時から終わるまでにずっと疑問が絶えなかった、というかなんなら来る前から「なぜ今回私は招待されたのだろう?」という疑問があったのだが、兎に角、劇場というのも私が想像していたようなわかりやすい物ではなく、不思議な建物の、地下の、「ファイトクラブ」でもありそうな場所だった。

・舞台は一本の大きな支柱を取り囲む形で4方向に席があり、柱は太く反対側は見えない、でもどこに座ってもよいと言う。なぜなのだ。

・見に来るお客さんもまた不思議で、下は大学生くらいから上は一見して年寄りと見て取れる方まで、老若男女。



・程なくして公演が始まった。始まったのか?今これは公演が始まっているのか?いつ始まった?

・立体的に使われる舞台。何か常に含みのあるセリフと演技。光と音。汲み取らなければならない情報と、考えなければならない事が多すぎる。

・死生観の話である事は、事前の説明でもあったので理解できる。ただ常に「納得」が無くて、こういう事だろうか?という疑問がどんどんどんどん積み上がっていくのだ。

・ただ「マボロシトウツツノアイダ」というタイトルの意味だけが鮮明になっていく。

・そして、程なくして「本当に何か意味はあるのか?」と思い始めた頃。役者の方から「次で最後のシーンです」というセリフ、そして続けて「私がこれを言う事もセリフとして決まっています。演出としての効果を狙っています。勿論、これを言う事もまた定められていてそれによる効果も…」というような旨のセリフが発せられギクリとする。視聴者がどう感じるかはあれ、全てに何か意味はあるのだ。



・そして何か凄い時間を過ごした感覚だけ残って、舞台は終わった。終わって入口が解放された瞬間、別の世界との扉がつながったような、今この空間は完全に隔絶されていたんだな、という感覚が急に湧いてきた。


・物語の感想。死生観の話を他人と共有しようとする時、それは何となく倫理観の話で上塗りされて、うやむやにされがちだと思う。かわいそう、とか死者に失礼とか、そういった道徳の時間に仕込まれた感情で、突き合って話すのが難しい話題だ。だから、死生観が他人と一致する事に慣れてないんだろうなって感じた。というのも、役者さんが死に関して話し、それが自分の中にあるものと一致する度に、神経が逆なでされているような、そわそわとした寒気が走って怖かった。それを舞台でやられるという事、自分の中身を大勢に向けて暴かれているような。

・公演後、脚本家の方とお話しさせて頂いた。曰く、演出、脚本としての狙いは勿論あるけれど、見た人が感じたものが大事である事、特定の見方は無い。見た人それぞれに答えがある事を教えて頂いた。


・そうか、演劇というものは不親切で難しくて、見たらたくさん考えなきゃいけなくて、それ故に一つ一つの舞台がそれぞれに特別な体験を残すんだなっていうのが、今のところの私の納得。すごく興味深い体験だった。

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