日本の男は、一度「パートナーの経血」に手を染めた方がいい

初めてのnote投稿タイトルがいきなり衝撃的すぎて、何者だこいつという方へ、ごめんなさい。でもタイトルは本音ですし、決して間違ったことを書いているとは思っていません。
デリカシーに欠けている意識も、煽っているつもりも一切ありません。

ひとまずこのタイトルで記事を書くに至った経緯として、今年(2018年)二回にわたって現代ビジネスオンラインさんに寄稿した僕の記事、二本をお読み頂ければと思います。お読み頂いた前提で、その後の記事を今回書いています。

第一回・『僕が毎月「妻の布ナプキン」で手を血に染める理由』

第二回・『「毎月妻の布ナプキンを洗う夫」が東京医大の女子減点騒動に物申す』


二本の記事をお読み頂いて、もう十分お腹いっぱいな皆様に、半ば謝りつつ、ようやく今回の記事を始めますよ。ごめんなさい。こっからも無駄に長いけど、良ければ読んで下さいな。

〜〜〜〜
さて、まったく初めましての読者さんへ。ざっと自己紹介から始めさせて下さい。ぼく、鈴木大介はかつて、女性や子ども、若者の貧困問題をテーマに、セックスワークや裏稼業といった社会の見えづらい部分で自らの貧困や困窮を「不適切な自助努力」で解決している当事者への取材を続けてきたルポライターでした。
 ぶっちゃけ言ったら、専門は組織売春、特に未成年の。あとは特殊詐欺と窃盗と強盗と闇金と……。
 孥(ど)ブラックな世界だけど、その中に生きている人たちの多くが、虐待サバイバーだったり元子どもの貧困当事者だったり、様々な障害を抱えていたりで、そんな彼女ら彼らの育った環境からそこに至るまでと、本音を聞き出して代弁するのが、僕の仕事でした。
たとえ彼らの生きづらさや困窮が、自己責任ではなく生い立ちや環境からそうなってしまったものだとしても、それをアンダーグラウンドな手段で自己解決してしまった時点で、救済すべきの対象から差別や排除の対象になってしまったり、法による取り締まりのターゲットになったり、かつて被害者だったのに加害者的な立場になってしまったり……。

そんな意味で、彼らは「最も見えづらいところにいる元被害者」でした。見えづらいところで苦しい立場から自力で抜け出せない、理解されたり救われたりするどころか差別や攻撃をされている。そんな人々の「ホントは苦しいっす」の声を代弁したくて、取材と執筆を続けてきました。

けれども、そんな取材活動の中で、僕自身めっちゃこじらせてしまって、自分自身でも「そのオピニオンは尖りすぎてるだろ!」と突っ込みを入れたくなる感情があります。

ひと言で言うと、元被害者のその後が
「男女でぜんぜん異なってくるのはなんでじゃ!?」です。

同じ被害的立場だった過去を持つ男女。男は加害的な立場に変化していくケースが散見されるのに対し、なぜか女性はずっとずっと被害的立場の中に封印されたままのケースが多い。
少なくとも僕が取材してきたステージでは、それが鉄板でした。

過酷な虐待をサバイブしてきた男の子が売春を統括する立場になって女の子騙したり、脅したり追い込んだり殴ったり。
一方で性的虐待サバイバーの女の子がずっと稼げない売春で傷つきつつ、たまに客の汚らしいオッサンに自分の生い立ち話した上で「フェラ上手だね」って言われた記憶を一生の宝物みたいにしてたり、ホント良い人だった〜なんてガチで感謝していたり。

いやいや、あなたのことを大事に思う男、あなたの生い立ちと売春で食べてるあなたの状況見て、仁王立ちでフェラさせて「上手だね」とか言わねえから。そんなちんぽ腐れて落ちてしまえファッK。

そんな突っ込みはさておき、なんかそんなもうやるせない取材重ねる内に、僕が辿り着いてしまったの結論が、

世の中のほとんどの理不尽や不幸の根源にあるのは、
男が作った男に都合の良い男優位な男社会じゃないか。

だったのでした。尖ってるかな? でもね、だってね。

そもそもその不適切な家庭環境で育ったアウトローな男の子の生い立ち聞いたところで、まず鉄板なのか「お母さんが何らかの被害属性を持つ当事者」ですよ。母に対する加害者が父親、母の彼氏ってのも飽きる程の鉄板。
買春男は僕の中で加害者だけど、そんな男も取材して思ったのは、買春男には元被害者の属性があるのも鉄板。イジメられ経験とかね。でも虐められた過去のあるあんたが、安いラブホで理不尽の中を生きてきた女の子ひざまずかせて、仁王立ちフェラかよ糞。キモいよおまえの被害経験に同情できないよ。

稀に加害的な女性像に出会ったとしても、そのベースにあるのは男性社会の加害による被害経験……。

ええ。こじらせています。
なんか、僕自身の立脚点が随分異様なところにあるのは十分に分かっているんだけど、いろんな社会問題、いろんな当事者の苦しさを掘り起こしていくと、あ、ヤバい、これ世の中の男性優位な構造をゴッソリと改善しない限り、あらゆる問題が根本的な解決に辿り着かないって、やっぱどうしても思わざるを得なくなってしまったんです。

もう本音を言うと、こーいうの男に言っても無駄感がハンパないんで『今後僕は男性が読む物を書く気はない。女性対象にものを書いていく』『男という加害的な性であることをやめてしまいたい』なんて思った時期もあって、実は今も少なからずそう思ってる。
まあ、髭面だし性器ついてるし、僕も普通に男なんだけど。

けれども、序盤で紹介した『妻の布ナプキンを洗う僕』記事二本について、数少ない男性読者の感想や、読んでくれた知人男性から受けた印象は、

大事な自分のパートナー女性にどう配慮すれば良いのか
分からずに苦しんでいる男の子もいる。

ってことでした。特に若い男性ね。

危ない危ない。僕40代中盤、1973年生まれ。ぼくらや僕より上の世代は、今より激しく男尊女卑な世界の中で育ってて、男が外で働いて女が家事をするのが当たり前だとか、テレビドラマの家族の食卓で、父親が配膳も手伝わずに新聞を読みながら飯食って、茶碗無言で差し出してオカワリの要請してることにいらだちを憶えない(俺はいまや正直激昂するから、『おもひでぽろぽろ』のたえこちゃんのパパだって棍棒で殴打したい)世代だけど、そんな僕らの糞ジェネレーションより若い子たちは、もっと視野がひらけてるんだ!!

正直、その「糞世代↑」には何か伝えたいモチベも上がんないんだけど、若い男の子らにはこのオッサンの後悔を伝えないとなって、反省したのでした。

ここまでが前置きです。凄いな、呆れるな。僕は元々編集者上がりなので、ものを書く時は分かりやすく短くコンパクトにって思ってるけど(それでも長いけど)、商業の文字じゃないとこんなに長々と前置き書いちゃうんだ。俺が編集なら1/3に削れし言うな。

〜〜〜〜〜

ということで、ようやく今回の投稿の本題です!

「日本の男は一度パートナーの経血に手を染めた方がいい」(ドーン)

僕が毎月妻の布ナプキンをアライグマするようになって、そろそろ一年。最近我が家では、妻のPMSや生理本番を「配慮さん」と呼ぶようにしています。
この言葉、我ながらキラーワードです。
どうゆーことか!?

生理前で絶賛メンタルコントロール不全に陥ってる妻の傍若無人な八つ当たりを食らった僕が、イライラしつつも
僕「妻よ君、もしかしなくても生理なのか、PMSなのか」
妻「そうだよ!」(舌打ち)
のようなやり取りだと、
1・ああ今月も来たか
2・じゃあこの八つ当たりは、メンタルをコントロールできなくて苦しい妻に対して僕の配慮が足りないがゆえなんだな。
3・じゃあ配慮しよう!
のステップになるところ、ここで配慮さんという言葉を使うとこうなるのです。
僕「妻よ君、もしかしなくても配慮さんなのか」
妻「そ……」(舌打ち=翻訳すると、気づくの遅いよ!)
僕「じゃあ配慮する」
妻「ん」(にっこり)

え〜、差が分からん!
と言われてもゴメンとしか言えんけど、これ体感的に別次元のやり取りなんです。
PMSや生理期間という言葉をそもそも「配慮さん」という言葉にしてしまうと、「生理だから(認知)、配慮しよう(判断)」の思考ステップを省略して、直球で「配慮な!」となるの。
そもそもPMSや生理が、配慮されるものということを前提に、そのワードそのものを「配慮」にしてしまうことで、こんな便利な短絡が起こるのですよ。
「配慮さん」、日本中に広まれと思うし、新語・流行語大賞2025ぐらいまでにはノミネートされろと思うぐらい、我が家的には神ワードでした。

でもですね、そうやって配慮さんが始まり、妻さん初日の出血。毎月定例行事となった布ナプキンの押し洗い作業や月経カップに溜まった経血を洗い流す作業をはじめて、毎回思うことがあるんです。

「俺、まだ配慮が足りないかもしれない」

承前第二回の記事にも書いたように、一ヶ月もすると血の記憶が薄れるもんだから、この作業には決して慣れることがないし、やっぱり大量の血液を見ると、毎度のこと血の気が引きます。喉が詰まるし、洗い終わった後は結構深いため息が出ます。
やっぱり頭で理解することと、目で見て理解することって根本的な違いがあって、その血液と桃色に染まる我が両手を目にしてようやく心の底からほんとうにマジ配慮しなきゃ!って思うんですね。僕自身の身体が理解する。

こんなにも配慮配慮考えているのに、一ヶ月に一回のイベントでは配慮度が薄れていて、血を見てようやくフレッシュ(ギャグじゃない)な「大配慮モード」にシフトチェンジするって感じがあるんです(高次脳機能障害な僕の記憶の問題もあるかもとは思うけどね)。

じゃあどうしよっか。
実際のところ、世の中の全ての男に「妻の布ナプキンを洗え」とは言い辛いものがあります。だってそもそも布ナプキンより紙ナプキンの普及率が圧倒的だし、女性の側だって、パートナーが布ナプキンを洗うことに抵抗感を感じる方が少なくないんじゃないかと思う。
うちの妻にしても、最初は抵抗感があったそうです。

僕「抵抗感ってどんな?」
妻「あのな、女子トイレでナプキン捨てるのって『汚物入れ』でしょ。女にとっても生理の血は汚い、汚物って印象があるから、それを夫が洗うのは抵抗感あるんすよ」
僕「最初に洗うって言った時、超お願いしますって喜んだじゃん?」
妻「生理始まったらそのぐらい余裕ねーってこと! 配慮してよ」
僕「配慮さ!!」
猫「にゃー」(人の声に自動反応。飯はまだだ猫よ)

なんてやり取りも最近ありまして、改めて♂パートナーが手を経血に染めるまでのハードルの高さを感じています。

けれど、やはりその出血という現象を目で理解することと、理屈で分かることは、まったく違うのも確か。ということで、ここでちょっと思考トライアルを投げてみます。
まず、
歴史的な経緯とか防疫的課題とか抜きにして、現代社会で女性の経血は、「汚物」でしょうか?
そして、生理を表立って語ることはデリカシーに欠けることでしょうか。

僕は、真にジェンダーフリーな世の中を目指すなら、まず女性の生理を徹底的にオープンにする作業からはじめることが必要だと感じています。だって人口の半分いる女性の人生の半分にある身体症状が不可視化してるなんて、マジで理不尽じゃん。
ドラッグストアのレジ前を生理用品にしてほしいし、不透明な袋に入れるとかほんといちいち意味が分からない。
家庭内のみならず職場でもあらゆる公的な場で、「風邪ひいてます」と同じ温度で「今日生理です」(だからやれないこともあるし、配慮してよ)と堂々と言えなければジェンダーフリーではないし、いきなりそこまで至れないにしても、少なくとも彼女彼氏、夫と妻、母と息子ぐらいの関係性から、このオープン化をはじめて欲しいと思うのです。

生理をデリカシーの文面に封印している限り、男ども(どもと来たよ俺!)がその理不尽を理解することはないと思います。

じゃああらためて、どうするの?
それは、今日からでも今月からでもはじめられることです。
まずはパートナー間で、相手の女性の生理について、ちゃんと膝を交えて話してみることだと思います。

・生理前の気分のコントロールはどうなのか。
・身体症状はどんなものなのか。
・経血の量は多いのか少ないのか、痛みの程度はどの程度なのか。
・何日前から症状があって、どのぐらいの期間続くのか。
・職場や家庭やそれまでの人間関係の中で、生理期間の配慮を受けられなかったり理不尽な思いをしたことはないか。
・パートナーである男性に求めることは何か。

そんな話を、はじめてみませんか? つうかそれ、知ってますか男よ?
ちなみにこの聞き取り作業、聞き取りを仕事にしている僕が一番身近な妻を相手にして、数ヶ月かかりました。パートナーシップって、相手を知ることが入口なのに、我が妻についてこんなにも知らないことがあったのが新鮮で、いっそう自分の駄目夫ぶりに凹んだけど、絶対にお金では買えない貴重な貴重なプロセスだったと思います。

その一方で、「女性側からのアプローチ」でパートナー男性にこの話し合いの機会を設ける場合。これはある意味、「踏み絵」だと思います。
なぜなら、この話し合いにきちんと応じてくれない男は、高確立で「外れ物件」だから。相手が失望案件だった場合でも関係性を解消できない、したくない事情がある場合、ちょっと勇気のいるチャレンジですよね。
けれど願わくば、ここで理解してくれない男はポイしちゃって欲しいというのが、僕の本音です。だってそいつがあなたのことをほんとうに理解してくれるようにならなかったら、人生の損失じゃん。理解してくれるようになるまで、ずっと理不尽を抱えながら生きるの? それでいいの?
そう考えたらあれです。長くつき合いたいなという男性ができたら、まずこの踏み絵を踏ませてみて、駄目案件だったらポイしよう運動も悪くないじゃないかと思うのです。
特に若い女性、パートナーが避妊に応じてくれないとかのメガ糞物件であるかどうかの判断以前に、自身の生理を理解できるかをぶち当ててみるのを、おつきあいの条件にしてはどうかと思います。

で、最後にようやく辿り着く、タイトルの提言です。
こうして生理についての話し合いや相互理解や自己開示を経由して、パートナー男性には、どうしてもやっぱり一度、自分の大事な相手の女性が流す経血を、きちんと目にして欲しいです。生理痛が軽かろうが、PMSなに?みたいな女性だろうが、流れる血はダイレクトにそれが女性の身体にとって負担になっている事実を伝えてきます。感じ取れます。問答無用です。
そして、その血の処理を、手伝ってあげてください。ボッテリ重い紙ナプキンを丸めてゴミ箱に捨てるでも、うっかり汚してしまったお風呂や衣類を洗うでもいい。ただでさえダルい身体をなんとか縦にしてやっていた面倒な作業を、あなたが代わりにやってあげて下さい。
とてもエキセントリックな提言に感じるかもしれませんが、やっぱこれが第一歩に感じてならないのです。
家事も育児も仕事も、配慮さん期間中のパートナーを支えるのが「男の当然」になるぐらいに至って、ようやく「おっさんどもの男社会」も変わってくるかもしれない。

パートナー女性の配慮さんを配慮することが、
社会の変革につながります!!!!

と、デカいことを言いますが、承前記事にもあるように、配慮ができるようになると女性パートナーの「痛みはなくならなくとも、随分と楽になる」「八つ当たり激減」「関係性穏やか化」といったメリットもついてきます。株主優待券か!みたいな感じだけど、結構このくっついてくるメリットの充実は、男性サイドにとっても有り難い筈です。

まずは「そういえば次の生理っていつ?」から始めてみようぜ兄弟!


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