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アニメ嫌いの僕が「ガールズ&パンツァー」を全話視聴してみた結果

僕はアニメをほとんど見ない。全く見ないかと言えばそうでは無くて、ジブリは好きだし、ピクサーも好きだ。でも、アニメ界で定期的に押し寄せてくる潮流のようなもの(流行)からは少し…いや、大分距離を置いてきた。それは斜に構えていた訳ではなくて、体が拒否していたという感覚に近い。その証拠に僕は何度か「トライ」した。例えば、僕は「新世紀エヴァンゲリオン」のアニメを大人になってから見た。絵も動きもめちゃくちゃかっこいい。だけど「声」が駄目だった。

まず主人公の碇シンジの声を聞いた時に「いや、女の声じゃん」って思ったし、アスカや綾波レイのアニメ特有の抑揚や発声方が「こういうのが好きなんだろ?」と言われている気がして受け入れられなかった。同じ理由で「魔法少女まどか☆マギカ」も無理だった。

僕は声優の方や萌え声を否定したい訳では無い。むしろ好きだと思う。目の前にそんな声の人がいたら一瞬で好きになる自信がある。加えてブリッ子も好きだ。むしろ、積極的にやって欲しいとすら思っている。だけど、絵と声が合わさると駄目なのだ。これは子供の頃は無かった感覚だ。

それこそ、子供の頃は日課のようにアニメを見ていた。考えてみればアンパンマンもドラゴンボールも主人公の声は女性だし、萌え系…というか女児向けアニメ(「おジャ魔女どれみ」とか)も大学生ぐらいまでは見ていた気がする。

じゃあ、子供の頃の自分と今の自分でアニメに対する見方がどう変わったのか?

それは多分、目で見えるものの裏側を想像するかしないかの違いのような気がしている。言い換えれば、製作者の意図を意識するかしないかということだ。子供の頃は、キャラクターに誰が声を当てているとか意識もしなかったし、悟空は悟空でしかなかった。しかし、どうやら声優という職業があって、アニメーションに合わせて声を録音していることを知った。さらには、どうやら原作漫画とアニメでは全く別の人達が作っているらしい…。そうやって色々な事実を知った。

だんだんと、「なるほど、製作者はここでこう思って欲しいのかな?」というこれまでには無かった感情が浮かび上がってきた。それは、自分が多少なりとも作品を作る側に回ることで顕著になっていく。そうなると、純粋に作品が楽しめなくなる。むしろ、それらがノイズとなって襲いかかる。いつしか、作品(ドラマ、映画、漫画など含む)の評価基準が「現実に即しているか(現実的か)どうか」になった。ドキュメンタリー性を求めるという行為に近いかもしれない。なるべく、製作者の演出や意図が含まれていないものを良しとした(もちろん、ドキュメンタリー作品も製作者の意図が多分に含まれているのだが)。本当は作品の判断基準は「面白いかどうか」だけで良いはずなのに。例えば、ディズニーランドに行ったとして、ミッキーを見て「いや、中に人いるじゃん」とマジレスしてしまう寒さを自覚しつつも、楽しめない感覚だった。そうやって、非現実的なものや、ファンタジー的なものが見れなくなった。

製作者の意図が感じられるもの。そのひとつがアニメにおける「声」だった。

ある時、知人に「見た目がデフォルメされているのは良いのに、何で声は(デフォルメされていると)駄目なんですか?」と言われた時に、「確かに」と至極納得してしまった。

ごちゃごちゃ書いたけど、要は「つまらない大人になってしまった」ということだ。僕は怖かった、そうやって自分に理解出来ないモノが増えていくことが。それは作品を見る側としても作る側としても可能性を狭めることになる。

今回、あるきっかけで『ガールズ&パンツァー』を見てみることにした。
幸い、現在契約しているネットフリックスに作品があった。有名なので僕が紹介するまでも無いのだけど一応、概略をば。

戦車同士の模擬戦が伝統的な女性向けの武道として競技化され、戦車道と呼ばれて華道や茶道と並ぶ大和撫子の嗜みとして認知されている世界を舞台に、戦車戦の全国大会で優勝を目指す女子高生たちの奮闘を描くオリジナルアニメ。(Wikipediaより)


以下、感想を書いてみる。


各話感想

【1話】
あらすじ:大洗女子学園に転校してきた西住みほ。そこで、武部沙織と五十鈴華と親友になる。

・主人公の「私、戦車道やります!」にグッときた。
・女子しかいない世界なのか…?
・先生は?
・学校が船の上なのびっくりした。
・パンツが見えそうで見えない。


【2話】
あらすじ:必修選択科目で「戦車道」を選択したみほ。教官が来る前に学校周辺にあるとされる戦車を全部探すことに。

ゆかり「では!パンツァーフォー!」
さおり「パンツのアホ!?」→笑った。

「大砲が2本あるね」
「おっきくて強そう」→何かエロい。

・教官何も教えてなくてワロタ。

はな「思いっきり蹴ってください!」
さおり「じゃあ左っ!」
ドンッ!!
はな「あの、もう少しお手柔らかにお願いします…」→この流れ好き。

・実弾使うの??


【3話】
あらすじ:校内練習で実際に戦車に乗り込み複数チームで戦うことに。試合後、正式に5人揃ったみほ達はそれぞれのポジションを決める。

・橋危なくね?
・はなちゃんの立場無い(操縦を奪われて)。
・はな「ジンジンしびれた感じが忘れられなくて」→何かエロい。
・街の中を戦車が走るのが面白い。


【4話】
あらすじ:聖グロリアーナ女学院との練習試合。隊長になったみほが取った作戦は”こそこそ作戦”だった。

・街中で打ち合ってるのすげー!
・街ぶっ壊しててワロタ。

観客A「うちの店がぁー!これで新築できる!」
観客B「縁起いいなぁー。うちにも突っ込まねぇかな」→!?


【5話】
あらすじ:みほの姉・まほと副隊長のエリカに「無様な戦い方はするな」と言われる。嫌味に屈せず、全国大会に乗り出す。

ゆかり「試合前の偵察行為は承認されています」→!?!?


【6話】
あらすじ:サンダース大付属が自分達の無線を傍受していることに気づいたみほ達。それを逆手に取った作戦に出る。

みほ「今がチャンスなんです!当てさえすれば勝つんです!あきらめたら負けなんです!」→グッときた。

ケイ「ザッツ戦車道!これは戦争じゃない。道を外れたら戦車が泣くでしょ?」→格好良すぎ泣いた。


【7話】
あらすじ:1回戦を制したみほのチーム。その直後、麻子の祖母が倒れたと連絡が入り、病院へ直行する。


・生徒会新聞の記事がちゃんと作り込まれている。
・おばあちゃんとまこのやりとりが良い。

はな「戦車道の道はひとつじゃないですよね」
さおり「そうそう私たちが歩いた道が戦車道になるんだよ!」→良き。

・2回戦3秒で終わってワロタ。


【8話】
あらすじ:園みどり子たち3人が新たにチームに加わった。準決勝では去年の優勝校、プラウダ高校と対戦することに。

もも「それではダメなんだ!」
会長「勝たなきゃダメなんだよね」→…!

みほ「戦車道は戦争じゃありません。勝ち負けより大事なものがあるはずです。」
もも「勝つ以外の何が大事なんだ!?」
みほ「私この学校へ来て、みんなと出会って初めて戦車道の楽しさを知りました。この学校も戦車道も大好きになりました。だからその気持ちを大事にしたままこの大会を終わりたいんです!」→好き。


【9話】
あらすじ:廃校の危機から救うために戦車道を復活させたことを知った一同。優勝するために最後まで戦う決意をする。

もも「おいもっと士気を高めないと。このままじゃ戦えんだろ!なんとかしろ!隊長だろ?」
みほ「あ、はい…!
あっああんあん~!あっああんあん~!」
さおり「みぽりん!?」
ゆかり「どうしたんですか!?」
カエサル「八甲田か…?」
みほ「みんなも歌って下さい!私が踊りますから!」
もも「逆効果だぞ!おい!」→この流れとても好き。

会長「西住ちゃん!私らをここまで連れてきてくれてありがとね」→お前が好き。


【10話】
あらすじ:大胆な作戦でプラウダ高校を下した大洗女子学園は決勝進出を決める。相手はみほがかつて通っていた黒森峰女学園。

・はなちゃんの弁当大盛り。


【11話】
あらすじ:序盤は大洗女子に傾いていたかに見えた試合の流れも、黒森峰女学園の正攻法に押され気味に。果たして、みほの作戦は通用するのか?

・マウス、史上最大の超重戦車の威圧感やばい。


【12話】
あらすじ:圧倒的な強さを誇る”マウス”の出現で、散り散りになる大洗女子。だが、チームメイトの発した一言をヒントに、みほは前代未聞の作戦を繰り出す。

会長「西住ちゃん。これで学校廃校にならずに済むよ。」
みほ「はい!」
会長「私たちの学校守れたよ」
みほ「…はい!」→良かったね!

みほ「お姉ちゃん!」
まほ「ん?」
みほ「やっと見つけたよ!私の戦車道!」
まほ「うん」→良き。

ラストについては、これまで姉はみほ寄りの発言をちょちょいしていて、試合に負けて最終的にやっぱり妹を認めるという流れだけど、僕の代案としては、母よりもむしろ姉の方がみほを認めていないとする。最後みほに負けるけど、それでもやっぱり母は西住流としてみほのことを認められない。そこを誰よりもみほを認めていなかった姉がそこで初めてみほを認める発言をして母を制する…という流れも熱い気がした。でもそれだと姉が目立ち過ぎてしまうから、現状のシンプルな流れでも良かったのかもしれない。



気になったキャラクター

武部沙織→明るく元気なキャラクターで好き。一番一般的な女子的感覚を持っている。恋愛話が好きだけど実際はモテてないという設定も○。恋愛に絡めた発言をちょいちょいしているがスルーされている感じが笑う。

秋山優花里→私服からにじみ出るオタク感が良い。友達少なそうだから仲間が出来て良かった。

園みどり子→声が好き。

宇津木優季→声が好き。

カチューシャ→声が好き。強がり可愛い。

角谷杏→ひょうひょうとしていて何も考えていなそうだけど、決断力と行動力があり、周りが見えている。それでいてちゃんと他人を評価し、感謝できる人間。上司として優秀。しかもロリ。

僕は、強がりのロリが好きという性癖が発覚した。ただ、現実の女性でそういう女性が好きかと言われれば必ずしもそうでは無い。声としては鼻にかかった声が好きみたいだ。そういえば、ドラゴンボールで言えばビーデルの声が好きだ(見た目はツインテの頃が好き。とは言え初期ブルマが全てにおいて最強)。


総評

端的に言えば面白かった。冒頭につらつらと書いた「声」の問題についてはやはり最初はきつかった。だけど段々と抵抗が無くなっていった。要は慣れなんだと思う。とてもシンプルな話だ。

にしても現実性にしても、送り手と受け手の間でコンセンサス(合意)が取れているかが重要なのだと思う。つまりは、「この世界はこういうものだよ。いいね?」という問いに対して「いいよ!」と言えるかどうかだ。その合意無しにはその作品を楽しめない。

作品の内容以前のもっと手前の話として、アニメという表現手法について言えば、そもそも3次元の世界観を平面に落とし込むことがおかしな話だし、静止画を連続で見せられているに過ぎない。それを動いているものと勝手に認識している。テレビなんて単なるRGBの光の集合だ。現実っぽく見えるだけで、現実じゃない。サッカーは何で手を使ってはいけない?漫才はあらかじめ考えられた「ネタ」なのに何であたかも今思いついたように会話している?舞台における観客はなぜ無視される?

普通に考えれば突っ込みたくなるところを僕たちは突っ込まない。それは、そういうものだとあらかじめ知っているからだ。世界最初の映画上映会では、観客が画面奥から手前へ突進してきた列車を現実の列車と錯覚して逃げ出したそうだ(作り話という説もあるらしい)。

ガルパンで言えば、「男少なくね?」「先生は?」「戦車の金とか街の修復とかどうしてるの?」「生活感無くね?」「ってかそれ人死ぬよね?」とか突っ込みポイントは恐らく無限にある。

だけど、そんな突っ込みはどーでも良いんだ、多分。

無駄な要素は排除して、面白いところ(見て欲しいところ)にフォーカスした結果、あの世界観が出来上がった。じゃあ、面白い所って何だ?

それは多分、戦車でありキャラクターだ。戦車でありキャラクターが主役だから、その他の要素はそこまで重要じゃない。そう考えるとザワザワした気持ちが落ち着いてくる。気づけば、特定のキャラクターを目で追っている自分に気づく。そのキャラクターがしゃべったり、活躍すると嬉しい。キャラ同士の掛け合いが楽しい。それでいいんだと思えた。そう考えるとアイドルを応援する気持ちに近い気がした。

最後に、僕が好きになったキャラの絵を描いたので置いておきます。

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