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「警察署が燃えている」〜今、アメリカで起きていること〜

少し難しい話を書きます。日本でも報道されているようですが、私の留学先のミネソタ州で暴動が起きています。普段は英語や留学について書いているのですが、自分にも日本語で状況をシェアすることぐらいは出来るだろうかと思ったので書いてみます。

3日前の夕方、州都ミネアポリスのChicago Avenueという路上で、白人警官によって黒人のジョージ・フロイド氏が拘束された際に暴行を受け死亡するという事件が起きました。事件の詳しい情報はいまだ明らかになっていませんが、近くの店で偽の小切手を使ったとみられるフロイド氏を駆けつけた警官が拘束、手錠をかけられ地面に押さえつけられた状態の動画がインターネット上で拡散します。

この動画では、男性を首の上から5分以上も膝で押さえつける警官と「I can’t breathe. (息ができない。)」とうめく男性の姿がハッキリと映っており、周囲の人が懸命にそれを止めようとしている声、周りにいる3人の警官が何もしないことも含め、かなりショッキングなものでした。

コロナで自宅待機中の人が多かったこともあり、動画は瞬く間にアメリカ中に拡散され、ミネアポリスの事件現場近くでは翌々日(27日、昨日)に大規模なデモが行われました。批判を受け4人の警官は懲戒処分となりましたが、制裁を求める人々の怒りは決して収まらず、今日(28日)は街の至る所で暴動が起きる事態となっています。

日本でもそうだと思いますが、こちらのメディアでも商店やパトカーを襲撃する人や火をあげる建物の映像がノンストップで流されています。これだけを見ると、「アメリカというのは危険な国だ」、「悪い奴らが暴れまわっている」という印象をもってしまう人が少なくないと思います。

しかし、この問題はもっと根が深いものであり、単に警察の荒い仕打ちに対する暴動と捉えるのは短絡的であると危惧しています。もちろん商店の襲撃や暴力行為は決して許されるものではありませんが、この問題の背景はもっと根深いものだというのが私の周りの多くの若者の見方です。(大学がリベラルにかなり偏っているのもその理由にはありますが。)

白人警察官による黒人への暴行というのは決して今回に限ったことでなく、毎年何件もの似たようなニュースが至るところで報道されます。つい先日も南部ジョージア州でランニング中の男性が元警察官の親子にライフル銃で撃たれて死亡(動画が拡散され、容疑者は3ヶ月に逮捕)という悲惨なニュースが全米で流されました。

ミネソタでも私が渡米した夏(4年前)に、車を運転中に職質を受けた男性が免許に手を伸ばした際に至近距離で4発撃たれて亡くなるという事件がありました。警官によって殺害される人の数が年間1000人とも言われるアメリカ。その中で黒人の比率は人口を考えると群を抜いて高いです。

アメリカでは公民権法で法律上の人種差別が撤廃されたのが1875年。しかし、非白人、特に黒人への差別はありとあらゆる形で根深く残っているというのが正直なところです。中西部最北のミネソタは主にリベラル(左派)色が強く、人柄もおっとりしたような土地ですが、90%以上が白人というこの地で非白人が社会的に地位を確立するというのは容易ではありません。

アジア人の私ですら、大学の外に出ると酔っ払いに何か言われたり、日本で経験したことのない目線を感じることは少なくありません。しかし、基本的に「見下されている、軽く見られている」というようなアジア人に対する差別と、明らかに「攻撃対象」として向けられる黒人への差別は、正直比較できるレベルのものではありません。

肌の色により、自分に非がなくても警察を呼ばれることが逮捕、最悪の場合「死」を意味するという状況は、どこからどう見ても異常です。そして、毎月のように拡散される動画からは、黒人を「敵」として見なす警官が少なからずいること、そして彼らは権力のもとに「守られている」ということが見えるのです。

店を襲うのも、パトカーを燃やすのも、悪いことだというのは誰もが分かっているはずです。しかし、「ではどうすればいいのか?」、「何十年待っても、何人死んでも変わらないじゃないか?」というのが、暴動の現場で聞こえてくる生の言葉でした。

私は留学生として危険を冒す訳にはいかないと思っているので、暴動の中に入ることや友達のようにデモに参加することも避けています。しかし、外国人の私が何か声をあげないといけないと思うほどに事態は深刻ですし、家族や友人が犠牲になった現地の黒人層が暴動に参加するのは理解できるというのが本音です。

今この記事を書いている段階でサイレンやヘリコプターの音が聞こえてきますし、暴動の中心に向かって道路を高速で飛ばす車の音も止みません。普段めったにニュースに出ないミネソタがこのような形で取り上げられるのは本当に悲しいですが、自分がここに今いるのも何か意味があってのことかと思い、この記事を書きました。暴動を「怖い」と思うのは当然ですが、それだけでは解決に繋がらないと思うからです。

最後に、銃社会や人種差別といった言葉からアメリカ特有の問題のような印象を与えてしまったかもしれません。しかし、差別というのはどこに行ってもあるもので、自分が差別の対象になるまで気づかないだけのケースも多いです。また、「権利は与えられるものではなく勝ち取るもの」という価値観の国は日本の外には多くありますし、人間の歴史はそういうことの繰り返しだったのでしょう。

それでも、ソーシャルメディアや新しい時代の教育というのはその繰り返しの中で命の犠牲を減らす可能性があるものだと信じたいです。今日の現場でも、多くの警官はじっと武器を構えて見ているだけでしたが、この写真のように参加者と面と向かって会話をしている警官も見かけました。

暴力に走ったり、間違えた考えを持った少数のせいで人が死んだり、建物が燃えたりするのはとても悲しいことです。そして、片方だけが守られている構造というのは理不尽極まりないと思います。しかし、ほとんどの人はそれぞれが信じる正義の為にあの場に立っていて、会話で解決策を探ろうとしているように見えました。

少なくともそうであって欲しい。解決策が見えない状況でも、話し合うことで歴史が変わればいい。そういう思いでこの記事を書きました。何か思うところがあればぜひシェア、コメントしてください!

Have a nice day!

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