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考え、手を動かし、皆と共有ができる仕事の幸せ

先日、デザイン関連のイベントで自分の仕事の価値を整理するためには"抽象化することが大事ですよ"と話した。

例えば、バナーをつくることが誰にどんな価値があるのか?
その仕事を繰り返すとしたら何を繰り返せばいいのか?
つまり、再現させるべき価値というのは何なのか?を考え、言語化しようという話だ。

これは本当に大事なことなんだけど、"デザイン"は現実社会に落とし込まれてはじめて機能するという視点も大事だ。

今日はそのあたりを踏まえて散文書いておく。

中学、高校の数学が大幅に変わる

こどもがいるので、学校の教育に関して情報が入ってくる。

2020年の小学校3年生から英語やプログラミングが必修になる。などの情報だ。

これに関して、とかく言える立場ではないのだが "中学、高校の数学が大幅に変わる"という情報は自分にとって印象的なものだ。

20世紀初頭から数学は抽象化すべきというながれに

もともと数学は現実世界で困っていることを解決するためのツールとして生まれてきた。

だけど、20世紀初頭ドイツのルベルト博士が「数学は抽象化すべきだ」という話から数学の美しさを求めるようなながれになった。
つまり、現実世界をおざなりにしちゃった側面がある。

もちろん、純粋さを求めて数学が発展した側面もあるのだが、その後、数学の世界の大きなながれとして抽象化を求めるようなながれになってしまった。

結果、中学や高校で習う数学が抽象的なものになり、現実で使えないんじゃないの?ということで、諦める人が増えた。
私もそのひとりだ(ついていけなくなっただけだが…

そういうながれを踏まえて文科省は「現実でも使えるような内容にしていこう」となり、カリキュラムの改訂につながったようだ。

デザインも抽象化の罠にはまらなければいいなー

翻って、"デザイン"もその懸念を内包しているなと。
UXデザインという言葉を深く求めると、どうしても抽象化したものを追求しがちになる。

もちろん、誰かの解決になることを目指す概念だから、その罠を避けやすいのはある。

なので、数学の先例をもとに"デザイン"はずっと現実世界を豊かにするものであって欲しいなと期待している

考え、手を動かし、皆と共有ができる仕事の幸せ

最近、考えて→手を動かし→皆と議論して共有する間隔が短くできるツールがいっぱい登場している。

昔では考えられなかったけど、Figma とか Miroなど誰かとリアルタイムでシェアしながら質が高いものを目指す仕事ができるなんていまはとても幸せだなーとか思っている。

そんなこんなでまた。

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