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4話 優しいアンドロイド


 私はピンクの水玉の大きなバックに荷物をまとめていた。家出ではない。旅に出るわけでもない。働きに行くのだ。500mほど離れた古い工場に住むアンドロイドのもとへ。今、冷静になって考えてみると、私は随分とおかしなことをしていると思う。アンドロイドの元で働くのだ。相手は造られた人間。どう考えても、

人間>アンドロイド

のはずなのに。下着をバックの中に入れながら、私は心の旅に出つつあった。心ここにあらずだ。こういう時に限って判断が鈍る私。下着を袋に入れず、そのままバックの中に突っ込んでいた。

 しばらくここには帰って来られないだろうと思い、仏壇に供えてある花を全て捨てた。彼が私から香ってくると言っていた百合の花も、まだ綺麗に咲き誇っていたが捨ててしまった。家電製品のコンセントも全て抜き、私は家を後にした。
 いつもベランダに洗濯物が干されていたのに、今日は何1つ干されていない。
「当たり前か…。」
 もう私1人しかいないのだから。私は背を向けて1歩踏み出そうとした時だった。

「いってらっしゃい!気をつけるのよ!」

 母の声がベランダから聞こえてきた。私は急いで振り返ったが、そこに母はいなかった。
「言われなくても、気をつけて行くから心配しないでよ。」
 私はそう小さく呟いた。あのアンドロイドが言った通り、父も母も頑張っているのだ。私も頑張らなくてはならない。生きて行かなければならない。

「セナ?いる?あたしだけど。」
「お。また隈がひどいことになってるね。」
 汚い事務所の奥からセナが出て来た。相変わらず半開きの目で私に笑いかけてくる。
「ここ土足なの?」
「うん。そのまま入っていいよ。」
 テーブルの上の資料も、私が1週間前に訪れた時と全く変わっていない。その変わり、ベッドの上のゴミが更に増えて汚いことになっている。ここ1週間、ベッドの上で生活していたのだろう。
 どうしてアンドロイドなのに掃除ができないのだ?不思議で仕方がない。
「ねぇセナ。制服しわになっちゃうから、そこに掛けてもいい?」
 私はバックから制服を出し、クローゼットを指差した。
「いいよ。好きに使って。」
 セナは軽く返事をして、私のバックの中を何気なく覗いた。
「うぇっ!?」
 どこから出てきたのか分からないような声が、セナから発せられた。クローゼットのドアを閉めた私は、セナの近くに駆け寄った。
「何?」
「せめて下着は袋に入れてよ。」
「ちょっと!何見てんの!あっち行け!」
 バックのチャックを勢いよく閉めて、セナの大きな体を跳ねのけた。しかしセナはびくともせず、ニヤニヤ笑っている。
「アドバイスしてあげただけなのに。」
「そんなアドバイスいらないから!そうだ、仕事!仕事早く頂戴!」
「は?」
 頭を掻き乱しながらセナは目を細める。
「は?じゃなくて、仕事を早くください。」
「え~!?オレ今日は歓迎パーティーする気満々だったのに!」
 そう言いながらセナはベッドの上に倒れ込んだ。
「あたしは早くお金を稼がなくちゃいけないんだって言ったじゃん!それにあたしを雇うって言ったのはお前でしょ!?」
「もはやお前かよ。」
「アンドロイドのくせに人間なんか助けちゃってさ。何?カッコつけてんの?ターミネーターの気してるの?」
 言った後に後悔した。勢いに任せてつい言ってしまった。セナはベッドにうつ伏せになったままピクリとも動かず、私と目を合わせようともしない。
「…ごめんなさい。」
「あっちに作業着があるから、それに着替えな。力仕事じゃないけど、周りからはアルバイトに見えるし、そんなに怪しまれないと思うから。…嫌だったらいいけど。」
 完璧にセナのテンションが急降下してしまった。彼が力なく指をさす方向には黒地に白いラインの入った作業着が置かれていた。私はそれを手に取り、頭を下げた。
「これからお世話になります。」
「いえいえ。」
 ベッドに倒れ込んだまま、セナはいい加減な返事を返すだけだった。

 作業着に着替えると、私はセナに黒いノートパソコンの前に座らせられた。
「理真ちゃんはパソコン使える?」
「少しだけなら。」
「このダンボールに入っているUSBのデータを開いて、中に何が入っているのかをふせんに書いて、USB本体に貼ってくれる?」
 セナはダンボールの箱に溢れそうになっているUSBを私に見せながら説明をした。何だ。ふざけているのか。こんな山のようなUSBの中身を確認しろだと?

 自分でやれ。

「今日…1日で?」
「違うよ!少しずつでいいから。無理せずやって。」
 そう言ってセナはまたベッドの中に飛び込んだ。私は何か気がついてしまったような気がした。もしかしたら、セナは嫌々私を雇ったのかもしれない。同情して雇ったのかもしれない。本当は私なんて雇いたくなかったのかもしれない。先程から冷たいし。素っ気ないし…。
 これ以上面倒がられたら、きっと私は辞めさせられてしまう。せめて仕事は精一杯やらなければ。住まわせてもらい、生活費を払ってもらうのだ。一生懸命尽くさなければ。

「ねー。理真ちゃーん。」
 彼はいつも甘ったれた声で私の名前を呼ぶ。いつもは何も気にならないが、今だけは尋常ではないくらい腹が立つ。私がおかしいのか?それともセナが私を腹立たせるような周波数の声をわざと出しているのか?
「もう6時間以上やってるけど、そんなにやらなくても…。」
「今日で全部終わらせるの。」
「えぇっ!?本気で言ってる?それ。」
 セナは布団の中で慌てたように言う。私は本気だった。自分でも多少分かっていたが、私は意地を張っているのだ。
「何でそんなに頑張っちゃうの?」
「何でって…あたしは雇われの身だよ?いつクビ切られてもおかしくないもん。」
「く…クビって…理真ちゃんまさか…戦国武将だったの…?」
 今、セナが何を考えたのかはよく分からない。分かりたいとも思わない。
「ただでさえ迷惑掛けてるんだもん。これ以上迷惑掛けたくないから。」
「え?オレ迷惑だなんて思ってないよ。」
「いいよ。フォローしなくても。」
 私はセナに向けていた体を、またパソコンに向けた。しかし急に涙が溢れてきて、画面も何もかもぼやけて見えなくなってしまった。恥ずかしくて椅子の上で両脚を抱え、両膝に額を当て、顔を隠した。
 アンドロイドの彼が気づかないわけがない。ベッドの中から出て来て、私に近づき丸まっている私の背中をそっとなでてくれた。
「いろいろ考えてたんだね。でもいいから。オレ人間じゃないし、そんなに気を配らなくてもいいから。」
「でもあたし、これ以上人に迷惑がられたら、誰も頼れない。」
「オレがいるじゃん!ね、ね?これほど頼もしい奴なんていないでしょ?」
 私を覗き込んでセナが言う。
「セナ顔が近い!」
「そんな悲しいこと言わないで。」
「もう大丈夫だからあっち行って!気持ち悪い!」
 泣き笑いをする私を見て、セナは安心したように笑みを浮かべると、私の右手を掴んだ。
「カラオケ行こう。理真ちゃん!」
「は!?」
 半ば強制的に私は連れて行かれた。中学生の頃、仲が良かった友達と行ったきり、ほとんどカラオケには行っていなかった。大抵友達が歌うところを見ているだけだったが、今回は全く違っていた。ほとんど私が、いや、全て私が歌っていた。セナは脇でエアギターだのエアドラムだの言ってパフォーマンスをしていて、最終的には2人で踊り狂ってジュースを大量に零した。


 帰りは身長差が気になりつつも、肩を組んで仲良く帰った。セナが私にテンションを合わせてくれたのか、それとも偶然相性がよかったのかは分からない。だが、心の優しいアンドロイドに出会えて本当によかったと思った。

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