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12話 幸せな者と不幸な者

 彼に連れて行かれたのは高校生が多く集まる通りに面しているファーストフード店だった。周りは見たことのない制服を着ている若者たちで、ごった返しの状態だ。こういう場所があまり好きではない私は、目の前を歩くセナのジャンバーの裾を軽く引っ張りながら言う。
「奥の方に座ろうよ。」
「了解。」
 セナがテーブルの間の狭い通路を通るたびに、席に座り彼を目にした女子高生の間ではまた新たに話の華が咲く。工場ではうるさいとか腹が立つとか思い、彼の容姿などほとんど気にも留めていなかった。だが他人が彼を見て顔を赤くするような反応を見ると、改めてセナの美青年さが分かる。それに今日は校門に立っていたセナを他人だと思って、本気で格好良いと思ってしまった。あの時だけ私は乙女の立場で彼を見ていた。
「理真ちゃん、どっちに座る?」
 セナは奥に空いている席を見つけると私に振り返って尋ねてきた。
「どっちでもいいけど。」
「じゃ、オレこっちー。」
 ふざけた口調で言うセナを見て、一時的に彼を乙女の視点で見ていた自分が異常なほど哀れに思えてきた。
「これで買って来て。オレアイスコーヒーでいいよ。」
 ソファー材質の椅子に座り、足を組んでいるセナがテーブルの上にお金を出し始めた。向かいの席に座る私は、堪らず顔を顰めた。
「パシリかよ。」
 だがセナがテーブルの上に出した金額に私は唖然として、それ以上は何も言えなかった。
「おつりはお小遣い。」
 まるで計算したような目つきでセナが笑う。単純な私はお小遣いという響きで嬉しくなって立ち上がり、ニヤリと笑った。
「この五千円ってUSBのお給料?」
「頑張って学校に行ってるからだよ。孫が可愛くてお小遣いを簡単にあげちゃうおじいちゃんと同じ。」
「ありがとう!おじいちゃん!」
 私は五千円札を握り締めて、混み合うカウンターへと向かった。

「あー。やると思った。」
「何が?」
 セナの注文通り、アイスコーヒーを頼んで持って来てあげたというのに、全くひどい反応だ。
「オレのと自分のジュース1つずつだけ。しかもオレのも自分のもSサイズ。」
「なんか悪い?」
「少しでもお金自分の懐に入れようとしてるのが伝わってくる。」
「ちゃんとアイスコーヒー買ってきたのに、文句言わないでよ。」
「少しくらいオレに感謝してたら、普通オレにMサイズくらい買って来てくれるよね。」
 腹が立ったので、しばらく黙り込んだ末に肩を落として目をうつろにさせた。
「分かった。あたしのが欲しいならあげる…。」
「いや違くて。…なんでそうなるの。」
 嘘が苦手な私はすぐに顔に出てしまう。
「だからあたしは少しでも自由に使えるお金が欲しいの!分かる!?」
「なら今度から言って。」
「は?」
 意味が分からない。お前に言っても私の手元にある金の金額は変わらないというのに。セナはアイスコーヒーのストローをくわえながら呟く。

「オレから出る給料だけじゃ、はっきり言って物足りないでしょ?」
「い…いや。」
「だから言って。欲しい物があるときは買ってあげるから。」
「お前はあたしの彼氏か。」
「ハッハッハ。」
 いつも思うのだが、私はセナのふざけた時の笑い方が嫌いだ。こんな笑い方をしていて、彼女に嫌われないのだろうか…。
「あたしにお金使うよりも、彼女に使ってあげた方が絶対いいよ。ほら、買い物に連れて行ってあげたり。」
「え。」
 セナが急にストローから口を離した。また言ってはいけないことを言ってしまったのかと思い、私は目を見開いた。
「オレの彼女、もう連れて行くとか、そういう年齢じゃないから。」
「そう言えば彼女って何歳なの?」
「23。」
「で…セナは?」
「オレ?オレは22~24の設定で造られたから、言う時は24にしてるけど。それが何か?」
 セナは24歳で彼女さんが23歳か。まぁ、ちょうどよいくらいの歳の差か。
「彼女さんは大学生?」
「いや社会人。仕事してるよ。大手企業の受付やってる。」
 受付嬢なのか。それなりに美人なのだろう。目に浮かんでくる。
「やっぱり美人なんだ。幸せでいいねぇ。」
 不幸の極みに立ち続けている私にとっては、よだれが出る程羨ましい。彼は誰かを愛し、愛されて、互いに支え合っている。それは幸せの極みではないのか?
「突然オレの彼女の存在を持ち出して、どうしたの?オレののろけ話聞きたいの?」
「羨ましいなと思って。セナも彼女さんが好きで、彼女さんもセナが好きなんでしょ?」
「そりゃね。」
「あたし、もう誰からも愛されてないからさ。」
 自分から切り出した話なのに急に腹が立ってきて、セナから貰った約4,800円をセナに差し出した。セナは怪訝そうな表情へと一瞬にして変わった。
「やっぱいいや。お金いらない。USBが全部片付いたらお給料貰うから。」
「だから給料だけじゃ何も…」
 そう。何も買えない。でも買えなくてもいいのだ。私の死んだように弱った欲は簡単に自分の力で抑えられるし、特別人生を謳歌しようとも思わない。
「買わなくたっていいよ。もうさ。」
 椅子の背もたれに勢いよく背中をあずけ脇に目をやると、楽しそうに席に座って話し合っている女子高生数人が見えた。
「いいよね。あの子たちはあたしと違って幸せで。」
「理真ちゃん…話題、変えようよ。」
 セナが困ったように言い出したが、私はそれを無視した。
「セナさ、あたしのところ幸せだって言ってたけど、あたし全く幸せじゃない。それにセナはさ、結局彼女とか作って楽しく幸せにやってるじゃん。そういうセナから『君は幸せだ』って言われるとさ…」
 今の私はどうかしている。
「腹立つんだよね。」
「…ごめんね。オレ、無神経だったよね。」
「大体さ…」
 謝っているにも関わらず、文句を言い続けようとしている私に、私自身が驚いた。昔、私の母の妹の美華子叔母さんの目の前で、叔母さんの息子、私にとっていとこを思い切り叩いたことがあった。その後私は美華子叔母さんに頭を思い切り叩かれた。幼かった私の視界がぶれ、目の前が暗くなるほど強い力だった。その時は痛いということよりも、悪いことをしたという後悔の方が大きかった。だから私は素直にごめんさないと口にした。そしたら叔母さんに「謝って済む問題じゃない」と言われ、睨まれ続けた。
謝って済まないのなら、どうしろというのだ?死んで償えというのか?今だってそうだ。謝ったセナに対して私はまだ文句を言おうとしている。私はセナに死んでほしいのか?
 私が一番死んでほしいのは父と母の車に衝突したあの女と、人の過ちに対する文句をずっと言い続けている私だ。私はあの時からなんとなく叔母が嫌いになった。あの時、怒りに任せて他人に当たれば嫌われるということは学んだはずだ。だがそれを繰り返そうとしている私に腹が立つ。この訳の分からない狂いそうな怒りには、耐え続けるしかないのだ。
「…理真ちゃん?」
「お小遣い、やっぱりいらないから返すよ。」
頭の中でぐるぐると考えながら、私はストローをくわえた。セナは私をずっと見つめて、私が何を考えているのかを探ろうとしているように見えたが、私は何も知らないふりをしてテーブルの表面をずっと見つめていた。

 翌朝、私はなぜか頭が痛かった。
「ほら。朝ごはん食べて。」
 いつものようにベッドの中で丸まっている私を優しく揺するセナ。私はやっとのことで上半身を起こした。
「ほら理真ちゃん。頑張って目を覚まして。オレ、車のエンジン掛けなきゃいけないから。」
「あぁ、いいよ。」
「え?」
 車の鍵を手にしたセナが顔を顰めながら、ベッドの上にいる私へと振り返った。
「今日は歩いて行く。時間もあるし。」
「でもさ…。」
「車使う用事でもあるの?」
「オレ仕事あるから。」
 何だ。2日続けて仕事なんて初めてではないのか?
「帰り、遅くなるけど、5時頃にハチコウがここに資料を取りに来るから。」
「分かった。仕事があるなら先に行っていいよ。あたし歩いて行きたいし、それに朝ごはんまだだから。」
「…行くけど、遅刻しないようにここ出るんだよ?」
「はいはい。」
 ベッドから降りると、私はソファーの肘掛けに掛けられているタオルを手に取り、洗面所へと向かおうとした。
「じゃ、行ってくるよ。」
「いってらっしゃーい。」
 そう言い残してセナは事務所のドアを閉めた。私は持っていた柔軟剤の甘い香りのするタオルをベッドへと投げた。なんだか今日は朝から腹が立つ。どうしてだろう。
 ふと昨日のことを思い出した。
「結局セナも幸せか…。」
 どうやら幸せな者と不幸な者が一緒に暮らすというのは、不可能なようだ。


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