俺たちの感性をさらけ出す勇気
あんたは自分の感性ってやつをどれくらい信頼している?
俺たちオッサンは自分の感性ほど当てにならないものはないって思っている。
実際に仕事で求められることは、その仕事のやり方が考えうる範囲では最も効率的であるという「説明」だ。
実際の仕事は俺たちの経験によって構成された感性で進められることもあるにはあるが、少なくとも対外的には俺たちの感性には価値が認められていない。
それでも、いや、だからこそ、俺たちはこの感性というやつについてもっと真剣に考えるべきなのかも知れない。
そう思わせてくれた作品と出会ったんだよね。
今回は、その作品について俺の感性を伝えてみたいと思う。
まあ、あれだ。気に入ったら読んでみてくれよな。
その作品の名は「ブルーピリオド」
アフタヌーンで連載中の美術漫画だ。
ちなみにこっから4話までは読めるから、まあ気になったら読んでみてくれよな。※今後読める範囲が増えてくらしい
で、この1話目を読んでもらえると、なかなかなシーンが込められている。
漫画の1話目って、その作者が表現したいことをこれでもかって密度で詰め込まれることが多い。
なんつっても、1話目って新連載で雑誌にのるって言う、一番読んでもらえる可能性が高いタイミングだからな。
ここで読者の心をどれだけつかめるかってやつに漫画家さんたちは命をかけているってわけだ。
このブルーピリオドでもそれは例外ではない。
1話目だけで、俺の心をがっしり掴むシーンがいくつも出てくる。
その感動は誰のものなのか?
最初に俺の心にぐさっと刺さったのはこのコマだ。
スポーツ観戦をしていて、思わず叫んじゃうような興奮に見舞われたことは誰にでもあることだと思う。
野球観戦は今の多様化した娯楽の中でも確固たる地位を気づき続けているし、○○日本代表の姿をあんたも俺もモニタにかじりついて応援したことがあるはずだ。
注目してほしいのが主人公の八虎(上のコマの男の子)の口元だ。
この先の話でも何度か出てくるこの口元の表現。
作り笑いの口元。
スポーツ観戦をしながら、その感動に疑問をいだいてしまった瞬間を切り取ったコマだ。
日々、俺たちはいろんなことに感動を覚える。
キングコングの二人はすげぇなぁ、とか。
やっぱせやろがいおじさんおもれ~なぁ、とか。
自分ではない誰かの行動に感動を覚えている。
まるで、自分の人生の主人公が誰かに奪われたように感じること。
そのことで俺を驚愕させたコマ。
それがこの1話目に込められている。
感覚に身を投げ出すような潔さと恐怖と
次のコマも1話目から。
ここでは、夜明けの渋谷が「青い」と感じたことを緑の天使を描いた先輩に話したときのコマだ。
「りんごもうさぎの体も青くていい」
この一言は自分自身の感性と他人の感性の違いを個性として認められる世界があるという救いの言葉なんだろうか?
多分違う。
このセリフはむき出しの感性という傷つきやすいナイフで世界を切り取っていくという覚悟のセリフだ。
自分を認めるのは自分の感性の義務だ、という自らを追い込む言葉だ。
俺たちオッサンは小さな頃から他人を思いやりなさいと育ってきた。
ところが、思いやりなんて何かわからない俺たちはある日、他人との距離を取ることを覚えた。
大人になればなるほど、他人との距離は広がる一方だ。
なぜか?
俺たちオッサンは自分の感性をさらけ出すことの恐怖を知りすぎるほど知っているからだ。
だから、俺たちは青い渋谷を感じたとしても、それを表に出したりはしない。
なぜって?
普通じゃないを武器にして戦えるほど、俺たちは俺たちの感性の価値を信じちゃいないからだ。
ところがこのセリフは違う。
青い渋谷をさらけ出せと言う。
このセリフは、俺たちnoteに棲むものに向けられたように思えないかい?
俺とあんたの中にある「青い渋谷」をさらけ出せ。
俺とあんたの中にある「青い渋谷」を信じぬけ。
そう語りかけているようじゃないか。
なあ、あんたはどう思う?
あんたの中に「青い渋谷」はありそうかい?
そして、その「青い渋谷」を信じられるかい?
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