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裁判員制度の危うさ

裁判員制度が始まって10年がたった。

そんなニュースが例によって俺の低めのアンテナに引っかかってきた。

あんたは、この裁判員制度ってやつに思いを馳せたことがあるかい?

俺はぼんやりだが、この裁判員制度ってやつは本質的な課題を持っているように感じてしまっている。

今回は、この辺の課題を考えてみよう。
まあ、課題って言ってもシロートの俺が考える程度だけれど、それでもなかなかにオモロイ要素があると思うからつきあってくれよな。

裁判員制度という仕組み

まずは裁判員制度ってやつは何者なのかからだよな。

裁判員制度の説明は裁判所のページに以下のような説明がある。

裁判員制度とは,国民のみなさんに裁判員として刑事裁判に参加してもらい,被告人が有罪かどうか,有罪の場合どのような刑にするかを裁判官と一緒に決めてもらう制度です。
出展:http://www.saibanin.courts.go.jp/introduction/index.html

で、この制度が始まった10年。逆に言えば、それまでは、裁判官と検察、弁護士だけで裁判は行われていた。

なんで、この制度が必要だと判断されたんだろう。
その辺も裁判所のページに記載があった。

これまでの裁判は,検察官や弁護士,裁判官という法律の専門家が中心となって行われてきました。丁寧で慎重な検討がされ,またその結果詳しい判決が書かれることによって高い評価を受けてきたと思っています。
しかし,その反面,専門的な正確さを重視する余り審理や判決が国民にとって理解しにくいものであったり,一部の事件とはいえ,審理に長期間を要する事件があったりして,そのため,刑事裁判は近寄りがたいという印象を与えてきた面もあったと考えられます。また,現在,多くの国では刑事裁判に直接国民が関わる制度が設けられており,国民の司法への理解を深める上で大きな役割を果たしています。
出展:http://www.saibanin.courts.go.jp/qa/c1_1.html

つまりは、裁判って仕組みが異常に専門化しすぎて、おまいらついてこれないだろ?だったら一緒にやってみようぜって話だな。

裁判員制度の問題点

裁判員制度の課題の一つに裁判員に選ばれても辞退する人が非常に多いという物がある。

このニュースによると、裁判員に選出された人の辞退率は67%にも及ぶそうだ。

でも問題の本質はそこにはない。

俺が思うに、裁判員制度は法治国家としての前提を覆しているように思うんだ。

法治国家ってやつは、文字通り法律で人を治めていきましょうって仕組みなんだ。法律に書いてある「文書」に照らし合わせて人が罪を犯したかどうかを判断するというのが大前提だ。

そのため、その「文書」に対する解釈は判例を重要視しながらブレの無いように専門化(ここでは裁判官に検察、弁護士だな)が慎重に判断する。それが通常の裁判だ。

ところが裁判員制度では、そこにシロートである俺たちの判断というノイズを入れることになる。

当然、俺たちシロートはその人が法律に照らして罪を犯しているかどうかを判断するわけだが、そこには得てして「善悪」の基準を入れてしまいがちだ。

なんとなく悪いことしていそう。倫理的に許せない。など、人間的に非常に普通の感覚で人を裁いてしまう。

この感覚で人を裁く国を情治国家と言う。
感情で人を治めるということだな。

この感情で人を裁くということの恐ろしさがあんたに伝わるだろうか?

例えば、学校のクラスで「あいつ気に食わないから無視しようぜ~」っていってクラスメイト全員が無視するようなことあるよな。
情治国家ってそれと同じことなんだ。

裁判員がシロートである以上、そういう感情ってやつを判断に入れてしまうことは普通に起きる。
そこに裁判官が一緒になって判断するという仕組みにはなっているが、それでも裁判員の判断ってやつは本質的にノイズだ。

10年。その期間、俺たちはこの仕組みを運用し続けた。

その結果としての判決は本当に法治国家として正常だったんだろうか?

振り返って見る必要があるのかもしれない。

あんたはどう思う?

俺たちは誰かをリンチし続けているのかもしれないと思うかい?

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