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アレクサ、看取って② 俯瞰に眉をひそめた男


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渋谷の朝、ぼくは立ち並ぶビルがどれも古いことに気づいた。東京って意外と建物が古いんだな。

あちこち補修されて大規模な工事も行われている。生まれ変わりつつある街といえば聞こえはいいが、どちらかというと、全身にチューブをつなげて周りに何人も足の長いミニスカ看護師をはべらせた「海賊・白ひげ」のようだ。強い、危うさ。

「何度も何度も繰り返し殴られると、ひたいは簡単にやぶけて血が出るようになるが、同時にすぐ止まるようにもなる、それがプロレスラーというものだ」という医学的根拠不明な某局実況者の名言を思い出す。ここは何度も殴られすぎた街、新陳代謝が早い。角質が落ちずに残っているけれど、あと数日もすると、垢となって排水溝に消えていくだろう。全身の細胞が横並びに若く揃うことはあり得ない。常にどこかが古くなり、下から押し上げられ、はがれる。流動の中で最大公約数的な最新を保つ。それが、人体にも、街にも、共通した生き残りのシステムなのである。

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そういえば昨日はワールドカップ・ラグビーで日本がアイルランド相手にジャイアントキリングを果たしたんだった。他人に騒ぐ街、渋谷。昨晩は盛り上がったのだろうか。残念ながらぼくは今、それどころではなかった。スマホに着々と届くNHKニュースアプリの通知も今日は切っている。もはやインプットの余裕はない。国民的関心事に引っぱられないように、後ろ髪は軽く刈り上げてきた。

大須賀覚という巨大な才能と握手する15分前、ぼくは無言で舞い上がり、渋谷を閉め出した。古いビル、一瞥、新しいビル。渋谷駅と書かれた矢印。Googleと書かれた矢印。おそらく渋谷よりも人体に近いであろう巨大企業のビルの真下に、今日の会合場所はある。

大須賀先生……いや、もう、先生はなしでいこう。失礼をわびる。その上で意図を飲んでもらいたい。

大須賀はモーニングビュッフェのメインディッシュを選んでいた。

ぼくが先にフレンチトーストとなんちゃらハムのなんとかかんとかを注文。上にかけるシロップをえらんでください。じゃあこっちの名前の長い方で。はい。ではお連れのお客様は。ぼくと店員とが大須賀をみる。大須賀は一瞬で世界に対するすべての敵意を消し、もっとも短い究極の答えを発する。

「ぼくも、まったく同じのを。」

好感度が600倍(強拡大)になる。

なぜ?

それはもう言語化できないししなくてもいいと思う。わからない人にはわからない、ぼくにだって完全には理解できない。とにかくこの人いい人だなあと思った。これは、ぼくが人生を通じて育ててきた個人的な「文脈」が、彼のセリフというひとつのコンテンツを、「合理性を邪魔しない優しさ」という書棚に分類して納めた、ということなのだ。コンテキストを共有していない人にとっては、「ぼくも、まったく同じのを。」というひとことが、やや高級感のあるホテルの2500円もするモーニングビュッフェで糊の利きすぎたワイシャツを着た給仕相手に発せられた際に、どれくらい同席者を安心させるものか、伝わらなくて当然である。伝達には能力が必要なのではない。流れが必要なのだ。

もちろん医療においても同じことがいえる。医療は生活であり人生でしかない。

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ぼくは大須賀に、彼がこのたび日本癌学会(京都)ではたらいた内容をたずねた。詳しくは彼もどこかで語るだろうから、ここで彼より先に詳細に述べることはしないが、ぼくはぼくの目と耳を通じて入って来たぼくなりのストーリーとして「真実」を語る。

大須賀は日本癌学会に招聘され、「がん研究に対しどんな切り口でもよいから語れ」という、もはやノーベル賞受賞者クラスでなければ許されないほど大仰で大味で大雑把な依頼をうけ、これに”仕掛けた”。

こういうときは自分の研究業績を述べるのが普通だ。成功体験には圧倒的な訴求力がある。学会と、並み居る列席者が望んでいること。最高の名誉。

しかし大須賀はその輝かしいステージ上で、がん医療をめぐる情報戦略に我々が負け続けていることを語った。

大須賀はデータをもとに日本癌学会を煽った。日本の大学や病院に配備されている情報戦略担当者の数が少なすぎること。ニセ医療、ハイエナ医療、サギ医療、はては医療とよべない闇によって、がん医療に携わるまじめな医療者達の元に届く前にトロッコの進路を切り替えてしまう人がどれだけ多いかということ。

会場は騒然としたという。それはそうだろう。

「そんな患者、私の周りにはほとんどいなかったと思う。」

あるがん専門医は語った。当たり前だ。がん専門医にたどり着く前の段階ですでにダマされ終わっているのだから。善良な医師たちは病院に来ない選択をした人々と出会うことはない。

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しかし、これを。

この話を、日本癌学会でやったのか!

海軍最高戦力が足を組んで見下ろす中にひとり降り立ち、「グラグラの実」で海振を起こしたエドワード・ニューゲートの姿がありありと浮かぶ。

***

自分が何をしたいか。自分の持っている武器は何か。自分が動くことで何ができるか。

これらを見通して実際に行動する大須賀の目線、頭脳、そして手足。朝の渋谷の高級ホテルでぼくは、彼の俯瞰目線に脱帽した。そしてこう伝えた。

「あなたは、背景に流れるシステムやロジックを見通すのがとてもうまいですね」

すると彼は、ほんとうにわずかな時間なのだが、眉をひそめたのである。だからぼくはあれっと思った。直後、あらゆるグリアがシナプスを殴り始めた。

もしや、彼がやりたいこと、やっていることは「俯瞰ではない」のか?

ぼくは彼の表情がすこし変わってまた穏やかに戻るまでの4秒でたぶん2キロほどやせた。このブラックボックスを開けたい。瞬時にそう感じた。


ぼくが、大須賀がほんとうにやりたくてやっていることの正体を半分掴んだのは、この日の夕方。 #やさしい医療情報 の第3部、インタラクティブセッションで、ぼくが投げた質問に大須賀が答えた瞬間、ぼくは彼の意図がすこし見えた気がした。

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そして残りの半分をぼくにもたらしたのは、藤村忠寿という民放局のディレクターが居酒屋で放談した内容を雑にネットラジオ化した15分の番組なのである。( #腹を割って話すラジオ

めっちゃくちゃに音質は悪いぞ。覚悟してほしい。おまけに有料だ。ごめんね。このラジオが公開されたのは2019年9月30日月曜日。すなわち、渋谷イベントの翌日の夜。実際にこれを聞いたのは10月1日火曜日の朝。つまり、今日。

今のぼくは、渋谷の朝に彼が瞬間眉をひそめた理由を書くことができる。しかし、順に語ろう、今はすこし待っていてほしい。書くことは山ほどある。

そもそも渋谷の朝に彼が語った内容はこれだけではない。ぼくがこのnoteに書くべきは、彼の優れた現状把握能力だけではなくて、それに対してどう対策を打っていくかという具体的な行動指針についてだ。問題提起だけで終わる気は無い。

加えて、 #やさしい医療情報 で山本健人、堀向健太、そして編集犬が語ったことを丹念になぞっていくことも必要だろう。そうすれば大須賀の話がより深く見えてくる。

ぼく自身、早くすべてを書いてしまいたい気持ちはあるが、もとよりぼくは多弁に過ぎるのだからすこしペースを落として書いた方がいい。だいいち、もう、始業時間だ。


……と、これで次回に続くとまるで次回予告だけで1話使ってしまう一時期のアニメ版ドラゴンボールのようで不親切かもしれない。だから簡単に、ぼくが大須賀に対して今感じていることを書いておく。

彼はラグビーのヘッドコーチになりたいわけではない。

フィールドでノーサイドまで戦い続けたいのだ。

ラグビーの選手としてよいプレーをするのに必要な目線は、俯瞰だけではない。俯瞰だけだと足りない。

では、どういう目線を持つと、よいラグビーができるのか?

たぶん、このnoteでは今後そういう話も書くことになるだろうと思う。毎日更新は無理だけど、なるべく、あたたかいうちに書いていく。

(2019.10.1 ②)


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