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note小説「アイドルは卒業したけれど」第一話〜永遠ではないもの〜

「誠に残念ながら今回はご期待に添えない結果となりました」
 この言葉を私は何回見ただろうか。お祈りメールを見るやいなや、私はそのメールをすぐさまゴミ箱へと移動させた。
──私は雇うに値しない人材っていうことなのね──
一人じっとパソコンを見つめ、転職サイトをそっと閉じた。



「私は今年いっぱいでOneWorld OneHouseを卒業します」
 こうブログにアイドルからの卒業を宣言したのはつい一年半前のことだった。この物語のヒロイン、櫻内真帆は一年半前まで世間で「そこそこ」人気のあるアイドルグループ「OneWorld OneHouse」のメンバーだった。同時代に活躍する坂道グループほどの人気はなかったが、武道館やさいたまスーパーアリーナを満員にさせたこともあった。そして有名音楽番組・ミュージックステーションに出演したことさえあった。真帆は2回、表題シングルでセンターを務めたこともあり、人気メンバーの一人だったという自覚もあった。とはいえ現在は26歳無職女性だ。
──卒業しても仕事があるなんてのは一部のトップアイドルだけなんだよね。自分の考えが甘かった──



 彼女は小さな頃から家族や親戚の前で歌うのが好きな少女だった。幸いにも目鼻立ちが良く、地域のちょっとしたアイドル的存在でもあった。いつしか歌って踊るアイドルという仕事に憧れ、いくつかオーディションにも応募した。今をときめく某グループの最終審査まで通ったこともある。そして最後の挑戦とけじめをつけるために応募したのがOneWorld OneHouseであり、8年の在籍で得た喜びや悲しみは代えがたい価値だと思っていた。


 
「今後のキャリアについてはどう考えてる?」
「そうですね……深く考えたことはないですけど世代交代の必要性は感じていますね……」
 事実上の肩たたきに遭ったのは卒業する年の5月のことだった。同期や先輩がここ数年でどんどん卒業し、より若くて可愛い子へという事務所側の意図も伝わっていた。ただ真帆は一応人気メンバーだから卒業のタイミングも自分で決められると思っていたし、おばさんキャラで自虐することさえいとわないつもりだった。その甘い考えが全ての誤算の始まりだった。
 来季の構想外を自覚した夜、真帆は同期の菊池弥生をご飯に誘った。
「弥生ちゃんはこの夏で卒業するんだよね?」
「うん」
「この先ってどうするの?」
「私は声をかけてもらってる事務所があるからそこに在籍しながら俳優の仕事をしていこうかなと思ってるよ。もしかして真帆もキャリアの話されたりして?」
「う、うん……今後はどう活動していきたかって」
「やっぱりね。去年の美香さんと莉子さんと千明、その前の彩さんと夏実とか急に卒業ラッシュだったけど、もう私たちはお払い箱なのよ。後になって分かったけど、世代交代を前倒しして打倒坂道に燃えてるみたいよ、周りの大人は」
「運営母体もプロデューサーも格が違うのに必死に頑張っても無駄だと思うけどね。そうやって圧かけた結果、前キャプテンの舞奈さんはメンタル病んで辞めちゃったし」
「でも舞奈さんはお父さんが県会議員だから第二の人生は千葉からって切り替えて今はお父さんの秘書してるし、実家が太いのは正直羨ましいよ」
「うん……私も近いうちに卒業しそうだから、今のうちから今後のことを考えておくよ」



 同期である菊池弥生とは単なる友達を超えた戦友のような存在だった。時に冗談を言い合ったり、率直な言い合いをしたり、青春を犠牲にして過ごした8年の中で弥生と過ごした日々は忘れることはできなかった。確かに弥生の方がセンターを5回も経験したし、ぶっちぎりの人気メンバーだった。ちょっぴり大人びて、みんなのお姉さん的存在で同期や後輩からも愛されていた。そんな弥生でさえ引導を渡されたのは衝撃的だったが、次のアテがあるから割と冷静なのかなと思っていた。
「真帆は卒業しても事務所に残るの?」
「残るっていうか残れるの?」
「まあ再雇用的な感じで、いてもいいけど基本3年、長くても5年以内っていうのが暗黙の了解らしいよ。アイドルという下駄が外れた人に割かれるリソースは少ないって運営幹事の鮎川さんは言ってた」
「そうなんだね……」
 真帆は弥生からこの日に受けたアドバイスをもっと真剣に受け止めておけばと後悔していた。卒業後、アイドルというブランドが無くなることを自覚しなかった甘さに打ちひしがれてしまった。みんなが好きだったのは櫻内真帆そのものというよりOne World One Houseの櫻内真帆だったということをもっと早く理解していればこんなことにならなかったと悔悟の念でいっぱいだった。



「色々、考えたのですけど25歳になる今年で卒業したいと思います。タイミングについては年末をもって卒業がベストかなと思うのですけど」
 真帆は「辞めろ」と言われるのが嫌だったから卒業は自分から宣言した。翌6月のことだった。
「そうなんだ……本当に卒業するんだね?」
 OneWorld OneHouse の運営委員長・重光薫はゆっくりと頷きながらそう答えた。他にも運営幹事の津島や杉山、鮎川、マネージャーの二宮も黙って聞いていた。
「寄る年波には勝てないというか、スポットライトはより当たるべき人に当ててほしいと思ったんです」
「真帆は優しいんだね。自分よりもグループを優先するのはいつも真帆。そんなあなたの姿があったから今の和気あいあいとしたグループの雰囲気も生まれたのかもね」
 マネージャー・二宮恵の言葉が温かく感じられた。彼女は社会人としての基礎を叩き込んでくれたし、友達のようにプライベートで遊んでもくれたりもしたお姉さん的存在だった。
「ちなみに今後はどうするつもりなんだ?」
 重光はそう真帆に問いかけた。
「芸能界から引退というのは考えてませんけど、何かOneOneで培った経験を生かせる仕事をしてみたいなと思っています。ここの事務所にいてもいいと聞きましたし」
 それを聞いた瞬間、重光の顔は曇った。



「そのことなんだけどよく聞いてくれるかな?」
「は、はい…」
「うちの親会社はどこだか知ってるよね?」
「東洋ミュージックプロダクツですよね」
「うんその通り、そして東洋ミュージックプロダクツの親会社は東洋電機だ。しかし言っちゃ悪いがここはかなり経営状況が悪い。真帆にこんなことを言っても仕方ないが、東洋電機は半導体の価格競争に負け、スマホ用の液晶パネルでは中国や韓国に負け、勝負をかけた太陽光パネルは原子力発電がカーボンニュートラルの波に乗った影響で大不振。そしてここだけの話、次期社長を外部から招聘することが決まっていて大胆な構造改革をすることになる」
「でもそれは親会社の話ですよね?」
「本論はここから、特にここからはよく聞いてほしい。次期社長は本業と関係のない事業を売却するつもりでいる。選択と集中なんて成功した試しがないと個人的には思うが、真っ先に狙われている事業の一つがうちらエンターテインメント事業だ。はっきり言うと、うちは遅かれ早かれ身売りされる。身売りされなくても早期退職や不採算事業からの撤退とのもっぱらの噂だ」
「で、でもうちは儲かっているからって3月に決算賞与的なものが毎年メンバーにも与えられてましたよね?TMPが東洋電機グループのお荷物とは思えませんし……」
「だから事業として価値のあるうちに売るんだと思う。あのSONYほど一つのセグメントとして成長して、利益を創出していればこんなことにはならなかったと思うが、今のうちの状況を思うと先は明るくない。真帆も薄々感じてるがOneOneの世代交代も親会社から目がつけられる前に結果を残して、縮小廃止されないための乾坤一擲の大勝負なんだ。まるで真帆を追い出すような形になってしまって申し訳ないが、一つ定年退職だと思って理解してほしいし、真帆から卒業を切り出してくれたのは正直ありがたかった」
 重光の言葉が重く真帆の心に刺さったが、何も言い返すことはできなかった。
「他の人気アイドルグループに比べて後発組で、有名プロデューサーなどの専門家に頼らず、アイドルオタクのサラリーマンのアイデア一つで生まれたOneWorld OneHouseという真帆にとって故郷になるグループを親会社の経営不振という夢もクソもない理由では潰したくない。だから、その、卒業後も引き続きうちにいることはかえって真帆さんのキャリアにとって障害となるかもしれない。やりたくないことをお金のためにやってもらうのは我々の本意ではないし……」
 運営幹事の津島肇から事実上の再雇用拒否も突きつけられてしまった。確かにここ数年で卒業したメンバーを思うと引き続き在籍したのはごく僅かだったように思う。人気メンバーだから残るなどの法則性は見当たらなかったが、何か会社に有益な人材でないと受け入れてもらえないとそこで悟った。
「じゃあ私は卒業後どうしたらいいのでしょう。生きていくためには仕事が必要ですし……」
「それは私たちが売り込むから大丈夫よ!真帆のルックス、キャラクター、実績なら引く手あまたよ!まだ時間があるから不安に思うことはないって!」
 マネージャーの二宮からの発言で少し安心したが、結局この言葉が現実になることはなかった。弥生と私との差は確かにあったがそこまで差はないと自負しているだけにどこも手を上げてくれなかったことは辛い事実だった。
「まあとにかく我々としてもできる限りのバックアップはするし、真帆の有終の美を盛大に飾れるようにシナリオも描くから安心してほしい!くれぐれも卒業間際に文春砲なんていうのはやめてくれよな!」
 そう重光から言葉をかけられ卒業を決めた面談は終了した。



「真帆ちゃん、元気ないの?」
「え?そ、そんなことないよ!どうして?」
「なんか顔が暗いというか上の空っていうか」
 そう声をかけたのはグループ最年少の石渡彩子だった。彼女は真帆の1つ下の4期生で18歳の女の子だ。次世代エースとの呼び声も高い。彩子は真帆を慕い、タメ口で会話もしてくる可愛い妹的存在だった。
「いつだってニコニコしてるわけないよ。そんなに真顔が怖い?」
「怖いっていうか悩みを抱えた顔みたいに見えたけど何かあったら彩が話聞くよ!」
「悩みねー実はあるかも……今日の晩ごはん、お肉にするか、お魚にするか!」
「えーそれは大きな悩み!じゃあ彩が解決します!お肉食べてください!」
「そうする、ふふ」
 高校3年生の女の子に運営母体の経営不振なんて生々しい話はできないし、卒業の件はメンバーに他言無用と言われていた。弥生にもほのめかして以来、続報は伝えていなかった。
「あんまり険しい顔してるとシワが増えますよ?」
「うるせー!おばさん扱いするな!!」
 彩子と真帆の茶番に笑い合うこのグループの雰囲気が現実の不安を紛れさせるかのように心地よかった。



 7月リリースのシングル「メークドラマ」で弥生はセンターを務め、翌月に弥生の故郷・愛知で卒業コンサートが行われ彼女はグループを去った。
 一つの柱が抜けた喪失感を抱いたままグループには3日間の休日が与えられた。真帆はこの休日に両親と妹を呼び寄せ卒業の件と今後のことについて家族会議した。
「で、このあとはどうするんだ?」
 父・義晴が単刀直入に切り出した。
「素人目に見ても芸能の仕事は甘くないと思うし、今の生活を維持しようとするならかなり努力しないといけないと思うけどな」
「そ、それは分かってるよ」
「まあ真帆は可愛いし、誰かいい人でも実はいるんでしょ?」
 母・恵美はいつもこの調子で楽天的な発言しかしない。女性アイドルの男女交際はご法度だと知ってか知らないでかグイグイと聞いてきた。
「いたらこんなに悩まないよ。それに今は結婚して家に入るっていう時代じゃないんだよ」
 正直、誰かいい人と結婚して家庭に専念するという道は何度も頭によぎった。しかし私は青春も恋愛も後回しにしてこの8年間を生きてきた。
「カッコよくて、優しい人がいたらすぐにでも結婚したいけどね、はは」
 スキャンダルが発覚してグループを去ったり、冷や飯を食ってきたりしたメンバーを横目に見てきたこともある。仕事は程々にいい出会いを見つけることに頑張ってもいい年頃だとは内心思っていたが決心はつかなかった。
「まあ、真帆はもうすぐ25だし、あれこれ親が口出しする歳でもないから任せるわ」
「ありがとう……」
 結局、家族会議ではグループからの卒業、卒業後も東京に残って芸能活動を続けること、彼氏はいないから結婚も当面ないことを告げて終了した。
「泊まって行かないの?」
 真帆は3人を呼び止めたが、
「ちょっと高いとこ取ったからいいよ。また今度な」
 義晴が笑みをこぼしながらそう話し、彼らは明日以降の東京観光を楽しみにホテルへと向かった。



 真帆の卒業は10月になってようやくメンバーに告げられ、その下旬には正式に情報解禁された。グループ成長の功労者の卒業にファンはざわついたが、12月発売のシングル「同志たちよ」で真帆はセンターを務め、有終の美を飾ることも決定した。着実に卒業までのカウントダウンが切られる中で不幸は突然やってきたのであった。

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