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夜と歌姫

この短い記事では、特定の一名の方に焦点を当てた決断的記述をおこなっているものの、実際には非常に多くの方々に同様の優しさを発露していただいたことをここに明示的に記す
実際に会ったこともない方々の優しさのおかげで、厄介なおじさんは今ものうのうと生きているのである

DrNyao

1.

夜が来るのが怖かった。朝出勤前にシャワーを浴びているときに突然発生した首から肩にかけての激痛と右腕上腕の麻痺は、多くの体の不調のように時間によって軽快することはなく、厳然とぼくの身体を苛み続けた
原因不明で片付けられそうになった初診の病院の診断を信用できなかったぼくは、神経の可視化が可能であるMRIを持つ病院を探して受診した。MRIの画像は明確にぼくの頸椎の神経が骨変した組織によって圧迫されていることを示していた。後縦靭帯骨化症。これがぼくの病気についた診断だった

後縦靭帯骨化症は発症原因が不明の脊髄の病気で、その名の通り脊髄の背中側にある後縦靭帯という軟組織が骨に変わっていき、脊柱の中を走っている脊索を圧迫する病気だ。無症状の状態で発見されることも多いが、神経の圧迫に由来する麻痺が起きた場合、温存療法で軽快することは決してないとされている。正座すると足がしびれるように、圧迫によって神経が押しつぶされてその下流で麻痺がおこるというのが先生の説明だった。正座と違うのはこの変性は一方通行であり、悪くなることはあっても自然によくなるということは無い。麻痺が進行していく前に、一刻も早く全身麻酔下で頸椎の後ろ側を切り開き、少し広げてセラミックのプレートで止めるという手術を行って除圧する必要がある。こうしてぼくはいきなり日常から非日常へと放り込まれた

2.

夜が来るのが怖かった。激痛が少しおさまったすきに病気について調べたり、仕事の連絡をしたり、そして激痛が襲ってくると布団でもだえ苦しんだり、割と忙しかった。しかし、ずっと起きているわけにはいかない。どんなに激痛でも夜は寝なくてはいけない。そうして床にはいると純粋に激痛とのみ対峙しなくてはならない。それは出口のないトンネルに放り込まれたような気持だった。実際右腕はほとんど動かないため、この先どうなるかが全く読めなかった。手術には危険がつきもので最悪四肢麻痺という可能性も先生からは提示されていた。夜は、そうした非日常に対峙する時間だった

そんな暗い海の底のような夜の中にさす光がTwitterだった。このSNSでは当時主にいろいろなVTuberさんの推し活をしてたのだが、ぼくが投げ込まれた非日常の底からも、その短文SNSの窓を通すことでいつもと同じ日常を覗くことができた。当時のぼくはTwitterにおいてかなりお行儀が悪いとされることをした。つまりいろんな人にメンションを飛ばしまくったのだ。ひとりでいるのがこわいので誰とも知らぬネットの向こう側に手当たり次第にしゃべりかけた。多くの人が答えてくれ、様々なアドバイスや勇気づけ、重要な補助制度の紹介、病気に関する情報などをくれた。これらがなければぼくは気がくるっていたかもしれない。本当に感謝している

3.

非日常の夜の中で、こたえてくれた人々の中に歌姫がいた。すらりとした長い手足と長身が特徴的なVSingerさんで、クラッシックの声楽を思い起こさせる壮大な歌唱力と、VR機器を駆使した先端的活動スタイルが持ち味で、あと、大変光る。当時ほぼ厄介オタクと化していたぼくは、その光る歌姫にも声をかけた
終わりが見えない長い暗い夜の中で、歌姫はいつもと変わらない冗談を言い、いかしたブロマイドを送ってくれ、そしてリプライスレッドは止まらなかった。ぼくは仕事を休んでいたし、痛みで眠れなかったのでそれは深夜に及んだと記憶しているが、それでも話しかけると即レスが帰ってきて、まるで隣にいて会話しているような長いスレッドがそのあとに続いた。その時だけは長い暗闇から日常に帰ってこれたような気がしていた

スマートフォンの小さな画面越しに日常が立ち現れた。動かない右手にとらわれた暗いトンネルの向こう側には歌姫がいて、いつもと変わらない日常を提供してくれていた。この「日常」の持つパワーは、ぼくの精神をこの世につなぎとめてくれていたと思う。ほぼ毎晩のように行われた歌姫との会話の向こうに、ぼくは取り戻すべき日常をみていたと思う

4.

手術の日が迫っていた。キャットシッターさんを頼み、万一の際の手配を済ませて入院すると、やはり夜には歌姫がスマートフォンに現れた
経口補水液に関する会話か何かをしたような記憶がある。ほとんど一睡もせず手術当日になった
全身麻酔は暗黒だった。たぶん死というのはああいう虚無なのだろう。夢も何もない「ぼくは痛みに弱いか・・」で途切れた記憶は、ダイレクトに術後の病室につながっていた
首の痛みはほぼ消失していた。右腕の麻痺はほぼそのまま残っていた。しかし、執刀医によれば手術は無事成功し、麻痺が進行することはもう無く、長いリハビリによってその機能回復を目指すことになるということだった。その夜の歌姫との会話は短かった。たしかブロマイドをくれたのはこの時だったかな?この夜はいろんな人が手術をねぎらってくれた。そして歌姫との会話はこの日を最後に通常の形に戻った。日常が戻って来始めた

5.

歌姫はぼくが非日常の苦しみにある間、なぜこんなに長い会話に付き合って日常を提示しつづけてくれたのだろうとぼくは時々思う。ある種の鋭敏なセンサーのようなもので日常の必要性を感じ取ったのだろうか
この時以来、ぼくも可能な範囲内で日常が必要そうな人に積極的に話しかけるようにしているつもりだ。長い夜にも、その多くの場合朝は来る
すらりとした長い手足と長身が特徴的な、クラッシックの声楽を思い起こさせる壮大な歌唱力を持ち、VR機器を駆使した先端的活動スタイルの歌姫は長い夜の果てに訪れる朝の光なのだろうか

光るし


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