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#48【信】信じること8割・許すこと2割

コロナが終息してきたことはいいことですが、飛行機代の高騰はしんどい。

サワディーカップ。
「信じる」ことに対する自分の揺らぎみたいなものが最近生まれています。
真面目な話をします。

信じることがすべて

僕のかつての信念というか、絶対的だと思っていた価値観は
「人を信じること」。
その人の言葉や行動はすべて責任あることであり、だからこそそれらは自分にとって信頼するに値するものだと思ってきた。

人は「自分勝手」であること

でも、一方でこんな価値観も持っていた。
「人は自分勝手である」
「人生は長いゲームである」

人はその人の主観から超えることはできないから、自分視点で最善だと思う行動をする。
所詮、人生は役割を演じる「ゲーム」に過ぎない。

事実、ここ半年で「学校」よりももう少しビジネス寄りの世界に足を突っ込むことで、
それぞれの立場で儲けるための戦略があることを目の当たりにしてきた。

僕に近づいてくる人間が、必ずしも僕のために動いてくれているとは限らない。
むしろ僕を利用して利益を生もうと考えている。
それが社会の構図であることを、改めて確認できた。

必ずしも責任がないこと

もっと低次元の世界も味わった。
この半年で、そもそも何も考えず無責任な言動をする人間にも出会った。

でもそれも何も契約書でもない限り、問い詰められない。
そもそも普段の言葉にも行動にも、そこに責任が生まれることはない。

押し付けてはならない

これらのことは、ごく当たり前のことだと頭ではわかっていながら
僕にはなかなか受け入れられないこともあった。

「自分勝手に行動しないこと」
「言葉に責任を持ちなさい」

こう教わってきたことが崩れる経験を、この半年でしてきた。
誰にも伝えていない辛いこともある。

思うに、これらは
相手に押し付けることではなく、
自分で意識することなのである。

だから
僕は相手に
「自分勝手に行動すんなよ」
「言葉に責任持てよ」
と押し付けることはしてはいけないのだ。

でも、
僕自身がこういう価値観を大事にすることは失いたくない。

信じることに対する2人の言葉

ひたすら人を信じることで崩れ落ち込んだ僕を救った2人の言葉がある。
1人は芦田愛菜ちゃん
「星の子」の舞台挨拶での発言が話題になり、僕自身もすごく衝撃を受けた。

「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」
「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」
「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」

映画「星の子」完成報告イベントより

信じるのはこちらのエゴ。
だからそれが崩れたときも、裏切られたと考えるのではなく、知らなかった部分が見えただけということ。
僕ももっと前からこんな見方ができていれば、と思う。


もう1人は、ユーチューバー「ジョーブログ」のジョーさん。
つい先日の動画で、ホームレス少女に実はお金があったことを報告する場面で。

人間ていうのは10割で信じないほうが良い。
7~8割で信じて2割で許す。
10割で信じると裏切られた・騙されたと思ってしまう。

YouTube「ジョーブログ」より

学校教育では…

だから一教員としても大人としても
子どもたちにこれらのことを押し付けないよう意識したい。
だって、相手のことを思っていない、責任のない自分勝手な人なんて
世の中にたくさんいるから。

だけど、
「自分がどう生きたいか」
「どういう自分でいたいか」
ということの中に、この「信じる」「責任を持つ」ということはきっと絡んできて、
そしてここからは僕の持論だけど、

僕は信じている。

「人を信じることは尊い」
「言葉に責任を持つことは尊い」
ということを。

モノやヒトや情報が溢れる今の時代だからこそ
信用できる「本物」を信じていこうと思います。

いやーー
真面目に語ってもうたな^^

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