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日本語教育機関の告示基準の一部改正の提案から、教師に突きつけられたものは?

法務省出入国在留管理庁から「日本語教育機関の告示基準の一部改正」についてのパブリックコメントの募集が出されました。
[パブリックコメント:意見募集中案件詳細|電子政府の総合窓口e-Gov イーガブ]
締め切り:5月27日

改正の概要については、下記にまとめられています。
https://search.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000186910

改正の内容は、6つあるようです。(漢字多いなー)

1. 在学状況が良好でない留学生の勤務先の報告に係る基準の追加
2. 資格外活動許可を受けている留学生の勤務先の届出基準の追加
3. 留学生の日本語能力に係る試験の合格率等の結果の公表及び地方出入国在留管理局への報告、並びに当該結果が良好でない場合の改善策の報告に係る基準の新設
4. 告示基準への適合性について点検を行い、地方出入国在留管理局へ報告する基準に係る規定の新設
5. 全生徒の6か月間の出席率及び当該期間における個々の生徒毎の月単位の出席状況の報告に係る基準に係る規定の新設
6. 抹消の基準の追加

どれも日本語教育機関(以下「日本語学校」)にとっては、重要なものばかりなんですが、コメントの締め切りまであまり時間がないので、今回は、この中でも特に、3について書きたいと思います。というのは、以前に私は、「日本語能力試験は教育の質を測れるのか?」というテーマでnoteを書いており、今回の改正の3は、この内容に深く関わるからです。

今回は、下記の要領で私個人の意見を述べてみたいと思います。

「日本語能力に係る試験の合格率等の結果」とは何を指すのか

先に挙げたnoteでは、「外国人材の受け入れ・共生のための総合的対応策(以下「総合的対応策」)《施策番号56》」に書かれていた「日本語能力に係る試験」とは、「日本語能力試験(JLPT)」になるだろうと予測し、「日本語能力試験で教育の質を測るべきではない」という意見を述べました。

しかし!! いやー、いい意味で予想は裏切られました。
この「日本語能力に係る試験」とはJLPTではなかったのです。上記「改正の概要」では、以下のように説明が書かれています。

教育の質の確保を目的として,各年度の課程修了の認定を受けた者の大学等への進学及び日本語能力に関し言語のためのヨーロッパ共通参照枠(「CEFR」)のA2相当以上のレベルであることが試験その他の評価方法により証明されている者の数について,地方出入国在留管理局へ報告し,公表するとともに, 当該者の合計の割合が7割を下回るときは,改善方策を地方出入国在留管理局へ報告することとするもの。

「日本語能力に係る試験」とは、JLPTでもなく、JF日本語教育スタンダードでもなく、「CEFR」の基準だったのです。

今まで、法務省から出された通知で「CEFR」が基準として示されたことは、私の記憶の中では一度もありません。例えば、法務省からは、日本語学校へ入学するための日本語能力の目安として、いくつか試験が指定されているのですが、ここにも「CEFR」の文字はありません。

[法務省:日本語教育機関への入学をお考えのみなさまへ]
「日本語教育機関へ入学するための日本語能力について」参照
(これから、日本語を勉強しようと考える学習者に対して、一程度の日本語能力を求めるというのもどうかと思いますが、この件については、別の機会に譲ります)

また、日本語能力を測る目安として、JLPTがいかに流布されているかは、以下のnoteにも書いたことがあります。
[JLPTとは何か|ヒラサワエイコ|note]

なぜ「CEFR」なのか

ここにきて、「CEFR」という基準が出されたのは、何だか唐突な気がしますが、「総合的対応策」をよく読んでみると、《施策番号53》として、CEFRを基準とすることが盛り込まれていました。
(今までここは、すっかりスルーしてました)

日本語の習得段階に応じて、求められる日本語教育の内容及び方法を明らかにし、外国人が適切な日本語教育を受けられ、評価できるようにするため、「言語のためのヨーロッパ共通参照枠(CEFR)」を参考にした日本語教育の標準や、 日本語能力の判定基準について検討・作成する。〔文部科学省〕《施策番号53》

ということで、この基準の作成については、法務省ではなく、文科省の施策になるわけです。文科省には「法務省告示をもって定められた日本語教育機関の教育に係る定期点検及び客観的指標に関する協力者会議」が設置され、この基準の新設について検討がされていたようです。2019年3月27日に以下のような合意文書が出されていました。

新たな抹消基準としての日本語能力に係る試験の合格率等について
抹消基準の運用面に関する、協力者会議における主な意見

これらの文書には、CEFRのA2レベルを基準にすることや運用方法には触れられているのですが、「なぜCEFRを基準として採用したのか」については、説明されていません。

同じく「協力者会議」から出された下記の資料には、その点について多少説明がされていました。

外国人留学生の日本語能力を測定するための基準について

この文書には、文化審議会国語分科会で「日本語教育の標準」や「日本語能力の判定基準」が検討中であることが書かれており、その結果がまとまるまでの間、CEFRを代用すると説明されています。しかし「CEFR」については、活用の実績があるという理由しか触れられておらず、「なぜCEFRを基準として採用したのか」については、明確な意図がわかりませんでした。

私は、CEFRを言語教育を行うための「参照枠」(フレームワーク)だと理解しています。学習者が必要とする言語活動とはどのようなものか。AレベルからBレベルの言語使用者になるためには、何が足りないのか。それらを補うためには、どのような実践を行えばいいのかを考えるための指標のようなものだと捉えています。言語を学習する人や、その目的は多種多様であり、統一された「標準」を設けることは困難です。また、学習者が使用する複数の言語の全てにおいてCレベルである必要はなく、場合によっては、Aレベルで十分であることも考えられます。そのような多様な学習者に対応するためには、教師の独りよがりの判断では不十分であり、何らかのフレームワークが必要だと思っています。そのためのCEFRの参照枠と捉えていただけに、ここに「日本語教育の標準」という観点が持ち込まれることに、違和感を感じます。

上記資料には、「日本語能力の判定基準として、当面の間CEFRを採用するということの理由や問題点について、対外的に説明していく必要がある」という一文もありますので、「なぜCEFRなのか」については、今後丁寧な説明が待たれます。
(説明だけでなく、議論が必要かも)

「CEFR」のA2レベルをどのように測るのか

今回の改正について、もう一つ大きな疑問があります。「A2レベルをどのようにして測るのか」という問題です。「総合的対応策」には、「試験の合格率等による厳格な数値基準」と書かれており、「厳格な数値基準」と「CEFR」の組み合わせは、なんだかしっくりきません。

CEFRのA2レベルというと下記のようになります。Aレベルは「基礎段階の言語使用者」とされています。

・ごく基本的な個人的情報や家族情報、買い物、近所、仕事など、直接的関係がある領域に関する、よく使われる文や表現が理解できる。
・簡単で日常的な範囲なら、身近で日常の事柄についての情報交換に応ずることができる。
・自分の背景や身の回りの状況や、直接的な必要性のある領域の事柄を簡単な言葉で説明できる。

吉島茂・大橋理恵訳編(2004)「外国語教育Ⅱ 外国語の学習、教授、評価のためのヨーロッパ共通参照枠」参照

このレベルの日本語力であれば、半年も学習すれば、十分に習得できるでしょう。しかし、その能力をどのように証明するかは、また別の問題です。

現在のところ、CEFRに準拠した日本語の試験というものはありません。しかし、日本語学校の抹消基準としてCEFRを使用するということになれば、担当教師の判定ではなく、客観的な判定結果が必要になるのではないでしょうか。先に挙げた「抹消基準の運用面に関する、協力者会議における主な意見 」では、簡単にまとめると下記のような判定方法が提示されています。

- 外部試験の活用
- 各日本語教育機関が実施する学内試験等の活用
- コンピューターベースの試験の活用

私個人としては、 「各日本語教育機関が実施する学内試験等の活用」の部分で、各日本語学校の実情にあった評価方法を積極的に提案していきたいと思っているのですが、外部試験がどのようにCEFRに紐付けされるのかという点には、非常に興味があります。

例えば、英語教育では、2020年の大学入試の改定に向けて、民間の英語試験の活用が検討されています。ここでもやはり、学習者の英語力を客観的に把握するための基準としてCEFRの導入が検討されました。下記の資料に概要がまとまっていました。

英語教育の在り方に関する有識者会議|英語力の評価及び入試における外部試験活用に関する小委員会審議のまとめ(概要)

この資料の最終ページには、各種英語試験のデータとCEFRとの対照表が提示されています。

ここからは私見になりますが、日本語についても、CEFRと各種外部試験が紐づけられ、このような対照表をもとに、レベル判定がなされるのではないかと見ています。先の英語の試験との対照表でも、具体的な点数が明示されています。そうなると、せっかくCEFRというフレームワークを活用しながらも、結局、試験の点数中心の教育が展開されてしまうことにもなりかねません。もし、そのような評価が中心になれば、JLPTから、CEFRに紐づいた日本語試験に対象が変わるだけで、試験の点数で教育の質を測ることになってしまいます。(それとも、紐付けする段階で既存する日本語試験の方がCEFRの基準に合わせていくという可能性はあるのでしょうか?)

今後、CEFRという一つの基準に英語と日本語が紐づけられることにより、現在増えつつある、日本語の支援が必要な外国ルーツの子どもたちの高校、大学受験等に適用されることにもなるでしょうし、日本で生活する外国人の就職やビザ取得にも、この基準が適用される可能性も生まれます。そう考えると、この改正案は、日本語学校の抹消基準の問題だけでなく、日本語教育全体の問題につながります。

私たち現場の日本語教師に何ができるのか

このように書いてくると、「批判ばかりでなく、対案を出せ」と言われそうですが、「ズバリ解決」のような代替案は、現時点では思い浮かびません。

今、日本語教育の業界は大きく変わろうとしています。新しい在留資格「特定技能」ができたことによって、日本で働く外国人は増えていきます。留学生のあり方も変わってくるでしょうし、当然、日本語学校は淘汰されてくると思います。日本語教師の資格についても検討されています。

しかし、よく考えてみれば、業界のあり方が大きく変わったとしても、プレイヤーである私たち現場の教師自体が大きく入れ替わることはないと思います。日本語教師の公的な資格が導入されたとしても、現状、日本語教師不足が叫ばれている中で、資格を持った新しい日本語教師が一気に増え、今までの現場の教師が駆逐されるということは考えにくいからです。パフォーマンスが悪いから選手交代、とはならないのです。つまり、今のこの業界を変えるのは、現時点でのプレイヤーである私たち現場の教師ということになります。他人事ではありません。

私は、せっかくCEFRが持ち出されたので、これを利用しない手はないと思っていますが、CEFRがどのような理念で作られたのか、どう活用すべきなのか、私自身ももっと研究する必要があると思っています。しかし、CEFRが発行されたのは2001年。当時から比べると、テクノロジーの発展により、社会のありようが大きく変わっています。これから将来、Techの力により、言語活動のあり方や学び方自体も大きく変化していくと思います。このような時代背景を考えても、CEFRをきっかけに新しい日本語教育(言語教育)のあり方をみんなで考えていくチャンスなのではないかとも思っています。

ここのところの報道でもわかるように、この「外国人労働者」「外国人留学生」の問題には、非常に多くのステークホルダーが存在します。ただ、社会の変化に身を任せているだけでは、言語教育の理念などは置き去りにされたまま、都合のいいように利用されてしまいます。それを食い止められるのは、私たち現場の教師なんじゃないかなと、自分にも言い聞かせています。

今回の告示基準の一部改正の提案を受け、評価基準の話から、結局自分自身の問題に展開してしまいました。ということで、この改正が現場に何をもたらすのかしっかり考え、まずはパブリックコメントで、きちんと意見を述べようと思っています。

追記
今回のnoteの写真は、一段ずつ階段を登りつつ、最終的に光のあるところに抜け出したいという気持ちで選びました。(撮影:ヒラサワ)

共感していただけてうれしいです。未来の言語教育のために、何ができるかを考え、行動していきたいと思います。ありがとうございます!