「難聴と聴覚障害の予防 アジェンダ2030」とこれからのオージオロジーを取り巻く環境の変化について

2017年、第70回WHO総会において「難聴と聴覚障害の予防(Prevention of Deafness) アジェンダ2030」が決議決定されました。

この記事ではそのことについて少し考察してみます。

Prevention of Deafnessというムーブメント

そもそもPrevention of Deafnessという世界的な活動は、国際NGO団体Hearing International(HI)に端を発しています。HIはアジア諸国の耳外科のレベルアップを目的に組織された団体で、日欧米の耳外科医がアジア各所におもむき手術指導する機関でした。特にHI日本支部は資金的にも潤沢で2002年に単独で国内の法人格を取得し、NPO日本ヒアリングインターナショナル(HIJ)として独自の行動を推し進めます。JICAと連携しアジア途上国の耳科医を日本で研修させたり、インドネシアとタイに耳科センターを設立したり、ネパールやチベットの聾学校や医療機関へ再整備品の補聴器やオージオメーターを寄贈する活動などを行ってきました。私は法人化したその年からHIJに参加し、色々な場面で、鈴木先生のお伴をさせて頂きました。

WHOが、Prevention of Deafnessの活動に本腰を入れたのはHIの会長が鈴木先生から北京大学のBu教授に代替わりした2007年のことです。第1回WHO-HI Prevention of Deafness会議は北京で開催されました。その会議で中国でも3月3日を耳の日とすることがきまりました。長年のHIからHIJに至るまでの一連の活動が認められ鈴木先生は2009年に瑞宝中綬章を受章されています。HIJはその後、2007年のサブプライムのあおりを受けて資金難となり、初期研修医制度から耳鼻科医が減る時期とも重なり日耳鼻の支援も受けることができず、2010年に解散となりました。その結果、Prevention of Deafnessに関する日本の窓口はなくなってしまいました。

Prevention of Deafness会議は、その後も北京とジュネーブであるいはIFOS会期中に毎年のように開催され、WHOもいよいよ2013年に3月3日を「世界耳の日(International Ear Care Day)」に制定します。中国も世界もともに日本と同じ3月3日が「耳の日」となったのはそうした一連の歴史的背景を考えると鈴木先生の功績によるといっても過言ではないでしょう。

Make Listening SafeInitiative とアジェンダ2030

 WHOの調査によって、「世界中の若者のうち11億人は、音のリスクを理解しないままに、不用意にスマホや音楽端末などを使用し、結果として趣味の有害なノイズにさらされることから難聴のリスクが高まっている。」ことが明らかになり2015年に警鐘をならすとして「Make Listening Safe Initiative(MLS)」を始め、今日に至っています。2017年5月の第70回WHO総会においては具体的な処方せんも決議決定します。Prevention of DeafnessはWHOの最重要課題のひとつとなり、「難聴と聴覚障害の予防 アジェンダ2030」が決議決定されたました。WHO加盟国は、総会での決議決定を批准し実行する義務があります。しかし、HIJ解散以降、WHOの会議へ厚労省や日耳鼻から人を手当できない状況が続いていたためこの課題について日本は充分に対応できていませんでした。わたしは鈴木先生とNPO-NGO活動をおこなってきたご縁から2016年と2018年に北京で開催されたWHO西大西洋ブロックPrevention of Deafnessの会議にはWHO本部ジュネーブからの招聘にてNGOーNPO活動経験者として個人の立場でこの会議に出席させていただいています。そもそもは日本がリーダであったにもかかわらず残念で仕方ありません。

今後、アジェンダ2030のスキームに則って、難聴対策に対する政治的なフレームあるいは社会医学的なフレームは大きく変わっていきます。WHO加盟国である日本もそうした方針に従い、世界の国々と連携しPrevention of Deafnessに取り組みことになります。もちろんこの施策決定にはいまのわれわれ耳鼻科医の立ち位置からは必ずしもハッピーではない方針も含まれていますが、WHOの決議決定を加盟国は遵守し実現する義務を負いますから、われわれ自身が変わる必要のある内容ともいえるでしょう。

さて、「難聴と聴覚障害の予防 アジェンダ2030」と耳鼻咽喉科医のはたすべき役割と今後の展望についてその一部について紹介しておきたいと思います。


 第70回WHO総会で決議決定された「難聴と聴覚障害の予防 アジェンダ2030」では、9つの行動目標が掲げられました。

1.耳と聴覚のケアをプライマリ・ケアシステムに組み入れる
2.耳疾患・聴覚障害に関するビッグデータの収集
3.風疹・麻疹・ムンプスのワクチン施策の徹底
5.娯楽場の騒音による聴覚障害の早期発見
6.安価な補聴器や人工内耳などの開発
7.個人用オーディシステムの音量規制
8.手話・字幕などの推進などを押し進めること
9.上記を2030年までに達成する

紙面の関係から1と6と8について述べていきます。
 1の「耳と聴覚のケアをプライマリ・ケアシステムに組み入れる」とする決議は、耳鼻咽喉科医には寝耳に水な大転換と言えるでしょう。しかし、国内の難聴者数は2025年には1400万人となる見込みで、聴覚スクリーニングや聴覚ケアを耳鼻科医だけで管理することは事実上不可能です。耳と聴覚のプライマリ・ケアシステムの中で、おそらくは家庭医や言語聴覚士や薬剤師の活躍する場面が増えてくる気配です。2025年までに体制を整え2030年には実働しはじめる。大手調剤薬局チェーンなどではそうした準備が始まっているようです。人材育成に名乗りをあげるべきはずの耳鼻咽喉科団体でこれに手を挙げている団体はないようです。
 6の「安価な補聴器や人工内耳などの開発」の要請もおおきな転換点になると思われます。この2年間は市場調査期間となっていてそこを基準に1/3の価格まで下げることを企業に求めていく方針となっていますが、すでにその情報は筒抜けであったらしく、補聴器メーカーはにわかに次々に100万円を超える製品を発表してます。あまりに無節操なその企業体質にはあきれてものも言えませんが、一方で安価な補聴器や人工内耳を供給するメーカーも次々に産声を上げています。両耳4万円未満でNAL-NL2を搭載するOTC補聴器の販売はすでに始まっていますし、従来価格の1/5〜1/10のチープな人工内耳の治験も中国で始まっています。市場原理がこうした問題を解決してくれることに期待するばかりです。
 これら以上におおきな方針転換として、8の「手話と字幕の推進」があります。耳鼻咽喉科医にとっておおきなパラダイムシフトに思えます。国内でもろう者に対する情報保障としての手話言語条例がいずれ手話言語法の法制化につながるほどの勢いを持っていますが、このWHOの方針はそうした動きへの追い風になることは間違いないでしょう。さらに、米国NIHは難聴児にはまず補聴器と手話で対応していく方向性を(費用対効果の面から)打ち出してきましたし、新生児聴覚スクリーニングの無償完全実施は、全日本ろうあ連盟からみれば「ろう乳幼児が手話言語をすみやかに獲得習得できる機会の保障」を目指す運動と捉えられていて、そうした立場から難聴議連を支援しています。われわれは、「聾児=人工内耳の適応」というステレオタイプな思考の中で考えがちですが、社会的には、ろう者・手話者のプレゼンスは高まっており、「手話か人工内耳か」を助言できる耳鼻咽喉科医が求められるのが未来の姿かもしれません。 人工内耳の術者としての耳鼻咽喉科医の立場がゆらぐ話とは異なりますから、その意味では、言語聴覚士にはカウンターパートとしての役割と責任がよりいっそう大きくなるのかもしれません。

価値観は変わりつつある

現代の司法は、過去には合理的判断と思われたら医療行為であっても、何十年も遡って、現代の価値観で謝罪や補償をすることがまれではない時代です。手話が言語という認識が一般化した時、人工内耳術が未来永劫合理的判断によるものと評価され続けるかはわかりません。耳と聴覚のケアをプライマリ・ケアシステムへ組み込まれる流れを作るためには、認定補聴器技能者、言語聴覚士、薬剤師、看護師、耳鼻咽喉科を専門としない医師全てのリテラシー向上がまず急務と言えます。このサイトは、耳と聴覚のケアにテーマを絞り込み次世代の担い手を育成することを目的として開設しました。2030年までに20000人の補聴器と聴覚障がい予防に関するプライマリケアの担い手を育てるを目標に数名のスタッフ(言語聴覚士、補聴器技能者、手話通訳者、補聴器や通信機器の専門家など)とともにこれからの10年間運用していくことにします。
2017年の国会において「難聴と聴覚障害の予防 アジェンダ2030」のスキームの実施責任省庁は厚労省から総務省に移管されました。難聴予防と難聴者対策は、医療介護福祉モデルから、社会共生バリアフリーモデルへと施策変更されたことを意味します。その意味でこのサイトで学ぶ人についてはできるだけ広く門徒を広げていきたいと考えています。

2025年までに10000人、2030年までに20000人、新しい時代の耳と聴覚のプライマリケアの担い手の集団を組織化したいと考えています。一人でも多くの賛同者とこれからを走っていきたいなと。

令和元年 8月吉日 

中川雅文

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