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8話 恩返し


 どうしてだ。父と母の車に衝突されたのなら、もし父と母が死んだとしても、衝突してきた文句を集中治療室から出て来た私にぶつければいい。父と母が死んだことを「自爆した」と言って嘲笑えばいい。なのにどうして泣いた?泣き叫び、謝りながらどうして土下座などしたのだ?お前から衝突したからだろう!?でなければ、謝る必要などどこにもないのだ。法的罰だけは逃れたいというのか?そのために嘘をつこうというのか?
 …結局、あの土下座も嘘、偽りか。そして死んでしまったことをいいことに、父と母に罪を押しつけようというのか?させるか。そんなこと。

「確かにおかしいね。」
 夜の帰り道、車が多く通る橋の上で、私はセナに全てを話した。セナは手すりへと向かい、ビルの夜景を見ながら言った。
「下品な奴だったら、理真ちゃんが集中治療室から出て来た時に、車の修理代だの新車代だの出せって言うだろうし、普通の人だったら自分が怪我していたとしても、ご冥福をお祈りいたしますだの言うよね。」
「嘘ついてるんだ。あの女。」
 私は低い声で呟いた。
「ヒステリックに謝る時点でおかしいよね。自分を責めて正気を失ってたんだよ。…それか警察に捕まるのがよほど怖かったか。でもよく考えたら相手は死んでいる。押しつけるチャンスを得たんだね。その女は。それに残っている娘はたった17の世間知らずの女子高生。…発言権がないことをいいことに好き放題やられたね。」
「あの女…殺してやる。」
「理真ちゃん。」
 セナが怒るように、なだめるように私に言った。
「だってあの女はあたしの家族を奪ったんだ!」
「分かるよ理真ちゃん。」
「セナには分からない!」
 彼の悲しそうな瞳が私に突き刺さる。しかし私はもう止まらないのだ。
「あたしのお父さんは優しくておもしろかったけど、運転にはうるさかった。飲酒運転も居眠り運転も絶対にしない人間なの!そんなお父さんが対向車線にはみ出して、他の車に追突するなんて有り得るはずがない!そんなお父さんに罪を押しつけるなんて、お父さんの人格を否定するのと同じ!あたしが否定されるのと同じなの!」
 涙を流しながら言う理真から、セナは目を離すことができなかった。
「あたしは結婚10年目でやっと生まれた子供だった。1人っ子だったから甘やかされて…いつも泣いてばかりだった。お母さんはそんなあたしを、可愛がって大切に育ててくれた。恋も悩みも、内緒話だって嫌がらずに聞いてくれた。兄弟で楽しく遊ぶ子供たちを羨ましそうに見ている1人っ子のあたしを心配して、一緒に遊びだってしてくれた。お父さんは反抗期になったあたしに嫌われるのが怖いのか、出張があると必ずご当地のキーホルダーとか、ぬいぐるみとか、服とか買って帰って来てくれた。きっと恥ずかしがりながら買ったんだろうなって思いながら、あたしはすごく喜んでた。だからお父さんもお母さんも嫌いにだって、嫌になることだって1度もなかった。お父さんとお母さんがあたしの生活の全てだったから。友達もいない。彼氏もいない。ファザコンとかマザコンとか思われても仕方ないと思う。でも家族があたしの全部だったの!全部だったのに!あの…あの女は!!」
 息ができなくなって、私はよろめいた。あの女は私を殺したのと同じだ。分かる。分かるのだ。今の私は既に死んだものと同じ。
「理真ちゃん。」
「分かったよ。もっといい方法があったよ。」
 私の言葉にセナは首を傾げる。一体私は今、どんな顔をしているのか…。
「あたしが死ねばいいんだよ。」
「へ…」
 セナの焦りが混じる瞳が大きく見開かれた。上がった息を整え、夜風が吹き渡る中私は言った。
「世の中にとったら、こんなのただのちっぽけな出来事に過ぎないんだよ。この事件に恨みを抱えているのは、きっとあたしだけ。父がけなされたなんて思っているのはあたしだけ。警察も加害者も、何とも思ってない。足元にいたアリが死んだくらいにしか思ってない。忘れてたよセナ。…あたし、本当は1人なんだよ。」
 セナは動こうとしなかった。ただ茶色の髪が夜風に揺れているだけ。あとは何1つ止まっていた。
「1人の世界で、1人で生きて行くくらいなら、あたしは死んだ方がいい。加害者か、あたしか。どっちかが死なないと、あたしは加害者とは…」
 言いかけた時、セナの怒鳴り声で掻き消された。
「いい加減にしなよ!!死んでもいいと思ってるの?自分で言ったよね?『あたしは結婚10年目の子供だ』って。なら分かるよね?どれだけ愛されて生まれてきたか!10年間も待ったんだよ!?理真ちゃんのこと。どれだけお父さんもお母さんも嬉しかったと思う?オレには分かるよ。どれだけ嬉しかったか。…なのに理真ちゃんは死ぬの?お父さんとお母さんが残したたった1つの生きた証なのに、それまでも理真ちゃんは自分の手で自分を潰すの?ふざけるんじゃないよ。」
 私の目からはより一層涙がぼろぼろと零れ、彼の姿を捉えることはできなかった。
「…分かってるよ。あたし、言葉だけだって。死ぬならもうとっくに死んでるよ。セナと会う前に。でもあたし仕方ないんだ。加害者かあたしのどっちかがいなくならないと。あたし、加害者のいるこの世界の空気が…吸えないみたいで。」
 息ができなくなって苦しかった。本当は過呼吸なのだろう。次から次へと空気が肺に入ってくるのに、肺は血液に酸素を結びつけようと機能しない。
「もういい…もういいよ。あたし親不孝なんだ。」
 座り込んだあたしの背中を、セナは私の近くへと来てそっとなでた。そして先程とは打って変わって、落ち着いた声で囁いた。
「理真ちゃんは1度、この交通事故からは身を引きな。」
「え?そんなことできるわけないでしょ。」
「何もしないで放っておけばいいの。自分の年齢と性別を考えな。」
「え?…え?」
 年齢なら分かる。せ…性別って?意味が分からない。
「でもこれはあたしのお父さんとお母さんの…」
「汚れるよ。これは子供が首を突っ込んでいい普通の事故じゃない。大人の汚い心が表に出た事故だよ。下手に首を突っ込んで批判して、加害者が逮捕されたとしても報復があるかもしれない。」
「逮捕されたらそれは無理でしょ?」
「…第3者からのだよ。」
 私は思わずセナを見つめたまま口を開いたり閉じたりしてしまった。
「ね?言ったでしょ?だから性別を考えてって。」
「そんなの…あるはず…。」
「理真ちゃんはこうしてオレに相談した。ってことは向こうも当然家族とかに普通に相談するだろうし。そりゃ相手が死んだらねぇ。」
 体が震える。大人は怖いと改めて感じた。私のこの幼稚な頭では、大人が何を考えているのか分からない。
「いい?分かった?首を突っ込んだら、泣くのは理真ちゃんだからね。」
 私は頷くことしかできなかった。どうか私を責めないでほしい。…こうするしかなかったのだ。

 その夜、彼女はオレと口も利かずに泣きながら眠りに就いた。部屋の電気を消していても、人間ではないオレには、何1つ不自由なく物を見ることができる。疲れ果てて眠り、現実から一時的に解放されている理真の寝顔も、遠くに見て取れた。
 ソファーに横になりながらオレはまた考える。まさか10年前の可愛らしい少女にこんな災難が降り注ぐなんて、やはり変わっていない。赤いランドセルを背負い、泣いている少女に誰も声を掛けようとしないこの冷たい世界は。
「何も変わってない。」
 冷たい世界も。少女だった彼女の優しい笑顔も。
「10年間待った…か。」
 死ぬと言う理真を叱りつけた時、「お父さんとお母さんは、君が生まれるまで10年間も待ったんだ」なんて知りもしないことを言ってしまった。他人であるオレは、本当は10年間か、5年間か、3年間かも分からないのに。結局オレは自分のことを言っていたのだ。オレは彼女を10年間…ずっと…。
 窓に目をやると、黒い雲の陰から月明かりが漏れていた。ソファーの上で1度だけ、ゆっくり目を閉じる。この目は見えなくてもよいものまで見えてしまうのだ。
「恩返し…ね。」
 オレは彼女を10年間ずっと待ち続けた。笑顔を教えてくれた、その恩を返すために。理真は真実を知る義務がある。オレは彼女に真実を伝えよう。それが…


オレからの恩返し。

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