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「友達のお母さん」に忌引きは使えない

こんばんは、今日もご覧いただき、ありがとうございます。

前回の「幕張でレボリューション」からだいぶ異なる内容になることをお許しください…12月に入り今年の出来事や思いを整理するフェーズに入って、書くか書かないか悩んでいたことをやはり年内にまとめておこうと決意して書いています。


先日、幼馴染のお母さんが亡くなりました。

ある日の仕事中、母から何件かLINEが入っていることに気付きました。LINEって最新のメッセージが上に来ると思うのですが、その最新のメッセージが「明後日告別式に行ってきます」という一文だったので、一体誰の…?親戚?と慌ててメッセージを開くと、「ちーママがなくなりました」という内容が目に入りました。(幼馴染のちーちゃんのママ、で「ちーママ」でした)
ちーママと「なくなる」というワードが結びつかなくて「は?」「なんで?」「どういうこと?」などと返しながら、まだ若いんだし事故かな…?などと考えたのですが、母からの返信は「あなたには言ってなかったけど、ちーママはガンだったんだよね」ということでした。

一年ほど前、母から「ちーちゃん一家に会いました!」というLINEをもらっていました。地元のレストランで、幼馴染や旦那さん、息子ちゃん、そのパパとママに会ったんだーと、かわいい赤ちゃんの写真や「ちーちゃんも会いたがってたよ」「私も久々に会いたいな」なんていう話をしたのはよく覚えていました。が、母はその時にちーママのガンについて聞いていたそうです。もちろん、いくら私相手であっても病気についてベラベラ喋るのは良くないと考えて控えていたのだと思いますが、それにしても私は全く何も知らなかったので本当に驚きました。

「でもその時は元気そうだったんだよ」と母も言っていましたが、今はガンといえど早期にちゃんと治療すれば治らない病ではないと思って、それほど深刻には受け止めていなかったのかもしれません。

仕事中にその訃報を聞いたので、頭がボワーンとして、「嘘だよね?」となんとなく理解できないまま働き続けました。その直後に来客があって、「今日は雨降らなくてよかったですね~!」なんて話しながら、「そんなのどうでもいい」「そんなことよりちーママだよ」と頭の隅では考えていました。

退勤して、ようやく一人になって、ようやく涙が出てきました。誰かの死に直面して泣くのは久々でした。高校の時に祖父母が立て続けに亡くなって、それ以降は親や叔父叔母の世代が亡くなるまでしばらくこういうお別れとは無縁だと思っていたので、まさか幼馴染のお母さんがこんなに早くいなくなってしまうとは思いもしませんでした。

訃報が信じられなくて、「やっぱり見間違いじゃない?」と思って母からのLINEを何度も読み返したし、「○○市(地元)お悔み」とかで検索かけてみたりもした。市のお悔み情報に本当に載っていて、喪主のところに幼馴染のパパの名前が書いてあって、少しずつ「ああ、事実なんだな」って思えるようになっていきました。


幼馴染は、幼稚園と小学校が一緒でした。最初の出会いは3歳ころなのでお互い覚えていませんが、なんやかんやでずっと仲が良く、しょっちゅう遊びに出かけたりもしました。そのお母さんは、かなり面倒見が良くて、幼馴染は3人家族なのにでっかい車を乗り回して、幼馴染のイトコたちや私たち同級生などをいろいろな場所に遊びに連れて行ってくれました。

思い出はたくさんあるけど、一番覚えているのは確か小4か小5のとき、地元の遊園地でジェットコースターに乗せてもらったこと。私の両親はどちらもジェットコースターなど絶叫系が苦手で、その影響で遊園地などに行く機会があっても私も一度もジェットコースターに乗ったことがありませんでした。でも、確かたまたま幼馴染の家に遊びに行ったときに「タダ券あるよ~」ということで遊園地に連れて行ってもらって、私が一度もジェットコースターに乗ったことがない話をすると「えっ、乗ったことないの!?じゃあ乗ってみよう!」と幼馴染とそのママと私の3人で乗ることになりました。幼馴染はすっかり乗り慣れているので、私とちーママが隣同士で、幼馴染は一人で手すりから手を放して乗っていたのですが(笑)ちーママはずっと私の手を握って「大丈夫だよ~おばちゃんがついてるからね~!」と声をかけてくれていたのをよく覚えています。おかげさまでその後はジェットコースターに乗れるようになって、そういった小さいコースターに限らずディズニーやUSJに行っても楽しめるようになりました。うん、いろいろある中でも一番印象的な思い出だなぁ。

あとはSMAPが好きでキムタクが好きだったので、私が小学校高学年になって嵐のFCとか入るようになったあとに、FCの入り方を教えてあげたりもしました(笑)車の中でいつもSMAPのCDがかかっていて、幼馴染と私で「トイレットペーパーマンかけて~!」って言ってたなぁ(笑)今もね、SMAP聞きながらこれ書いてます。

幼馴染も私も、一人っ子長女だった。だから自分たちもお母さん同士も仲良かったのかなと思う。

一人っ子だと、親とベッタリになりますよね。幼馴染親子もベッタリだった。だから、訃報を聞いたときに幼馴染のことが本当に心配だった。自分が今この年齢で母親にいなくなられたらかなりキツイだろうな、と思って。ただ、幼馴染には素敵な旦那さんとかわいい息子ちゃんがいて、なんと今は第2子妊娠中とのこと! 新しい家族のために頑張らなきゃ、と思える存在がいてくれたことは彼女の心の支えになるだろうし本当に良かったなと勝手に思っています。母親の穴は母親でしか埋められないと思うけど、やっぱり自分の守るものがある人は強いですね。


私の母からの最初の報告のLINE、「なくなりました」って、ひらがなで書いてあったんですよね。それがすごく印象的だった。その後話していても「葬儀」とか「亡くなった」とかのワードは使わない。「もういないんだね」とか、そういう言い方をしています。亡くなったことを受け止めきれていないのかな、と思ったりします。先述の通り、私と幼馴染が3歳の頃の仲ですから、母親同士も20年以上…いや30年近くの付き合いになる訳です。友達の少ないうちの母にとっては、きっと数少ない「ママ友」だった。長年の友人を亡くすことを考えると、相当しんどいだろうなと思います。


この訃報の翌々日に、自分でもちょっとしんどくて仲の良い職場の先輩に「実はこういう訳で、今日母が告別式に行ってるんです」って話しながらも少し泣いてしまって。そうしたら先輩が「えっ、行けばよかったのに!私行かなくて後悔してるよ!」と。話を聞くと、先輩も似たような経験をされていて、やっぱり仕事で告別式には行けなかったそうなのですが、「今でも受け止められてないかも」と言っていました。「地元帰ったらいるような気がしちゃうんだよね」と言うので「それめっちゃ分かります…」とまた少し泣きました。「まあ、幼馴染のお母さんに忌引きは使えないですからね」と自分で言って苦しくなりました。変な言い方ですが、どんなに親しくても大好きだった人でも、親族じゃなければ「他人」の扱いになってしまうんですよね。そんな日本の法律や人事制度が憎い、とちょっと思ったりしました。

最後に会ったのはいつだったかなーと思い返したとき、多分2~3年前に地元のレストランで。大人になってから会うのが久々だったので最初は声を掛けても気付かれなかった(笑)「やだぁ~!お母さん見るまでエリちゃん(私)だって気付かなかった~!」とみんなで笑ったのが最後かも。その時の幼馴染の結婚式の写真とか見せてくれたなぁ。

そうそう、本当にそんな病気なんかとは無縁みたいな元気で明るいお母さんだった。本当に声がでっかくて(笑)昔は家電に電話がかかってくると、うちの母が持ってる受話器の向こうからでっかい声が聞こえて「今の電話ちーママだね」って分かるくらい。うちの母に「私って派手かな?」って相談して、「派手じゃない?金髪だし…」って言われていたり(笑)懐かしいなぁ。

本当に、未だに信じられない。自分でお通夜や告別式に行けていないから余計にそうなのかもしれない。でも、さっき書いたように地元に帰ればいつでも会えるような気がしてしまう。地元のレストランで、近所のスーパーで、大きなショッピングモールで、幼馴染の家で。幼馴染の誕生日ナンバーのでっかい車を乗り回して、「エリちゃん!」って実家に遊びに来てくれるんじゃないかと思ってしまう。

直接お別れできなくてすごく申し訳なかったな。たくさんお世話になったのに、「ありがとう」も「さようなら」も伝えられていない。ありがとうはともかく、さようならは今後もずっと言いたくない気もする。私がこんなに悲しんでるって知ってくれてるかな。すごく淋しいし、ショックだったよ。自分でもびっくりするくらいに悲しいよ。「またいつか」じゃなくて幼馴染とお母さんたちでランチでも行っておけばよかったね。

ちーママありがとう!本当にありがとう。私はずっとずっと忘れません。辛いこともあったと思うけど、ゆっくり休んでね。また会おうね。

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