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吉田修一『パレード』

この記事は、日本俳句教育研究会のJUGEMブログ(2019.04.13 Saturday)に掲載された内容を転載しています。by 事務局長・八塚秀美
参照元:http://info.e-nhkk.net/

第15回山本周五郎賞受賞作の『パレード』は、私がこれまで出会った吉田修一さんの作品の中で一番好きな作品でした。

ネタバレになるので詳細は書けませんが、とにかく最後の展開に驚きます。作者が何をどう組み込んでいたのか、自分はどこを素通りしてしまっていたのか、確かめられずにはいられない、必ずもう一度読み返さずにはいられない、そんな小説です。

5章に分かれたこの小説は、都内の2LDKのマンションをシェアしている男女5人それぞれの視点で語られていきます。パレードのように一人一人が行進していく中で、5人が重層的に肉付けされていき、最後の衝撃の展開まで繋がっていきます。

初読の段階では、「善意のみが入場可能な、出入り自由の空間」で、「深刻な自分は見せたくない」共同生活を送りながら、誰もが「この部屋用の私」を創りだし続けていること。誰かが知っている誰かは存在しても、みんなが知っている誰かなんてのはこの世に存在しないこと。誰かのために何かしてやれることなんてないこと……などが作品の中心にあるのだろうな……と読んでいたのですが、最後のおそろしいまでの現実を目の当たりにしてしまうと、人の心に存在する深い闇のようなものを意識せずにいられなくなります。

再読の際は、共同生活とは直接関係ないところでサラリと書き込まれている、「どんな悪人でも入場可能な、敷居の低い天国」「悦びに満ちた顔は、苦痛に歪む顔とそっくりだ」などなどの伏線的叙述が随所に書き込まれていて、(これ以上はネタバレになるので断念……)、再読時もかなり考えさせられ唸らされる作りになっています。また、おそろしき衝撃の展開が結末なのではなく、この後をどう読むか……、結末はそれぞれの読者にゆだねられている……そんな小説でした。その結末を選択(想像)する読者自身が問われている小説とも言えそうです。