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怪談市場 第二十八話

『天使さま』

物心ついた頃から小学4年生の秋まで、トモミさん(仮名)は時折、天使を目撃したそうだ。

「薄曇りの午後、空を見上げると、雲の切れ間から陽の光が筋になって射しこんだりして、綺麗じゃないですか」

トモミさんはうつむきがちに、上目づかいで語り始めた。彼女の言いたいことはわかる。確かに美しく、厳かな光景だ。雲間から放射状に降る幾筋もの光。西洋の宗教画では天使が舞っていたりする。そんな感想を述べると、トモミさんは大きくうなずいた。

「そう、まさに! 雲の合間から射す光の中に、ごく稀にですけど、天使さまが出現するんです。ただ、その姿が……」

言い淀んで、彼女は再びうつむいた。

「天使」と聞いて、誰もが真っ先に思い浮かべるのは、懐かしの名作アニメに登場するアレだろう。最終回のラスト、教会で力尽きた子供と犬の魂を天に運ぶ、白人の赤ちゃんで、金髪の巻き毛で、背中に羽をはやして、オプションでラッパかなんか持ってる、例のやつだ。だがトモミさんが目撃する天使は少々、いや大きく、一般的な天使像とはかけ離れているらしい。

「あきらかに日本人で、しかもオバサンなんです。雲の切れ目からオバサンが逆さに顔だけ出して無表情に覗き込むの。私、姉がいて、当時は2段ベッドを置いた部屋を共同で使っていたんですけど、上の段に寝ているお姉ちゃんが話かけるとき、顔を逆さに下の段を覗き込むような感じ……言ってること、わかります?」

よくわかる。だが、その状況で雲間に現れる天使が「オバサンの顔」だと目視できるということは、とてつもなく巨大な天使ということになる。とはいえ、空は比較対象に乏しくスケールが曖昧になりがちなので、そこには触れないでおこう。

目撃の頻度は1年に1度あるかないか。日本人のオバサンで、無表情な逆さまの顔でも、トモミさんは天使を拝めれば「ラッキー!」だった。「でもやっぱり羽の生えた西洋人の赤ちゃんがいい」という本音を押し殺し、放課後を待ちわびて家へ直行する。学校では目撃談を話さない。以前、友達に喋って嘘つき呼ばわりされ、懲りていた。母ならば、台所仕事をしながら話を聞いてくれる。背を向けたまま、黙ったままだが、少なくとも反論や否定はしない。その日もトモミさんは帰宅するや台所へ駆け付け、シンクに向かう母親の背中に報告した。

「お母さん、今日ね、天使さまを見たんだよ。雲の切れて陽の光が射す中に、オバサンの顔が逆さにニューッと……」

すると、いつもは背を向けたまま黙って話を聞くはずの母親が、その日に限って「もう堪え切れない」とでも言いたげに振り向き、トモミさんを怒鳴りつけた。

「いい加減にしなさい! あなたがその話をするたびに、ご近所で誰かが死ぬんだから!!」

それでもトモミさんは、そのオバサンを天使だと信じて疑わなかった。ただ、西洋の天使は羽をはやした赤ちゃんが舞い降りて魂を天に運んでいくのに対し、日本ではオバサンの天使が雲間から逆さまに顔を出すと長ーい長ーい手をシュルシュル伸ばして地上から魂をつまみあげるのだ――そう解釈した。

だが、その小学4年生の秋を最後に、トモミさんがオバサン天使を見ることはなくなった。

「だって、それ以来、視線を上に向けるのが怖くなってしまって……」

そう言ってトモミさんが、またうつむいた。

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