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進撃の巨人という物語

進撃の巨人、あんたも好きかい?

俺がこの作品の存在に気づいたのはだいたい5巻が発売されていた頃位だったかな。
わりと荒削りな絵柄と、それでも圧倒的な存在感を醸し出していた巨人のデザイン。
そして、何よりも引き込まれるような物語の背景世界に魅了されたんだよな。

正直、第一話をみただけだと謎ばかりで何を言いたいのか全く読み取れなかった印象なので、多分雑誌で読み始めたんだとしたら、読み飛ばしてしまっていたような気もする。

この漫画ほど雑誌ではなくて単行本で読むことがおすすめな漫画も無いと思うんだよな。

今回は、俺の好きな進撃の巨人についてつらつら書いてみる回だ。

まあ、あれだ。趣味の話だ。あんたなら付き合ってくれるよな?

進撃の巨人が10周年らしい

そうなんだな。10年ってのはすぐさま去っていくものらしい。

本当についこないだ話題になり始めたよなぁって感じるんだが、10周年っていうんだから、10周年なんだろう。

逆に言うと、この10年後の作品の展開を作者さんは思いついていたってことなんだろうか?

進撃の巨人の「謎」はものすごく込み入っている。
それは社会構造の問題であり、民族浄化という非常にセンシティブなテーマでもある。

最新刊で主人公エレンが取り組んでいるかに見える「民族の安楽死」という状態に説得力をもたせるために、一体どれだけの物語を紡いできたんだろう。
そして、その状態は同じように物語によって否定されることだろう。

つまりこの10年は進撃の巨人という作品において、謎を作り、謎を解かせることで社会の構造的な問題を浮き彫りにし、その問題を解決することに費やされたってことになるよな。

そこで、俺は考える。

この作者さんにとって、「謎」を抱え続けることってどれだけの苦労をはらんでいたんだろうってね。

作者が謎を抱え続けるってこと

おそらくだけれども、この進撃の巨人という物語の世界観は、連載開始当初からほぼほぼ出来上がっていたんだと思うんだよな。

巨人がエルディア人という特殊な民族の成れの果てであること。
世界が巨人を軍事力として利用しつつ、同時に巨人を恐れるあまりエルディア人を迫害していること。
そして、壁外のエルディア人はそのことを自らの業であるかのごとくに受け入れているってこと。

なんか実際の世界でもこの構図は存在しているんじゃないかって思うくらいのリアリティだ。

この謎こそが進撃の巨人の魅力の源泉であり、物語の根幹に位置する情報だと思う。

だからこそ、作品が作り始められた当初からこの謎ってやつはある程度、検討に検討を重ねた上で形作られていたと思うんだよね。

ではその謎ってやつは誰がどこまで知っていたんだろう?

おそらく、作者さんと編集さん、スタッフさんの一部にしかこの謎の正体ってやつは共有されていなかったんだと思う。

SNS隆盛の現代。情報はどこからでも漏れてしまうからな。

で、この謎を作者さんが抱え続けていたってことを想像してみる。
それってどんな拷問だ?
友人にも仕事仲間にもこの謎について語って共有することが許されない。

いつだって仲間に「秘密」を抱えていなければならない。

これは想像を超えるほどの苦痛を伴うような気がしないか?

それでも、進撃の巨人がエンターテインメントとして成立するためにはこの謎が必要不可欠なものだ。
進撃の巨人はこの世界の謎が紐解かれていくことそのものがカタルシスを作り上げている作品なんだからな。

仕事上の秘密ってやつは、俺たちオッサンにとっても普通に存在するものだ。
それでも、その秘密を守ることはそれほど苦痛には感じない。
なぜか?
おそらくだけれども、自分がその秘密の核心を生み出していないからだと思う。

でも、進撃の巨人の謎は違う。
諫山創さんが読者である俺たちを楽しませるために創造したものだ。
その謎を抱え続けることは筆舌に尽くしがたい苦しみだっただろう。

その謎を諫山創さんが抱え続けてくれたことに感謝したい。

よくぞ抱え続けてくれました。

願わくば、その謎が諫山創さんの中で、きっちりと表現しつくされますように。

俺たち読者はそれを心待ちにしています。

なあ、あんたはどうだい?

進撃の巨人。最後まで楽しめそうかい?

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