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2話 少女

 3日後。私は学校へ行った。勿論気は進まなかった。しかし家にいても何もすることがなく、ただ呆然とする日々が続く。それならば、学校に飛び込んで行った方が楽かもしれない。そう思ったのだ。
 学校へ行ったのはいいものの、私には友達という友達がいない。教室ではいつも1人で、特にクラスメートと会話もしない。
 椅子に座り、空を眺めながら思わず笑ってしまった。家にいても、学校にいても私が1人だということは変わらない。どうして学校に来ようなんて思ったのだろう。学校に飛び込んでも、楽なことなんて何もないのに。しかし家にいると友達のいない学校が恋しくなり、学校にいると家族のいない家が恋しくなった。
 私は馴染みのある場所とそこにある空気で、満たされない心を無理矢理満たそうとしていた。
 いつしかアンドロイドのことも夢だったのだろうかと思い始めていた。男と出会い、1週間が経ったが、あの工場に行くつもりはなかった。どうせ夢に決まっているのだ。アンドロイドなんていない。工場にいったとしてもきっと蜘蛛の巣が張り巡らされ、もぬけの殻なのだ。そこには最初からあの古いソファーも、あのアンドロイドも何も存在していなかったのだ。

「理真!」
 放課後、1人のクラスメートが私に声を掛けてきた。
「あのさ、遊ぶ気分じゃないかもしれないけど、今日だけ少し出掛けない?…息抜きも大切だと思うし。」
 今の女子高生らしいスカートの丈の短さで、彼女は私に遠慮がちに言った。彼女はただのクラスメートだ。友達ではない。いつも一緒にいるわけではなく、あることをきっかけに会話をするようになっただけなのだ。
 3年生の1学期、女子トイレの鏡の前で化粧に苦戦する茶髪で髪の長い彼女を見つけた。私は化粧についての能が多少あったため、少し手伝いをした。

そしたら彼女は喜んで、私によく化粧を頼むようになった。…それだけだ。あとは何の関係もない。彼女は女の子らしいグループの中心にいて、女友達も男友達も大勢いた。やはり可愛いからだろう。地味で堅苦しい私とは正反対だった。
「えっ。でも。」
 私は知っていた。彼女は今日、他の女子生徒から遊びの誘いを受けていたことを。
「理真の都合が良ければだけど。」
「あたしは別に…。でも夏実は?」
「あたしは大丈夫。決まりだね、行こ!」
 彼女は私の手を引き、笑いながら歩き出した。

「ねぇ理真、何飲む?」
 学校に程近いカフェで私と夏実は雑談をすることにした。しかし私は彼女のことが心配で堪らなかった。彼女なりに私のことを心配してくれているのだろう。しかし彼女には友達がいる。私のような人間といるより友達を優先してほしい。でなければ、彼女まで私と同じように1人になってしまう。
「ね…夏実、今日遊びに誘われてなかった?」
「え?あぁ。断ったよ?」
「…今からでも遅くないんじゃない?」
「えぇ!?断って来たから大丈夫だよ。」
 大きな瞳で彼女は私を安心させようとする。
「あたしといちゃ…ダメだよ。」
 彼女が私のようになった光景を想像するだけで悲しくなった。彼女はそんな思いをしてはいけない人間だ。常に人の中心でなければならない人間なのだ。迷惑ばかりを掛ける私のような人間とは違う。
「理真?そんな心配しなくてもいいよ?」
「あ…あたしお腹痛いから帰るよ。」
 彼女を人気で有り続けさせるために、おかしな嘘をついた。
「大丈夫?薬あるよ?」
「あ。あたし帰るからさ…友達と合流してきなよ。じゃ。」
「ちょっと!理真!」
 椅子から即座に立ち上がり、スクールバックを持って歩きだした私の背中に、夏実は言った。
「ご…ごめんね。」
 ただそれだけしか言えなかった。「誘ってくれて、ありがとう」と言えなかったのだ。

「あ。いたいた。」
 あの茶髪のアンドロイドは都心のビルの屋上で、携帯電話を左手に持ち誰かと通話をしていた。

彼は推定22歳から24歳。青い空に妙に浮き上がる黒いジャンバー。髪を風になびかせながら、右手には狙撃銃を持っていた。
「撃ってもいいんでしょ?」
「あぁ。壊しちまえ。」
 携帯電話から若い男の乾いた声がした。アンドロイドは黒い帽子を深く被ると狙撃銃を構えて座り、スコープの中を覗いた。
「集中するから、話しかけないでね。」
「分かった。」
 アンドロイドは携帯電話を地面に置き、向かいのビルの屋上にいる1人の男を狙い始めた。あろうことかスコープのど真ん中にいる男は、平然とこちらと同じように狙撃銃を向けていた。しかしアンドロイドは特に変わった表情もせずに、目を細めて狙撃銃の引き金を引いた。大きい銃声と同時に男が倒れ、スコープから消えた。
「…当たったか?」
「アイツこっちに狙撃銃向けてたよ。ったく、距離の計算もできないくせして気取るから頭ボカンにしてやったよ。今そっちに戻る。」
 地面に置いた携帯電話を手に取り、電話の向こう側にいる男にそう伝えると、通話を切った。彼は使われ既に中身のない銃弾が1つ、灰色の光沢のある床に転がっているのを見ると、舌打ちをしながらそれを蹴り飛ばした。

「おかえり。」
 黒い車のドアを開けると、その中に似合わぬチャラチャラした男が出迎えてきた。どことなく汚らしいが愛らしさがある。アンドロイドは後部座席に帽子と銃の入っているギターケースを投げ込むと、助手席に勢いよく座った。
「壊れたか?」
「あぁ。頭から血、流して壊れてた。」
 不潔そうな男は嬉しそうに笑いながらアンドロイドを見た。しかし彼はため息をつき、ズボンのポケットに手を入れたままだった。
「どうした?」
「あぁ。いろいろあったんだよ。」
 気だるそうにアンドロイドは答える。明らかに会話を拒否している。だが無神経な男は運転席に座ったまま話しを聞き出そうとする。
「いろいろって何だよ。」
「ん。道で拾った。」
「何をだよ。また空き缶とかか?町を掃除するのはいいが、ちゃんと捨てろよ?」
「人間捨ててもいいの?」
 その答えに不潔そうな男の瞳が極限まで大きく開かれた。
「人間!?人間が道に落ちてたのか!?」
 アンドロイドは頷く。
「それって…ただの通行人だったんじゃないのか?」
「普通座り込んで泣く通行人なんているかな。夜とは言え、あんな公道で。」
 アンドロイドはもともと鋭い目で不潔そうな男をちらりと見る。
「…で、どうしたんだ。」
「1回家に連れて行ったけど、ちゃんと帰らせたよ。」
「びっくりした。お前、拉致したのかと思った。」
「そこまで変人じゃない。」
 興味を持ったのか、不潔そうな男は車のエンジンを切り、アンドロイドに体を向けた。
「なぁ、それ女か?」
「…何でエンジン切るの?オレ帰りたい。」
「答えねぇと帰れないぞ。」
 子供のような脅しに、アンドロイドは顔を顰め、困惑の表情を浮かべた。
「女子高生。」
「マジか。でも何で泣いてたんだ?」
「父親と母親が突然交通事故で死んだらしいよ。」
「うわ。マジかよ。」
「金にも困ってるみたいだったから、よければ雇ってやるって誘った。」
「や…雇う?オイ。ちょっと待てよ。」
「断られかけたから、1週間待つって言った。今日でもう1週間だけどね。」
 黒いジャンバーの襟に埋もれながら、アンドロイドは無表情で答えた。
「え?お前、それ本気なのかよ。」
「は?」
「ヤバいだろ。だってオレ達がいるのは…。」
 不潔そうな男は言葉に詰まったようだ。しかしアンドロイドは男が何を言いたいのか、すぐにうかがい知ることができた。
「オレがいるのは、血に飢えた馬鹿たれどもの戦争っていう地獄だからねぇ…でもさ、オレその子に恩があるから、恩返しするチャンスかと思って。」
「恩ってなんだよ。拾ってやったのはお前だろ?」
「オレさ、その子と10年以上前に会ったことがあるんだよね。きっとあの子は覚えていないだろうけど。」
「…は?」

 10年以上前、オレが政府に造られて、ある程度の調整を終えると、このすさんだ社会に放り出された。何をしたら良いかも分からなかったオレは、ただコンビニの前に座ってみたり、滝が落ちるような音を立てて走る車を眺めていたりしていた。食糧も住みかも、はっきり言って必要ではなかった。そんな物がなくても生きていけた。
 唯一恐れていたのは他のアンドロイドだった。殺されるかもしれないという恐怖に支配される半面、ただ壊されるだけ、自分は壊されてしまう程頭が悪く、弱いアンドロイドだったと思えばいいという諦めに支配されていた。
 通りを行き買う人間を観察していると、面白いことに気がついた。皆それぞれ年齢が違うのだ。ベビーカーの中ですやすや眠る赤ん坊もいれば、腰の曲がった老人までいる。今まで20歳前後のアンドロイドしか見て来なかったオレにとっては、新鮮な光景だった。
 すると突然、髪を2つに結い、赤いランドセルを背負った幼い少女が目に飛び込んできた。小学1、2年生だろうか。泣いていた。俯いていたため、向かいから来たサラリーマンの男とぶつかった。少女はよろけて泣きながら立ち止まったが、サラリーマンの男は止まらずにそのまま逃げるようにして去って行ってしまった。その場に立ち尽くして泣き続ける少女に、誰も声を掛けようとはしなかった。オレは社会の冷たさを感じた。人間とはこの程度のものなのかと失望した。
 オレは遠くから1人泣き続ける少女を見て考えた。この少女もいずれ他の人間と同じように自分のことに精一杯になって、他人に手を差し伸べなくなる、そのような成長をする子供に、オレが手を差し伸べる意味はあるのだろうか?ましてや、オレはアンドロイドだ。アンドロイドに助けられたと分かれば、少女のプライドを傷つけることになる。だがオレは、すぐに自分の考えていることが馬鹿げていることに気がついた。あの少女が他人に手を差し伸べられない人間に成長するかどうかは未来の話だ。それに幼い少女にプライドなんてものがあるはずがない。オレが助けたくないという理由は1つもない。
「どうしたの?」
 少女のいる通りへ行き、少女と同じ目線の高さになるように屈んで尋ねた。すると少女はしゃくり上げながら高い声でぼそりと呟いた。
「ナナちゃんと遊ぶ約束してたのに。ナナちゃん、ダメって。」
 だいたいは予想できた。おそらく約束をすっぽかされたということだろう。内心、そんなことかと拍子抜けした。オレが少女に話しかけたと同時に、この少女はオレの初めて接触した人間になった。
「泣かないでよ。」
 小さい子供は大抵、泣かないでと願うほど泣くものだ。しかしオレはまだそんな知識を持っていなかった。泣かないでよと何度も言い続けるが、少女は泣き止まない。声を掛けなければよかったと後悔しつつあった。仕方なくオレは少女の手を掴んで、まだ慣れない言葉遣いで言った。
「一緒に遊ぼう?ね?」
 少女の瞳から流れていた涙は止まり、オレを見つめて高い声で尋ねてきた。
「本当?」
「う…うん。おいで。何して遊ぶ?」
 オレが少女の手を放して立ち上がると、少女はオレを見上げて嬉しそうに笑っていた。その顔を見てオレは驚いた。人間はこんなにも安らぎを与えられるような表情ができるのだなと。少女の真似をしてオレも口角を上げてみた。オレは笑顔の作り方を知らなかったのだ。それに応えて、少女はより一層笑ってくれた。オレはそれがとても嬉しかった。

「知ってる?オレらは1番最初に接触した人間によって人格が形成されるって。オレのこの性格もあの子によって形成されたのかね。」
「でもその10年前の子と、今雇おうと思ってる子、同一人物っていう証拠はあるのかよ。」
 再びエンジンをかけ、不潔そうな男がアンドロイドに問う。
「笑い方が同じだ。」
「それじゃ証拠にならねぇよ。」
「別に同一人物だったとしても、感動的でもないよ。あの子の家から、オレのいる工場までの距離は500mもない。今まで再会しなかったこと自体、おかしいくらいだよ。」
「名前とかは知らないのか?」
「1週間前、名前は聞かなかったけど、10年前の子の名前は知ってる。」
「何て名前だ?」
「…リマ。」


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