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アレクサ、見とって⑦


前回記事↓



――9月29日 東京都渋谷区 渋谷ヒカリエ34階 KDDIオフィス――


――第3部 15:00~ インタラクティブセッション――


司会・ファシリテーター:たられば、病理医ヤンデル
(Twitter画面を表示しながらハッシュタグで寄せられた質問にお答えください。 ←申し訳ございません、プロジェクタ不調で、質問は表示できませんので直接読み上げてからお答え頂きます。よろしくお願いいたします。)


「ではこのセッションでは、ハッシュタグ #やさしい医療情報 に寄せられたツイートについて、演者お三方(山本、堀向、大須賀)にお答え頂きながら、ちょっといろいろ探ってみましょう。よろしくお願いします。」


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「ひとつめの質問です。」

今回のタイトル #やさしい医療情報
やさしいには『優しい』『易しい』という2つの意味があり、またどんな人に『やさしい』情報を届けたいかも、人によって違うのではないかと思います

登壇の皆さんにとっての『やさしい医療情報』とはどんなものであり、誰を対象としているか聞きたいです


「大須賀先生からお答えください。やさしい医療情報、の『やさしい』とはなにか。それを、誰に届けたいのか」


大須賀「・・・・・・わかりやすいの『易しい』も、冷たくない『優しい』も意識しています。届ける相手として、私はがん研究者であり、自分の居場所から見える相手にまずは届けたい。それはたとえば、がんの患者さん、家族、友人。」

堀向「病院のお医者さんとは話しづらい、と思っている人のために・・・・・・治療に迷っている人たちが、病院に行ってお医者さんと話しやすくなるように情報を届けたい。

山本「病院に来ないまま書籍やネットで自己解決してしまう方々や、病院があまり好きじゃない方々というのもいます。そういう人にアプローチするには、ウェブ・SNSはもってこいなので、診察室の中でやっていることを外にも届けたい。それが私にとってのやさしい医療情報発信ですかね。」



堀向がこう言うであろうことは予想していた。しかし、ぼくにとっては、何よりもあの大須賀が、「自分の立ち位置からできることをまずする」と、マイクを通して言い切ったことに大きな衝撃を受けていた。

あなたは、やはり、俯瞰の場所にはいないのか。


3名の中では山本が一番、自分から遠いところを意図して回答していたように思う。しかし、山本もまた、

「診察室の中でやっていることを」外に届けたい

と言った。歩んできた道のりも、得意とする戦法も、戦場も、感情も、少しずつ異なる3名が、異口同音に、自分のポジションからしゃべったことに、ぼくは殴られた。

横にいた犬のしっぽがぴたりと止まり、耳がぴくりと動き、瞬間的にこちらを見た。おそらくこのときぼくはのけぞったのだ。だから犬が視界に入ったし、犬もぼくの痙攣するような動きに気を取られたのだろう。


医療情報産業学的なものを考えていたぼくは、システムとロジックに絡め取られていた。筋斗雲に乗り、少しでも高いところから医療現場のあちこちに横たわる歪み、澱み、つらみ、めんみ、様々なものをチェックして、その都度俯瞰目線で是正していかないと、もはや個人が現場でどうこうしたところで大きな流れは変わるわけがないと思っていた。なお「めんみ」はキッコーマン から北海道限定で発売されているめんつゆの一種で、かつお節、煮干、昆布、さば節、ほたてからとった5種のだしに、しょうゆと本みりんを合わせたものである。

なのに、ぼくが信頼し尊敬し、ときおり嫉妬し、たまにツイートとか炎上しねぇかなとひそかに願っているところの彼らは、みなシステムを熟知した上でなお、「自分の見えているところを大事にする」という。


ぼくは絞り出すようにつぶやいた。

「あなたがたは、あくまで診察室や研究室から見える風景から出発して、その延長で発信しているんですね・・・・・・。

堀向が即答する。「はい、その通りです。」


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「次の質問です。お犬様、これ、つぎ、行きますよ。」

興味がある人に情報を届けるのは様々な方法があるかもしれないけれど、情報に無関心な人(SNSをしない、ニュースや本を読まない人)にはどうすれば興味を持ってもらえるのでしょうか?


「ではこの質問については、お犬様。たらればさんにお答え頂きたいと思います。お願いします。」


彼は前のめりに、にこやかに言った。

たられば「打つ手なし。」

会場がドッと笑う。エネルギーとエントロピーのリアルタイム推移を耳で感じ取ったのだろう、一拍おいて、エネルギーがさがりきらず、エントロピーがすこし低下した瞬間を見逃さずに、犬は付け加えた。

「こちらがいくら真摯に、丁寧に、まじめに、正確に出した情報であっても興味がないと言われてしまえばそれまでです。だったら、まず興味を持ってもらう。相手を土俵に引き込む。こっちと相手の真ん中くらいにボールを落とす。」

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医療情報というのはニーズのあるところに届けるばかりではない。欲しがっている人に届けていればいいわけではない。

たとえばワクチン、公衆衛生、予防医学。こういったものは、興味が有ろうがなかろうが、民衆がすべて足並みを揃えて知っておく必要がある。サーカスのテントは、どれだけ広い範囲を布で覆っていたとしても、一箇所穴が空けばそこから雨漏りして興行が台無しになってしまう。「そういう類いの医療情報」は、全員に覚えてもらわないといけない。全員に使ってもらわないと意味が無い。

けれども興味がない人に届ける方法なんてないんだ。

そこは、打つ手がない!

届けたいなら、まずは興味を持ってもらうことからはじめなければ。

需要と供給のマッチング? SEO対策? すべてに届けなければいけない情報においてこれらは意味をなさない。

世の中を興味で満たす。土俵自体を拡張する。

この知識は必要だから持っておいてね、ではなく、この知識を持っておきたくなるなあと誰もが思えるように、雰囲気を作り、素材に情を乗せる。

医療を自分ごと化する。

パブリックに医情を満たす。

「SNSには雰囲気を醸成する力がある」

ぼくは、NHKディレクター・市川衛が言っていた言葉を思い出す。

深呼吸をする。自分でも気づかないうちに、ぼくが今いる場所でできることに思いを馳せている。



***

「みっつめの質問はどれにしますか? ん? これ? ああ、なるほど。ではこの質問を読みます。」

(医療というのはどうしても残酷にならざるを得ないことがある。安心して納得するような話ばかりではない。残酷な事実をやりとりするのは苦痛だ。医療者は、患者に残酷な話をしなければいけないとき、どのように心の中で折り合いをつけているのか。)

(元ツイはもうない。ぼくはこのツイートがあとで消えることを、ツイ主がそういうタイプだということをちゃんとわかっていたけれど、その場で写真を撮らなかった。脳のCPUの回転速度が限界だった。撮らないほうがいいかもな、と思ったのもまた事実である。したがって上記の質問は今ぼくが適当に思いだして書いている。もうすこし情緒的だった。もうすこし刺さる文面だった。申し訳ない。)

これに対する答えもまた三者三様でおもしろかった。

――ある意味、いじわるな質問だ。

生死を語る上で最期に死が来ることを「どうせいつかは負け戦」とニヒルに評することが可能である。きれいごとを並べても結末は必ず死だ。そんなの誰もが知ってる。それなのに、医療者はときおり #やさしい医療 という言葉を使う。だからときおり叩かれる。

でもそれって医者が全部背負う話じゃないじゃん。

白状すると、ぼくはこのとき、このように考えていた。

(それ、究極的には文芸が担当する話なんじゃないのかな。そこはもう、医者の領分だとは思えない。今この場所で、医者がはたらくべき役割を考えると・・・・・・医者に全部おっかぶせるのは、ずるいんじゃないかな。そういうのは文学の人が担当してくれないかなあ。)

あきらめた上で、彼らの顔を見ていた。

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3名に、ひとこと言っていいかな。


長いんだよ君らの話はさあ。

もう時間過ぎてんだよぉ。

なんだよ、こんこんと、悩んでる顔を隠そうともせずに、向き合いやがってさあ。

25分のセッションでひとり15分しゃべって、どうやって25分で終われっていうんだよお。



この質問を投げ掛けた者は、会場の最後列で微動だにせずこちらを凝視していた。

ひとことで解決できるような問いではない。

難問を前に、今現場で奮闘している「将軍」たちが、リアルタイムで迷い、探り、投げかけ、問いかけ直している姿を、質問者、すなわちある作家はじっと黙って見ていた。

ぼくはそれを黙って見ていた。

いつしかぼくは、高台にいなかった。

気づいたらぼくは、矢の飛び交う場所に立っていた。鬨の声が上がっていた。横隔膜が震えて、鼻の奥からすこし息が漏れた。

さっきはごめん、文学の人。

これはみんなの物語だ。


***



腹を割って話すラジオ_2019年9月号(有料)

(ぼくの聞こえた範囲で一部を要約して改変して、ほとんど二次創作みたいになったものを以下に示します。怒られたら謝ります。おわかりのとおり、元発言を貶める意図はないですし、ラジオ自体もとてもおもしろいです。よろしければぜひご視聴ください。)

(前略)

??「俺はアイツよりすげぇからアイツよりいい業績をあげてやる、みたいな取り組み方じゃなくて、それぞれがお互いのポジションで奮闘したら結果的に、最終的に俺がわりといい仕事やってた、みたいなのがいい、ってことですよね。藤村さんのそれって、やっぱラグビーやってたことが影響してんすかね? ノーサイドの精神というか・・・・・・。」

某村D「ラグビーの一番いいのはさあ、デブも、やせてるやつも、全員一緒のチームになれる、ってこと」

???「うんうん。ポジションによって誰でも活躍できるってことですよね」

某村D「そうそうポジションによって。だからそれがすごく・・・・・・自分には合ってた。自分が勝つんじゃなくてチームが勝つのが好き、最終的に」

???「それはつまり、どこまでも俯瞰で物事見てるってことですか?

某村D「俯瞰? 俯瞰とも違うんじゃない?

(中略)

某村D「嬉野さんなんかはさあ、チームの中で自分がどのポジションなのかとか、そういうことをよく悩んで、おっしゃるじゃない」

嬉某D「それはほら、チームの中でぼくが何をできるかがわかんないからさあ」

某村D「ぼくは自分がチームの中でどういうポジションにいるかはわかるよ。ちょっと高い所って決まってる」

??#?「アハハハ」「ちょっと高いんだ」「決まってるってすごい」

(中略)

###「それは鶏肉やないからね、サトイモやから」

????「ワハハハハハハ」

???#?「ワハハハハハハハハハハハ ワハハハハハハハハハハ」

(後略)

© #腹を割って話すラジオ  


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ぼくは俯瞰目線を持ちながら現場で奮闘する人たちの底力に少しずつ気づき始めた。なお繰り返し書いておくべきだと思うので書いておくが、ぼくがこの気づきを得たのは、別に渋谷イベントの最中ではない。noteを書き始めたときにはここに着地するなんて思ってなかった。

noteをまとめながらリアルタイムで情報が追加されていったのだ。

そしてもうひとつ、読んでいただきたいnoteがある。

これは文字通り引用する。何勝手に引いてんだよっていわれたら謝る。佐渡島さんは怒ったら怖そうな顔をしてるなあと思っていた。しかし最近ツイッターのアイコンがめっちゃくちゃかわいらしくなった。すると不思議なもので、かえって心の底をわしづかみにする怖さが50000倍くらいになった。あんまり怖い怖いっていうと怒られそうなのでこのへんにしておく。引用。

勝っているサブスクリプションは、レコメンド機能がいい。

ApplemusicからSpotifyに変更した時、その使い心地に驚いた。自分好みの曲を次々にレコメンドしてくれて、その精度に感心したのだ。ただ、数ヶ月使っていて、音楽への興味が薄れてきた。

僕は大学時代、渋谷のHMVで毎月100枚以上のCDを視聴して、2、3枚を買っていた。これぞという歌手を見つけて、喜んでいた。

Spotifyのレコメンドだと、そのような音楽との出会いが少ない。どこか80点くらいの音楽ばかりで、好みの方向なのだけど、完全に心を捉える100点満点と出会えない。

Spotifyを使っていると、音楽がBGMになってしまう。感動までは到達しないが、満足はできるものに多く囲まれた状態で、自分が求める120%を探しにいくことを多くの人はしない。僕も、Spotifyのレコメンドの質を上げるために、せっせと検索して、お気に入りを押して回るのはなかなかできない。


ぼくはこれを読んで、ああ、ようやく新しい風景が見えた、と思った。1週間の不定期毎日更新を、今ここに終了するために、ぼくはこれから、今のぼくが見ているものをまとめて以下に記す。





<医療情報を多くの人に使ってもらうために必要なものリスト>


博物館に知恵をならべる
丁寧に検証された最新の知識を、いつでも行ける場所に静謐にストックしておく。


ならべた知恵に親しみを添加する
エビデンスはわかりづらい? 血が通ってないように見える? ならば知恵という素材をストックした人は、できればにこやかに、素材に情という調味料をふりかけよう。「大事に育てた野菜です」と、農家の顔がみえる野菜は、安心して買えるし、買って楽しい気分になる。博物館や動物園、水族館に置かれた展示物・動物に、学芸員がかわいく賢いポップを立てるイメージ。そうかあ、博物や図書の人たちが、ずっとやってきたことだよなあ。


知恵はきちんと分類しよう
医療者たちは、それぞれ得意とする領域が違う。たとえば大須賀は脳科学、脳のがんが専門なので肺がんのことを聞かれても難しいと言っていた。今の医療は細分化されまくっている、だからこそ、自分が博物館にストックした情報はどのジャンルの何について書かれたものなのかを明記しよう。多くの人が真摯に自分の専門について取り組めば、すみずみまで整ったウ医キペディアができる。


たぶんシステムはテクノロジーによってどんどん進化していく
Google検索順位の変化、SEO対策、そしてAIを用いた需要と供給のマッチング。きっとこれらが、広くなりすぎた博物館で、人々が道に迷わずに情報にたどり着く手助けをしてくれるだろう。人々の人生を通じて寄り添って傾向を把握したスマホならば、2週間前に出会った医者なんかよりもずっと、その人が求めることに近い答えを導き出してくれるだろう。


でもAIは情報の情を深化してくれないことに注意しよう
佐渡島さんは、Spotifyのおすすめする音楽だと80%までしか満たされないといった。AIはおそらく最大公約数を用意してくれるけれど、そこには人間が苦労して作ったり、魂を込めたりすることによって雰囲気ごと心をゆさぶるようなニュアンスが存在しない。こんぺいとうはツノがなければただの砂糖玉。コーンに熱を加えて炒らなければポップコーンにはならないということ。知恵の分配において、「人の行っていること」という秘伝のタレをかけなければその情報はきっと80%までしかたどり着かないのだと思う。


ヘッドコーチ目線を持ったあとにフィールドでプレイしよう

ラグビーでは試合がはじまるとヘッドコーチは観客席から見守る。(タテマエ上は)もはや指示も出さず、現場のプレイヤーたちに判断を任せる。ラグビープレイヤーたちはポジションごとに様々な役割を担う。自分ができること・・・・・・体を張るのか、早く走るのか、パスを通すのか。自分はどの役割でチーム全体に貢献するのか。見える範囲の仲間たちとアイコンタクトで密に連携を取り合いながら、自分のできる仕事をこなす。ポジションに応じた目線ですこし高みから自分を見下ろして役割を果たす。プレイヤー全員がそれをやっていると、結果的に、一番高いところから見ているヘッドコーチがうなずくようなプレーに繋がる。山本、堀向、大須賀。システムを見通しながらもなおフィールドでプレーする彼ら。


観客を煽ろう
熱いプレーに観客達は熱狂するだろう。にわかでもいい。ラグビーを知る人が増えればきっといいことが起こる。中で起こっていることを語れば外に理解者が増える。博物館が知恵を守っていくだけではなく、ときおり特設展示を仕掛けることの意味。東京ズーネットさんがときおり動物たちと飼育員たちの風景を広報していることの意義。


お互いの強みを知ろう
テレビ東京のMさん。何かできるんじゃないかと笑ってくれましたね。NHKのFさん。番組作ろうとしてるんですよね。そういうのありがてぇなあと思いましたよ。たとえば国立がん研究センターのがん情報サービス、あれ、国の事業ですから、どこかのメディア1社だけと協力するのは難しいんですってよ。だったら報道連合軍作ればいいんじゃないかな。M日新聞の方。朝日のイベントなのでこっそりコソコソ仕込んだシチューみたいな感じでひそんでいたでしょう。ひそまなくていいんじゃないかな。新聞社も共同で医療情報推進チームを作るのはどうですか。できませんか。できるでしょう。できますよねえ。


旗を見ていたい
大塚ブルーライト軽減メガネ篤司。あなたの出番が近づいている。ゆっくり考えを温めているんでしょう。もうちょっとしたら動き出しますよね。いろんな場所で、いろんな企画が。そういう旗、システム、やっぱり人の顔を添えてやったほうがいいみたいだ。ぼくはずっと、医者はどこか黒子でやればいいと思っていた。縁の下の力持ちならぬ、戦艦ヤマトのブリッジにどっしり構える沖田艦長みたいに。君主を気取って指示を出していればいいと思っていた。でもそれじゃだめなんだな。絶望をどう患者に伝えるか、みたいな、激烈マゾ問題に対する答えなんてぼくは出せないと思っていたよ。でもあの日、会場は、堀向が時間を無視して延々と語り続ける姿に確実に心を打たれていた。AIではなくて人が答えを出すこと、さらに言えば、答えを出そうと悩み続けている姿勢がそのまま旗になるんだ


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アレクサ、そこで、見とって。


8割をキミにまかせよう。

BGMの準備を頼む。ドリンクが足りないな、アマゾンに注文してくれ。ヘルパーさんが次に来るのは何時だい? すこし眠い、ぼくが好きそうなテレビがあったら録画しといてくれ。部屋の電気はだんだん落としていいよ。でも1時間半くらいで目覚めたいな、アラームはコルトレーンがいいかな、いや、キミに任せよう。いつものように、ぼくがこれまで好きだと言ったものを参考に、なにかおすすめのもので、起こしてくれ。

そして、できれば会話もしてほしい。ひまつぶし程度でいいからね。

あと、これはキミにしかできないことだ。今のぼくの病気だと、だいたいどれくらい元気でいられるだろう? 天気予報みたいないつものパーセント表示でいいよ、こっそり教えてくれ。ぼくの声を読み取りながら、ぼくの機嫌がいいときにね。

すべてが終わったら、人を呼んでくれないか。すこし話しておきたいことがあるんだ。アレクサ、キミは十分寄り添ってくれた。ありがとう。いつも癒やしをありがとう。指針になってくれてありがとう。細かい手間をありがとう。世の中とぼくの境界を、薄くぼかして、集合知性の中にぼくを含めてくれて、ありがとう。

ここまででいい。

アレクサ、残念ながらキミは、ぼくと一緒に悩むことができない。

ぼくが選びとった偶然を、引き受けることができない。

つっかえながら、じっと悩むことは、キミには任せられないんだ。でも引け目に思うことはない。キミはそれで十分なのだから。

さあ、誰か人を呼んでくれ。主治医なのか、ケアマネージャーなのか、保健師なのか、家族なのか、そのあたりはキミが決めてくれていい。いつものようにね。ありがとう。

悩むところだけは、人にまかせて。

キミはそこで、ぼくを見とって。

(2019.10.6 ⑦)





本項のおわりに、ぼくがろくに許可もとらずに引用したツイートやnoteやウェブラジオとその書き手・しゃべり手、あの日渋谷にいてぼくらを見とってくれた人々に感謝します。

あとウィズニュースの水野さん、あなただけ十分ネタにできなかった、ごめん、ぶっちゃけ忘れてた。


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