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足骨旅行記2

あの衝撃の公開録音から数日経って、興奮冷めやらぬまま日記を書いている。自分が企たとはいえほんとすごかった~。

というか、大人が百人以上集まって空間共有するイベントをするとこんなに疲れるのかと改めて実感した。

配信には入りきれなかった裏側の僕の心情をこの日記に書かないと公開録音が完結しないと思い筆を執ることにした。もとい、フリック入力してる。

遡ること一ヶ月前くらいニクラジの通常回を録音したときかなんかに、徳利から交通費を出すので大徳利展でニクラジのイベントをやりたいとのことだった。

原宿での展示会と聞いてビックリはしたが、生憎ファッションに疎い僕は普通の人ほど重く受け止めていなかったと思う。

いいよ。的な返事をして嫁さんに説明後にスケジュールを入れた。その数日後にオンエアーから連絡が入った。オンエアーからも僕へのオファーの連絡だった。内容を見て、細かいニュアンスの確認をしたかったのでその日のうちに電話で話して打ち合わせた。

オンエアーからもD山さんの交通費を出すから東京に来てほしいと言われ、それは徳利さんからもらうから要らないよと伝えた。

徳利からの提案とは違うところがひとつだけあった。トーフビーツさんをゲストで呼べるかもしれないのでドッキリをしようという提案だった。その後オンエアーの人が言った言葉にやりきれない気持ちになった。

「僕たちにはもうこれくらいしかしてあげられないですから」

僕は正直徳利がアルバムを作ろうが作らまいがどうでもいいと最初は思っていた。
友達がラッパーを目指して上京してその夢が崩れさるだけで、僕のようなラジオ側の人間としてはその失敗でしばらく楽しくラジオかできるからいいや。くらいに思ってた。何よりも本人からやる気を感じなかったので、できるわけないと思っていた。
僕は徳利からの相談も笑って聞くことが多かったし、詳細を聞くと愚痴を聞かされるだろうからと少し避けていた。どうやら僕は事の重大さをよく把握していなかったようだ。

アルバム作成について自分なりにアドバイスは何個かしたつもりだったが、なるほどねと言われるものも、それを活かして作詞をしたとかも言わないし、言っても無駄だとたかをくくっていた。まあ僕はラッパーじゃないしね。

極端な言い方をすれば徳利のアルバムなんて俺には関係ねー。と思っていた。

僕を呼んだり企画を考えたり、しかも費用は負担するとまで言われてしまえば、僕は断る理由等無かったし、そこまで言われてしまうと男気を見せないといけんなと思うくらいには歳を取っていた。

徳利やオンエアーは当初トークショーを考えていたようだがラジオを名乗って六年やってる手前公開録音以外の催しをすることは頭になかった。うけてもスベってもそれが自分達のやってきたことだからしょうがないと腹をくくった。

その後は、小規模なチームでSNS等で連絡を取り、Xデーを迎えるにあたって万全の準備を整えた。公開録音といってしまった手前、皆に意見を求めて、企画を考えた。

果たして人は来るだろうかとか、徳利はどういった反応をするかとか、何もかもが未体験であり失敗するとほぼ全員の好感度やイメージが悪くなる。リスキーなギャンブルにベッドしてしまった。幸い僕には失うものは何もないが、他の皆はリスクを抱えて徳利のために集まってくれている。こんな仲間がいるのになにも気づかずにいる大馬鹿野郎に日に日にムカついていった。

僕以外はアートやカルチャーの世界で切った張ったをやっているプロばかりだから、イメージが悪くなる等の失敗した場合のデメリットを説明すると、大丈夫でしょう。と笑顔で返してくれた。Skypeだったから笑顔かどうかはわからんけど。
この程度の催しなど慣れっこなのだろうか。皆気持ちいいくらいに気にもとめなかった。

いつもは徳利が知り合った人がニクラジにゲストで来たり、徳利のイベントにライブDJをしに行ったりで、自分発信の外交的な活動は皆無だったけれど、ここ最近はオンエアーの皆のお陰で面白い人たちと関われる機会ができた。ありがとう。

意外とニクラジの歴史は古く、六年ほどこんなことをやっていて、実は五年前に公開録音を一回やっている。ラジオをはじめて一年目の僕達は初めての試みに怯えながらも立ち向かい、結果僕の酒の失態で幕を閉じた。その時に僕は多くの人の信用を失ったし、リスナーで聴くのをやめた人もいたと思う。もう公開録音なんてできないだろう。と僕は思ったし、徳利はもう二度としたくないと思っただろう。

地道に自分達のペースでそれから五年間ラジオを続けたが、どちらの口からも公開録音をしようという言葉はなかった。

アンダーグラウンドでやっていき好きな人が聴けばいい。文句があれば聴くのをやめてくれればいい。くらいにしか考えていなかった。

今までの関係者のやり取りでもうそんなことも許されない所に来たのだと悟った。徳利さんはオンエアーというクリエイティブスタジオに所属して有名なアーティストからのトラック提供を受けている。俺だけそんなの知りませんとはもう言えないし、ニクラジを業界関係者や徳利ファンが聴いているという現実がそこにはあった。

ニクラジはバラエティの要素が強いラジオだが徳利と僕が好きなファッションや音楽やストリートカルチャー等もそこには含まれる。僕だってライブDJしたりするので徳利とはラジオだけの関係なんで知りませんとは言えない。

流石に協力者を悪者にするわけにはいかないので、自分が行程を立てて、打ち合わせでは進んで発言した。そして僕が今回の企画や演出を首謀した。幸いにもお客さんは笑ってくれたし、徳利にとっても前向きな結論が出せたと思う。原告団の皆さんからも厳しいお言葉をいただいたが、本当は皆いい人なので誤解しないようにね!笑
ただただ、皆音楽を愛していて音楽に本気な男達なのだ。

イベントを終えて僕はこう思った。

イベントは大成功だ!やったー!皆ありがとう!

遊びに来てくれたリスナーや関係者と会話を交わし握手をして写真を撮ってお土産をもらってとかしてるときに悲しい顔をしているおじさんと会った。

ダクトさんだった。

ダクトさんは徳利が活動し始めていた頃から、徳利に曲を作ってくれたり、ニクラジのジングルを作ってくれたり、東京での徳利のライブDJをしてくれたりと僕と徳利にとっての大恩人だった。そして五年前の僕がやらかした公開録音をさせてもらったイベントの主催者の一人だった。

実は、ダクトさんは徳利のファーストアルバム制作で徳利が力を借りているプロデューサーだった。徳利からアルバムの進捗が止まる前にダクトさんの力を借りて作っていると話を聞いていた。曲が出来ないラッパーとアルバムを作ろうとしていたのだ。苦労も多かったに違いない。もちろん、仕事もあってそれ以外の時間を充ててもらっていただろうから、相当大変だったと思う。

それにも関わらず僕は公開録音中に外部のプロデューサーと作った方がいいだとか、全然できてねーじゃねーかとかを好き放題言っていた。
本当にそうした方がいいと思っていたのでふざけて言ってるわけではなかったのたが。

ダクトさんには本当に申し訳ない気持ちになった。僕が考えた企画と演出が一番徳利を思って苦労していた協力者に大きな刃となり突き刺さっていたのだ。

五年前の失態からまたもやダクトさんの気持ちを裏切ってしまった。本人はそんなことないよと言ってくれる人だけどね。
ダクトさんは五年前も僕の事を見放さないでくれた。そして、今も徳利の事を見放さずに曲を一緒に作ろうとしてくれていた。

ダクトさんは複雑な表情を浮かべて悔しそうにしていた。

それから僕は大徳利展が終わり関係者で打ち上げがてら食事に行った。

ダクトさんからインスタのメッセージで今日はお疲れ様。D山には聴いてほしいからと曲が送られてきた。

その場の皆でそれを聴いた。ダクトさんの録った徳利のファーストアルバムの一曲のデモだった。
iPhoneのスピーカーから流れる曲を聴くだけでこれがいい曲だと分かった。

その場にいた皆がこれ普通に良くないすか?と言っていた。てゆーか結構出来てるやん!みたいになった。

一曲も出来ていないと思っていたのにいい感じにデモソングが出来ていた。これを徳利が皆に言ってくれなかったのでダクトさんは悔しい思いをしていたようだった。

本当に大馬鹿者である。もちろん僕も。
その後のメッセージで徳利とは音楽に真面目に向き合ってほしいから。D山に聴いてもらえて良かった。と送られてきた。

ダクトさん、、、泣

今回の企画について反省はするが後悔はしていない。

前に向かって走ることが僕にも徳利にも今できる大切なことだと思うから。

最後になりましたが公開録音に来てくれたリスナーの皆さん、ON AIRの皆、HI HATTの皆さん、よこちんさん、トーキョーカルチャートの皆さん、ラジオやさんごっこの皆、その他色々と協力してくれた仲間の皆さんありがとうございました!

大馬鹿野郎のアルバムが出来たらリリースパーティで会いましょう!

その時は皆と乾杯してお酒を飲んで楽しもう~

つづく

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