「メンバーへのつきまとい行為厳禁のお願い」の重さ

乃木坂46運営からの最後通牒

 バレンタインの日に推しメンからの甘ーい言葉どころか、激苦の敵国への最後通牒のような文章が掲示された。ぜひ読んでほしい。

 芸能人であるゆえ出待ちとか偶然見かけたときに声をかけられるというのはあると思う。しかし、今回はストーカー行為に対する警告であり、アイドル人生の成功が脅かされ、彼女らの生命、自由およびプライバシーの権利が根底から覆される明白な危険がある事態が存在しているということが分かった。



アイドルはアイドル、ビジネスはビジネス

 私を含め多くのアイドルオタクは多かれ少なかれ気持ち悪い妄想や理想を抱いていることが多い。○○ちゃんと結婚するんだ!というようなガチ恋や○○ちゃんは絶対恋愛禁止を守るんだ!というような神聖化など、当人からすると迷惑でしかない考えを持つ人だっている。しかしTwitterでその夢を垂れ流すくらいは表現の自由の範囲内だし、せいぜい家族や友人にキモいと思われるだけだ。そういう夢とか希望とかを与えるのがアイドルの仕事であり、そう思わせるオタクを増やせるアイドルはきっと優秀だと思う。

 結局それは仕事のできる人ということであり、それで正当なポジションや評価、給与を貰えるならアイドルの本義を徹底したアイドルの鑑だと言える。無職の私が仕事とは?を語る権利はたぶんないだろうが、全ての仕事に与えられた意義や価値、倫理観を自覚しパフォーマンスよく働ける人はアイドルだって事務職だって工場勤務だってなんであれ仕事が楽しくなると思う。その時、生活の糧を得るための仕事から、大義や使命を帯びた仕事になると思う。そうなったときは長く働けるし辞めようと思わなくなると思う。

 そうした現実的な、経済的な視点も併せ持つとお互いに一定のモラルや区別をつけて楽しめると思う。「君臣の別」ではないが、そうした一線を画すことでアイドルからのサービスも良くなるし、パフォーマンスだって向上すると思う。もちろんオタクも生活の中の趣味や娯楽としてのめり込みが防げるし、オタク同士のつながりや見識、経験などの財産が増えるかもしれない。しかし現状では夢や理想と現実の区別がつかず両者とも不幸になる道を進んでいる。



週刊文春への警告でもあるか?

 一方でオタクに対する警鐘でもあるとともに、アイドルのスキャンダルを探し求める週刊文春への警告ではないかと指摘する声もあった。現在、乃木坂を徹底的にマークできる週刊誌は文春しかない。講談社はFRIDAYで『乃木撮』を連載してるし、新潮社は賀喜遥香の『まっさら』などの写真集を出してるし、小学館も山下美月などの写真集を同じく出してる。集英社は週刊プレイボーイ✕乃木坂のコラボをしてたし、光文社もPlatinum FLASHで乃木坂のグラビアを掲載している。その他の出版社も乃木坂のグラビアで利益を得ているため、組織として攻撃できるのは文藝春秋しかない。

 もちろんアイドルの品位保持と退廃的な生活を抑止するために存在しているとも言える。過去にはその記事の影響で当人のキャリアやグループの未来が変わったことだってある。また表現の自由の一環だ、正当な取材活動だと言い張ることだってできる。しかし何かスキャンダルがないか常につきまとったり、家族や関係者に接触したり、家の近くでウロウロするなどあら捜しをして大袈裟に記事にするのは、果たして社会の公器たるメディアの役割なのだろうかとも強く感じる。


 仮に乃木坂メンバーが帰りに買い食いをしていたとか、歩きスマホをしていたとか、ブティックで大人買いしていたとか、暇さえあればホスト三昧だったとか、パパ活をしていたとか、清楚なイメージやアイドルという特殊な職業に当てはまる倫理観との乖離があったとしても、それを敢えてメディアから世間に公表する意味があるのかと言いたい。法的には悪いことはしてないし、特に議論になる恋愛だって、美人の若い女の子ができないという方が普通じゃない。

 もちろん私はかつて、アイドルは特殊な職業倫理があってそれに従う前提でその職業を選び、高年収や名声、キャリアなどを手にしたり、これから手に入れたりするわけだから責任ある行動が必要だし、それができないならさっさと辞めるべきと言ったが、それは本人の信念的な問題と何を10代20代において価値あるものとするのかという内心の問題であり、週刊誌側がジャッジすることは余計なお世話だと思う。

 
 ただ残念ながら週刊文春はアイドルと利害関係がないので詮索し続けると思うし、それを知りたいと思う読者の需要がある以上、喧嘩上等で決して止めないだろう。週刊文春が作家のスキャンダルはタブー視するように、正義のために報じているというより経営上の選択としてやってるだけだ。どうしてもそれが許せないなら、乃木坂合同会社かソニーミュージックが訴訟を起こすしかない。しかし一々スキャンダルに反応して泥沼の裁判を繰り広げる方がアイドルや運営会社にとって損失であり、記事冒頭で最後通牒と書いたが、対マスコミ(週刊文春)という文脈で言えば単なる遺憾砲でしかない。


自由がない立場の労苦を思う

 歌を歌いたい、スポットライトを浴びたい、自分の美貌を売りにして給料を得たいなどアイドルになりたいと思う若い女の子は多いと思うし、一ファンとして見ることのできる光の部分は魅力的だと思う。しかしどの仕事においても何から何まで労働者ファーストで、メリットしかないというのは存在しないと思う。ある程度、個人の自由やプライベートな空間が狭まることは芸能の仕事をするなら認識した方がいいし、その引き換えとしての経済的、職業的成功があるのだと思う。これについては応募する側は自覚し、応募される側も正直に伝えるべきだと思う。

 とはいえ法律で対処しなければならない事態には躊躇なく弁護士や警察などに頼るべきだし、そうした行動を取った場合「芸能人だから」と否定的に捉えるのは止めるべきである。芸能人だから何もかもが許されるわけではない。法の下に平等であるからだ。だからこそ今回の運営からの苦言というより警告は、アイドルだからといって大目に見ますよ、我慢しますよという政策は取らないと明徴したものであり私は支持したい。

 アイドルそれもおしとやかとか清楚をコンセプトにした乃木坂のメンバーはかなり自分を殺さないといけない場面が多いはずだ。その苦労や苦心、葛藤には深く同情するところはある。本当の自分は控えめでも女の子らしくもないし性格だって褒められたものでもないと感じているメンバーだっているかもしれない。ただそれはサラリーマンだって、プロ野球選手だって、漫画家だって、それぞれの職業に求められるイメージと個人の本音や実態は違いながらも折り合いをつけてるのが現実だし、耐えられないなら辞めるしかない。

 もちろん、次のキャリアを考えての前向きな卒業ならファンとしては祝福できて幸せだし、後輩へのいいロールモデルにもなる。だからこそストーカーや脅迫などの犯罪行為を脅威に思って憧れの仕事をリタイアするような事例を増やしてはいけない。推しメンの幸せを思うならのめり込みは止めるべきだし、知らない方が幸せなことが世の中にはあるということも悟るべきである。推し活は楽しく健全に自分にもプラスになる形で共にやっていこう。

 

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