回る回るワールド


田我流、KOJOE、shingo2 いつも聞いているラッパーたちの生バンドスタイル。kojoeに至ってはもうkendrick lamar状態.本当に良いライブです。

ちなみに、ここに登場するラッパーは全てバイリンガル。アメリカに渡ったことがある、生活したことがある、生まれたことがある、そういう人間は自然とバンドスタイルが似合うように感じる。


kendrick lamarは、生バンドスタイルのラップでは史上最高のパフォーマンスを発揮するラッパーです。

彼はアメリカのラッパーでは珍しく、ガンもドラックも否定している。けれど、彼が生まれ育ったのは世界一危険なラッパーとして暴動騒ぎまで起こしたNWAの出身地、コンプトン。銃と薬にまみれた西海岸一危険な町で育った彼が、暴力を否定している理由は、ブラックミュージックのsoulにより深く触れたのが大きく関係している。

1dj1mcスタイルが基本のhiphopだけれど、hiphopが生まれた時はターンテーブルが超がつく高級品だった。マイクも高級品である。

しかも、hiphopを作り上げた人間は、スラムの10~20代の若者たちが中心だ。当時の価格で中古車一台が買えてしまうレベルの機材を、そもそも買えるわけがないのである。

初期の大物DJ達がターンテーブルを購入できたのは、主にドラックと銃のおかげだ。それゆえに多くのラッパーがドラックや銃について歌う。ただ、それもギャングとのつながりがある人間たちだけ。そのため、初期のHIPHOPを作り上げた人間の多くは、盗品のターンテーブルとマイクを使った。つまり、スティルである。

レコードも盗んだものが多い。そして、盗んだレコードを繋ぎ合わせてブレイクビーツを作る、これがサンプリング。マイクも自前のものを持っていた人間なんていない。ドラックで儲けた金で盗品を買ったか、誰かが盗んできた一本のマイクをみんなで奪い合ってラップする。これがマイクジャック。バトルは抗争の代用品として働きはじめたが、賭けるのは互いの機材か金。会場ではドラッグがサバかれる。「dis」によるビーフは多くの人の知る通り、最後はいずれ銃の出番となる。

サンプリングとスティル、そしてマイクジャック、バトル、ビーフ。その自由どの高さは多くの人間をとりこにしたが、その裏には、銃とドラック、そして盗むことでしか音楽をやれなかったスラムの若者たちのあまりにも不自由なリアルがある。

けれど、そのメインストリームとは別に、ターンテーブルを盗まなかった人間達もいる。もしくは、盗もうと思っても盗めなかった人々だ。彼らはドラックも銃も売ることを拒否した。理由は、そのせいで苦しみ死んでいった仲間を多く見てきたからだ。

当時のスラムやその周辺は、決して陽気とはいえない。10代の子供が生活のための盗みで射殺される。ギャング団の抗争で血を流し、麻薬に溺れ、銃でしぬ。その世界で、仲間や自分のためにも、ターンテーブルを盗むことを拒否したB-BOYも多かったのだ。

しかし、きれいごとで音楽は出来ない。当時のスラムの若者は、盗むか、ドラックと銃をさばかなければ、ラップをやるための機材は手に入らないからだ。

ただ、トラックを作る変わりに、スラムにはjazzミュージシャンがたくさんいた。ターンテーブルを回さなかった彼らは。初期のころから楽器でラップをするスタイルを作っていったのである


「私たちには今日も明日も困難が待ち受けている。それでも私には夢がある」

黒人解放運動のカリスマ、キング牧師のあの台詞は、初期のhiphopの世界そのものを映している。音楽は夢であり、それは我々のように、無くても生きていける世界ではない。夢がなければ、スラムを出ることも、スラムで生きていくことも不可能だった。

しかし、音楽への救いの求めかた一つではない。キング牧師とブラックパンサーがいたように、黒人達に希望を与えたhiphopは一つだけではない。奪う事でより強く、荒々しくターンテーブルを回していた革命的なDJと、黒人の自らや仲間を鼓舞したラッパーとは別に、jazzの血を色濃く引き、soulを信じ、別の方法で自分達を閉じ込めるゲージ(檻)を逆さまにしようとしたラッパーもいたのだ。そしてその系譜は、現在のkendrick lamarにたどり着くまで、ブラックのsoulを大切にしたラッパーたちに引き継がれ続けてきた。

この曲を聴きながら酒を飲むだけで、すごく贅沢な気持ちになれる。やっぱりhiphopは最高です。

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