アズマリムさんの人格交代告発について思ったこと

やる夫路線来ない?

私は「AAで学ぶネット事件簿 補章 Kashiwagi Incident(柏木にょらー事件)」という今回のケースと似た架空の事件のやる夫スレを書いたことがあるので、意見を表明したいと思いこれを書いている。

さて、アズマリムさんの人格交代について概ねアズマリムさんサイドに同情的な意見があるようだが、次のような議論が続いている。
それはつまり、中の人の責任問題についてだ。

まあわからんでもない。
上の「柏木にょらー事件」というのは、「AIのバーチャルYouTuberがいきなり大人の事情でクビにされ、コバテツという古参スタッフが会社の方針に逆らって復活させる」というプロットだ。
ただ、私があれを書いている最中、正直言って……コバテツ相当やべーやつだなという感想を持たざるを得なかった。
大人としてはダメだな、という。
そこで私は人間的感性を持たない経営AI「Frederic」を登場させ、「柏木にょらーの中の人の追放は血も涙も無いAIの仕業だった」ということで緩和を狙ったのだが、それでもまだやべーやつのままだった。

ただ、私は彼女のやった行為は容認されなければならないと思う。

VTuberの大前提として、中の人は不変であるという共通認識がある(……①)。
VTuberに対する投げ銭やグッズ購入などの経済活動、もっと小さな単位でいう契約はその大前提を前提としている。
民法上、そのような前提①を元に行った契約は、「詐欺による意思表示」と見なして取り消しうるから、もしも企業側が交代を実行した場合、取り消し請求が企業に殺到する恐れもある。
この人格交代を実行するその行為自体はまだしも、企業側がそれをファンに最初から説明したり示唆したりせず、また直前になって実行したということなら、それは重大な倫理違反であるから、演者を含むチーム全員に告発する義務が生じる。上記の詐欺でファンから訴追された場合、責任が及ぶ恐れがあるからだ。

ただ問題はあって、この前提①は成り立つのかということだ。

確かにその通りだと思う。例えばキズナアイと輝夜月のエイプリルフールの交代は成功しているし、中の人の人格はある程度の流動性がある。ただこれには理由とやり方が結局必要である。
バーチャルYouTuberは基本的にキズナアイのような「バーチャルAI」など、ある一つの人格が宿っているという設定を取っており、さらに中の人にある程度の裁量権を与えている以上、設定自体が中の人が変わらないと宣言していると解釈されるのではないか、とも考えられる。
他には声優との違いも考えられるが、声優は基本的に脚本に頼っているため、「人格は脚本に宿っている」と見なされるだろう(もちろん吉本から来た兼業映画声優群がアドリブをやりまくることがあるが、あれは多分脚本家とか翻訳家がキレるべき案件なので省略する)。
バーチャルYouTuberもしかり、他もしかり、そもそもファンがどこを「本体」と考えているのかという話でもある。もちろん音響や映像の担当者もいると思われるが、ファンは映像技術・音響技術といったものを見に来ているのかということについては甚だ疑問である(もちろん絶対に必要な分野であるが)。
とはいえこの分野は実例が少なく、また判例も出ていないので、なんとも言えない。

このような、雇用契約その他に反する暴露を行わなければならない職業というものがこの世には存在する。最も有名な例はエンジニアだ。
エンジニアは、経営側が経営上隠蔽しようとする設計の欠陥や規約に反した不備などを内部告発しなければならないとされている。というのも、それらは時として人の生命に関わる場合があるからだ。
もちろん、この特権が生命に関わる故に付与されているのかというとそうではない。内部告発によって得る害(懲戒など)をAとし、内部告発しないことによって社会が得る害をBとした時、A<Bの場合は誰しも内部告発しなければならないだろう。そしてエンジニアの場合Bが正の無限大(人の死)を取ることがよくあるため、エンジニアは内部告発をよく行うのだ。
さて職業としての「バーチャルYouTuberの中の人」はどうだろうか。Aは自分の懲戒であり、Bの多くは「ファンへのダメージ」だろう。もちろんそれを最重要視すれば別だが、Aを減らす手段も多くある。実際、いきなり公開するというのは、はっきり言ってAの最大値を取ろうとする行為に他ならない。Aを減らすことはBのハードルを下げることにも繋がるし、やっておいて損はないだろう。

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