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プロフィール(随時更新中)

このnoteでは、
・人事に関すること
・”クイック読書”(読んだ書籍の要約)
・その他考えたことなど
を発信していきます。

「書いてるのはどんなやつなんだ?」と気になる方は下記のプロフィール紹介をご覧ください。


高校時代

最初に人生最大の挫折から話を始めたい。
僕にとっての最大の挫折は大学受験失敗だった。
小中学生の時は成績が良く、高校は某県内の進学校に通っていた。
そこでは国立か少なくとも早慶には行かないと胸をはって「○○大学に受かったよ」と同級生に言えなかった。少なくとも僕はそう感じていた。
だが現役でどこにも受からなかったばかりか、一浪しても希望していた大学には1つも受からなかった。
成人式で高校の友達(その子は当時同じ予備校に通っていて、現役で志望校に合格していた。僕が浪人していたことも知っている)に会った際、
「どこ大受かったの?」と聞かれ「○○大だよ」と答えると、目を逸らしながら「おめでとう」と言われたのを、さりげない仕草だったけど今でも印象的に覚えている。
※ちなみにその子は性格も超良い子です!多分なんて声をかけたら良いのか分からなかったんだと思う。

大学時代

そんなこんなで大学では、「自分は高校の友達よりビハインドしているんだ」という負目を感じていたので、「就活はしっかりやらなければ」とちょっと”意識高い系”と言われるような学生だったと思う。なので就活は結構頑張った。
幸いなことにご縁もあって、第一志望の企業から内定をもらうことができた。会社自体が色々とチャレンジしていて、20代の成長環境に良さそうだと思ったのが志望理由。
あと、同期入社組はめちゃくちゃ仲良しで、人には最高に恵まれたと思った(ありがたいことに今でも何人とも繋がっている)。

1社目:大手通信会社

卒業後、大手通信会社に入社。
入社早々の4月に自分にとっては大きな事件が。
営業を希望して内定をもらっていたが、なぜか人事部の人材開発部門に初期配属され、そこで携帯ショップスタッフの育成や新卒研修など研修分野に携わることになった。
配属通知書をもらった時のことは今でも覚えていて、
「なんで1年目から教える部署に配属されたんだろう?何も教えられることなんてないぞ…?」
という戸惑いから社会人生活がスタートした。

1年目はとにかく先輩の見様見真似(というより単なるコピー)で研修講師を行なっていた。
ただ、携帯ショップへの研修入店を通して現場を知れたことと、実績を上げられたこと(全国直営店スタッフ約400名中新規獲得件数5位になる)が転機となり、自分の意思を込めて研修企画開発や講師を行えるようになった。
また、新卒研修のチューター(1クラス30名の受け持ち担当のイメージ)になった際は、
「全体研修3週間の中で学生から社会人へと意識変革を支援するにはどう関わったらいいのか」
を日々考えていたり、
「ビジネスメールの宿題を、ただ言葉遣いを添削して返信するのでは学びが少ないよな…。そうだ!これまで1週間見てきた中で感じた良い点と改善点を1人1人に添えて返信してあげよう!喜ぶぞ〜〜!」
と思って夜に返信をし始めたのだが、5名ほど終わったところで、
「あれ?これめっちゃ時間かかるんじゃないか?
単純計算で1人10分かかるとして30人だと5時間かかるわ!
真夜中になる!!!
でももう5名には送っちゃったしな。。返信内容に差があると扱いが平等じゃないってことになっちゃうよな。
全員にやるか…」
と結局夜中3時ごろまでメールを送り、翌日新卒に心配されるという失敗もおかした。
ただ、
「こんなに人の成長考えたことなかったな。それ自体は全く苦ではないし、やりがいさえ感じる。もしかして人事って転職なのかもしれない」
とこの時思ったのを覚えている。

3年目くらいからは本格的にキャリアに悩みだし、
「人事しか知らずに人事やってて良いのだろうか?」
「人事のキャリア歩むにしても、営業とかもっと事業サイドを経験した上で戻ってきた方が良いのではないか?」
との思いから5年弱で退職した。

2社目:ベンチャーで事業責任者

そこからも紆余曲折あるのだが、結局ベンチャー企業でサービス企画や営業や事業責任者など、ベンチャーあるあるの”とにかくなんでも屋”になりながら働いていた。
給料は安かったけど、ここでも相変わらず一緒に働く人には恵まれていたし、大きな裁量を持って仕事ができていたことで充実していた。
ここでも約5年経過したところで、「やっぱり人事がやりたいな」と思い転職することにした。

続く。


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