2人目の子供が産まれる。

妻が待ち望んでいた、待望の女の子だ。

出産日が病院で決められてしまっていたため、「いつ産まれるの?」というワクワク感こそなかったものの、とにかく早く対面したい。

10ヶ月の苦労も、今日のこの日のためにあったのだ。

陣痛促進剤のせいで苦しむ妻を見ているのは辛かったが、あと2時間の我慢だ。

何もできないながらに、ただそう祈っていた。

「出ますよ」という助産師さんの声とともに、文字通り産声を上げた。

四肢がある。指も5本ずつある。真っ先にそれを確認し、一安心。

ただ、どうにも全体的に腫れぼったい。皮膚がたるんでいるようにも見える。

1人目が比較的スマートだったせいだろう。そういう子もいるのだ。

楽観的に捉え、苦痛に耐えてくれた妻を労った。

病室に戻り、一仕事を終えた妻がこう語りかけた。

「何か違和感感じなかった?」

言われてみればそんな気もしなくもないが、そんなことはないのではないか。

妻に告げるとともに、自分にもそう言い聞かせた。

待望の女の子と、もう間もなく会える。早くこの手に抱きたい。

期待で胸を膨らませていた矢先、妻と私が医師に呼ばれた。

もう、この時点で嫌な予感しかしなかった。

医師から告げられたのは、この子がダウン症である確率が極めて高いということだった。

予想はできていたものの、医師の口から言われるとさすがに頭の中は真っ白になる。

産後間もない妻にしてみれば、これほどまでに非常な宣告はないだろう。

病室に戻り、涙を堪えきれなくなった妻を、とにかく励ました。

「せっかく母も子も苦しい思いをしたのだから、とにかく産まれてきてくれたことを祝おう」と。

1週間後、遺伝子検査の結果を元に正式にダウン症である旨を告げられた。

この頃にはもう、産まれてきた喜びの方が勝っていた。ただ、この子の将来はどうなるのだろうという不安は拭い切れなかったが。

転座型という極めて珍しいタイプであると告げられた。

そしてダウン症の子には多いのだそうだが、心臓内の壁に穴が空いており、おそらく2〜3ヶ月後には手術が必要になるとも伝えられた。

ダウン症とは関係ないが、酸素の取り込み量が少ないためにカプセルのようなものを被せられていた。そのため、しばらくは看護師さんの元に預けられた。

ダウン症であることよりも、我が子にすぐに会えない方が何倍も辛かった。できる限り時間を作って会いに行くようにした。

直接我が子に触れられる時間は極めて短い。その貴重さも相まって、対面できたは本当に幸せだった。

同時に、不安も押し寄せた。こんなに可愛くてこんなに小さいのに、大きな手術が控えているなんて。

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