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ダウン症として産まれてきた下の子。

少し時間はかかったが、無事産婦人科から退院することができた。

見た目は、まるで何も問題のない赤ちゃん。

心臓に空いた穴のせいでミルクを強く吸い込む事ができないが、それでも普通の赤ちゃん同様、いたって普通に生活していた。

決して忘れることはなかったが、2ヶ月後に大きな手術が控えている。

本当にそうなのかと疑ってしまうほど平穏な日々を過ごせていた。

そんな日々はあっという間に過ぎていき、手術当日を迎えた。

手術方式の説明を受けたが、たとえ親であっても「代わってあげたい」などとすぐには言えそうもない。それほどまでに過酷な内容であった。

あとは無事を祈るのみ。

手術室に運ばれる我が子を黙って見届け、無機質な待合所で時間が経過するのをひたすら待った。

手術時間は5〜6時間と説明を受けた。

その間上の子を楽しませることに励んだが、どこか身が入らない。

そりゃそうだ。今下の子は、命をかけて戦っているのだ。

5時間が経過したが、まだ出てくる気配がない。

少しでも都合良く考えようとしたのか、5〜6時間と言われたにも関わらず5時間で終わるものと思い込んでいたことに気づく。

6時間が経過し、まだ出てこない。

「何かあったのではないか」と心配になる。そんな私を見て、妻がたしなめる。

いじらしい時間の誤差が、焦りと不安を秒単位で駆り立ててくる。

それから30分して、ようやく手術が無事終わったとの知らせを聞く事ができた。

とりあえずは一安心。ほっと胸を撫で下ろしつつ早くこの目で我が子の無事を確認したい気持ちでいっぱいだった。

病室へ、妻と私だけが呼ばれた。特別な患者さんのみが収容される部屋らしく、極力菌を持ち込まぬよう最小人数しか入れないようにしているのだそうだ。

一体、どんな姿になっているのだろう。どんな顔をして見ればよいのだろう。

一歩一歩足を進めながらそんなことを考えていたが、目に入った我が子の姿を見て言葉を失った。

身体中には包帯という包帯が巻かれ、点滴が刺さっている。

体を動かさないようにと厳重に固定されている。

なぜ、うちの子がこんな思いをしなくてはならなかったのだろうか。治してくれた喜びよりも、手術が無事終わった安堵感よりも、そんなやるせなさでいっぱいになった。

痛かったろう。辛かったろう。なぜ私は何もしてあげられないのだろう。

流産の時もそうだったが、こんな時父親は本当に無力だ。

もう迷わず言いたい。できるのであれば代わってあげたかった。


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