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四国発西日本縦断旅行2~長崎にて

こんにちは。
この記事は前回の記事の続きとなるので、前回の記事も併せて読んでいただけると非常に嬉しいです。

前回の記事は、広島観光と博多に向かうまでを記事にしました。

今回は、その続きになります。

博多〜長崎

博多到着後は、すぐに長崎行きのノンストップ号に乗り換えました。

ノンストップという名前の通り停留所以外は、本当にノンストップです。トイレ休憩も全くありませんから、バス車内にトイレはあれども事前にトイレは済ませておいた方がいいでしょう。

今回利用した区間は、西鉄天神バスターミナル〜平和公園。このバス博多バスターミナルからも出ていたので、博多から普通に乗ればよかったのですが、なぜか予約した区間の天神バスターミナルまで向かってしまいました💦。前回の記事でも書きましたが、高速バスは、似てる名前の停留所名が多いですから、自分の乗車停留所は、特に事前に確認することが重要です。

噂には西鉄の高速バスは速いと聞いていましたが、本当に速いです。
休憩せずにノンストップで向かうのもありますが、天神〜長崎市街までを2時間10分で結んでしまいました。

次回の記事で取り上げる九州新幹線とリレーかもめの組み合わせでも最速は1時間30分です。その差40分で新幹線の正規料金とは倍近く違いますから、博多〜長崎間が新幹線部分開通したといえどもまだまだ高速バスの需要はありそうです。

長崎観光

高速バスは、定刻通りに平和公園前に到着。

平和公園

高速バスでダイレクトにアクセスできる平和公園。※出島道路経由のスーパーノンストップ号は停車しないので要注意

バスで直接アクセスできるのは本当にありがたいです。
長崎駅から行こうとすると長崎駅から長崎駅前まで歩くか路線バスに乗ることになりますが、長崎駅から路面電車乗り場、バス乗り場までが結構離れています。どんなに早く歩いても5分はかかりますし、普通に歩くと10分はかかるのではないでしょうか。

そこから路面電車に乗って13分かかります。路線バスだと16分程となります。

乗り換え時間を考えると博多から高速バス利用が乗り換えなしでかつ安くアクセスできて、時間もそこまで変わらないです。現時点では非常に有力なアクセス方法だと思います。

さて、平和公園のバス停からすぐ原爆中心地碑があります。

1945年8月9日の11時2分、この地を中心に原子爆弾が落下しました。今はこんなに整備された綺麗な場所ですが、原爆資料館の展示物を見てから、この石碑を見ると最初見た時とは感じ方も変わりますね。

そして、道路を渡り、エスカレータを上に上がるとすぐに見えるのが平和の泉。

平和の泉には原爆を受けた9歳の少女の手記が石碑に刻まれており、非常に印象に残っています。

そしてさらに奥に進むと平和祈念像があります。毎年の平和記念式典もこの像の前で行われます。長崎を代表するものでしょう。

この記念像の格好には意味があるようです。天高く上げている右手は「原爆の恐ろしさ」、水平に伸ばした左手は、「平和の尊さ」、軽く閉じた瞼には「原爆で犠牲になった方々のご冥福をお祈りする」という意味があるようです。
そして、横にした足は「原爆投下直後の長崎市の静けさ」、立てた足は「救った命」を表しているそうです。

これらの意味を考えると本当に色々考えられます。世界では戦争が行われている国がある中で、この像の持つ意味は非常に深いと思います。

入館してすぐに目にします。この原爆資料館が1番伝えたいことでしょう。

平和公園、最後に訪れたのは原爆平和資料館。

入館料は大人200円、小学生、中学生は無料で中を見ることができます。

資料館を見た感想としては、原爆の悲惨さを伝えているのは、広島、長崎共通ですが、長崎は、原爆が落とされるまでの歴史的な背景や戦後の核開発の歴史を詳細に伝えているように感じました。
この点が広島とは異なっている点だと思います。広島を見たのは高校生の時で、今は展示内容が変わっているかもしれません。ただ、当時見た広島の資料館の印象としては、原爆落下時の街の様子を非常に鮮明に伝えている印象でした。

今の世界情勢を見ると、広島、長崎共に日本人のみならず世界中の人にも見てもらいたいと感じる施設です。
大学時代に世界史を専攻しており、「歴史は繰り返すもの」だということは思っています。ただ、原子爆弾投下だけは絶対に繰り返してはいけないと改めて思います。
資料館の1番最初に見えるメッセージボード「長崎を最後の原爆地に」を感じて欲しいです。

新地中華街

平和公園出てすぐ目の前に平和公園のバス停があります。

平和公園から、長崎市街地までのバス停は日中はほぼ2~3分に1本の割合でバスが発車しますから、もはや時刻を気にせずに乗ることができます。

平和公園からは路面電車も出ていますが、道路を渡った先にあるので、バスの方が長崎市街地にアクセスはしやすいでしょう。

新地中華街は、路面電車もバスもターミナルになっている中心地です

新地中華街に行った目的は、一つ。長崎ちゃんぽんです。
新地中華街のちゃんぽん屋さんは、正直そこまで多くはないです。その中でもお店の中が見えて1人でも入りやすい場所をチョイス。

店に入ってすぐにちゃんぽんを注文。940円でした。
メニューには、通常のちゃんぽん以外にも焼きちゃんぽんなどのメニューもあり、次来た時に食べたいと思いました。

本場のちゃんぽんは、海鮮具材などの具材が豊富に入っており、やはり非常に美味しいです。非常にボリュームがあり、近くのお店の小籠包を食べたい欲に駆られましたが、ちゃんぽん前に食べなくてよかったです。


新地中華街の雰囲気

新地中華街を後にすると大浦天主堂に向かいます。

徒歩で向かいましたが、その途中に気になる石碑がありました。病院の前だったような気がしましたが、「我が国鉄道発祥の地」という石碑がありました。

この石碑を見たとき「えっ、日本最初の鉄道は1872に開通した新橋〜横浜間じゃないの」と思いました。
ただ、調べてみると1865年に長崎の貿易商人トーマス・グラバー(グラバー園の主)がこの地から400メートルの間をイギリスから持ち込んだ蒸気機関車を走らせたそうです。ただ、旅客輸送ではなく、あくまで商談用の来客のもてなし用として使っていたようです。
なので、日本初の旅客の営業用の運転としては1872年の新橋〜横浜間が最初となります。

そんな歴史的な場所を歩きつつ、新地中華街から10分程度で次なる目的地大浦天主堂に前に到着します。

大浦天主堂

大浦天主堂は、日本の洋風建築輸入の初頭を飾る代表的な建築物として1933年に国宝に指定されました。

建物は、坂の上の高台にあります。

建物の入館料は1,000円。教会、博物館を見ることができます。

中は共に写真撮影禁止ということで写真はありません。

博物館は、戦国時代のキリスト教の布教開始〜弾圧までの歴史を詳細に伝えており非常に興味深いです。

博物館の展示物をみるとキリシタン弾圧の苦難の歴史をみることができました。歴史が好きな人にとっては非常に面白いと思います。

そして、大浦天主堂とセットの観光地として取り上げられるのがグラバー園です。ただ、この後乗車する西九州新幹線の予約状況が結構埋まっていることから早めに長崎駅に戻って切符を確保しないとまずいと感じました。

ということでグラバー園は次回に持ち越しで長崎駅に急行しました。

次回は、長崎駅〜小倉間を西九州新幹線、特急で移動した様子を書きます。

最後に

長崎観光で感じたことは、原爆投下、キリシタン弾圧という苦難の歴史がありながらも現在まで発展したことを感じます。

1571年の開港から鎖国までスペイン、ポルトガルとの南蛮貿易で外国文化を積極的に取り入れてきました。

学校の歴史の授業で学んだことでも実際に自分から自発的に足を運んでみるとまた印象が変わります。

西九州新幹線開通で一躍脚光を浴びる長崎ですが、観光するにも非常に興味深い場所です。

今回訪れた場所以外にも出島や日本三大夜景の一つに数えられる稲佐山の夜景、眼鏡橋など観光地が盛りだくさんです。今回の観光時間は4時間でしたが、長崎を満喫しようと思うと4時間では回りきれないです。1日は見ておいた方がいいでしょう。

そして、長崎観光は路線バスや路面電車が充実しているので、特に移動で大きく待つことはないでしょう。
長崎市街は駐車場が非常に少ないので、車で観光する時には事前に駐車場を調べないと大変かもしれません。

2度目の長崎観光ですが、本当に行ってよかったです。また、時間を見つけて訪れたいと思っています。

記事は以上になります。
この記事を長崎の観光の参考にしていただければ嬉しいです。

最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。












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