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#61【繋】「無敵の人」を生み出さないために④

「無敵の人」を生み出さないために
最終弾です。

↓前回記事


支援のない、国が見て見ぬふりをしている「社会的弱者」を生み出さないために。
自分や自分の大切な人が被害者にも加害者にもならないために。


学校現場が出来ること


教育者としても考えることはたくさんある。
「無敵」になる根本は、「孤独『感』」が多くを占めると思っている。
実際に友人がどれくらいいるか、家族がいるかということよりも、
心理的に安定して安心・安全な場があると思える生活を送っているか

これらの「安心・安全な場」を創出すること。
青春を過ごす学校こそがその役割を果たすべきだと思っている。
近年個人化・個別化の風潮がある教育の世界だが、
「チーム」「組織」としての個人を意識させること、繋がりを強調することも大事であろう。
自分が何者か、
ということと同じくらい、
自分が何(どこ)に属しているか
ということは、やはり重要だと思うのだ。

極論、「無敵の人」になった彼らに、「待った!」をかける中高時代の友人はどれほどいただろうか。
そういう場を創ることこそ、示すことこそ、教育のあるべき姿ではないだろうか。


「無敵の人」を生み出さないために


僕自身、「無敵の人」の被害者であると思っている。
自分の決断の中で「普通こうしないよね」ということをされ、やり場のない怒りも経験した。
と同時に、「無敵の人」の加害者、すなわち「無敵の人」自身になりうる可能性もある。
仲のいい友人にも冗談交じりで話したことがあったけど、正直本気で、したくもない考えが及んだこともあった。

僕が「無敵の人」にならずにいるのは、ひとえに人との繋がりを感じているから。
その繋がりによって精神がやられないよう距離感や波を意識することもあるけど
それでもそういう「糸」を繋げてくれている人たちがいる「と感じることが出来る」。

何度も強調してきたように、これは「人数」や「あるなし」ではない。
安心・安全と「感じること」ができるか、そしてその「感」を教育者が与えることが出来るかにかかっているように思う。


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