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渦中は大気圏。

STATUS : Publish
DATE : 2008.03.13/ 08:33:55 PM
CATEGORY : memo

(かつて書いていたブログより転載)

今朝、テレビ番組でR35 Sweet J-Balladsのライブ風景が特集されていました。

90年代当時の社会や生活の映像なども放映されていました。このような過去の映像を見るときに、どうしてこうも熱気があったのだろうかといつも思います。もちろん、そうした映像ばかりをピックアップして用いているのだとは考えられますが、それにしてもこうして見ているときの懐かしさと憧れのような感情は何なのでしょう。

ライブのシーンでは、J-WALKや槇原敬之さんらが歌っていたのですが、中西圭三さんのときには、お客さんは総立ちになり会場の心は一体となっていました。見る者と見られる者とのからみ合うまなざしが、「ぼくら」「わたしたち」としての「時代」というたちこめた一つのatmosphereを創り成していました。


しかし、90年代当時からそうだったのかと言えばそのような時代の空気はなく、今の20代がこの現代を感じているような時代感覚だったかもしれません。ただ思ったのは、その若い時代の不安やそれに立ち向かうもがきとも言える状況は大気圏のようなもので、それを抜けた先に穏やかな宇宙のようなものがあるのではないかと。それからは、おもいでやなつかしみに包まれながら、さらに新しい星々(世界)との出会いに向かっていくのかもしれません。


そこへ上昇させていくのは、やはり人との出会いだと思います。そして、人との出会いの奥(おく)にある感動が熱を生むのだと考えています。前々から、自分たちの世代が新しい時代の一つの層として、この世界に発祥することはできないかと考えていました。その発想の起源には、以前の記事にも書いたように、印象派やエ・コールド・パリのカフェカルチャー、バウハウス、ハシエンダ、FACTORY、飯倉のキャンティなどがあります。もちろん、日本の江戸期に飛躍的に発展した芸能や美術文化もそう。時代の集合意識が集約されたときの熱、気、そこに集う人々によってそれぞれのあらゆる分野でそれらが表現されていく豊穣さとは何なのだろうか。その豊穣さの根源にある「想い」は、時代を経ても人々の記憶に残り、受け継がれていくということのおおきさは何なのだろうか。

今年、自分の周囲には大きな変化が生まれ始めています。文章で勝負を挑む作家、魂の燃焼を歌にして表現世界に挑むアーティストがいます。そのまわりには、それを支える人々、仲間がいます。みんながみんな、お互いにお互いのことを気になっています。「拡張自己」とでも言うような(いま調べてみたら社会心理学の言葉にあるようですが、ここではそれと同一のものと限りません)、からみあった心、とけあった想い、ひとすじの見えようとする志向性。

自分もいろいろと変化をしていきそう。渦中も渦中。

そして、そろそろ何かが見えそうだ。


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