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※9【梅の秘密】優劣の基準値「松・竹・梅」2024.4.25

※9【梅の秘密】優劣の基準値「松・竹・梅」2024.4.25
誠意ある悪意か、誠実な悪意か、よく分かりませんが、時に返したくなることは、おそらく教える側でもあるのかな?と思ったエピソードから。

両親の話で、母は実は芸高3年時に長谷川良夫先生から藝大から当時池内友次郎先生の鶴の一言で本来は来ることがない教師の父に習うように言われたそうで、皆と受けたそうです。
フランス語的に「シャンドネ?」(門外漢の私は尚のこと知りませんが)か、ソプラノ・バス課題か母は古すぎて既に失念したそうですが、答えを見て受けなさいと言われ、「ここはいいな?」と自己の回答に混ぜたそうです。
すると若かった父が見た瞬間
「ここ、答え(見た)でしょ?」
と言い当てられ、母はオタオタと言い訳(ことの経緯)をしていると、ちょうどそこへ(作曲)長谷川良夫先生がドアの外を通りかかり、父は見逃さずドアをあけ、
「先生、答え、教えちゃ、ダメでしょう?!」と言い放ったというところから‥奇跡的に母は父を否定もできる人にまで育ったのだな、と長年を添い遂げた姿を見て思いました!🤭

長谷川良夫 - Wikipedia

母曰く自身はその頃から融通がきかないところがあり真っ直ぐに言うとこは(父が気になることだったのか)そのまま残っており、それは、おそらく相性なのだろうと思うわけです。

ある時父が自分の曲の何を知っているか学生の母へ尋ねたところ、融通ゼロに「何も知らない」ことをはっきり答えた母へ「じゃ、何を知っていたんだ?!」と父が怒ったとかで、そのようなほろ苦い話がアタシにもないかしら?と思い返してみてのですが‥

院生時代にまだ「バカの壁」を出される以前の養老孟司先生の少人数クラスで、先輩の学部違いの彼氏(ロキソニンテープ考案側で後年に学内で取り上げられていたような‥?)と受けていた余談時間に、3年時のテスト前に24時間、ウイルス性の風邪で嘔吐し続けてしまった話を先生へしたとろ、しっかり聞いてくださったあとに、

「君は原始的な力が強いんだね?」

先生から彼氏の前で玉言を賜った🥹✨✨
先生の本はことごとく読んでいた私はその時の達成感でほのぼのしておりましたが、そういえば色気がありません‥😱

むしろ間引いた感が‥😱😱

何故かその続きの話題として、カニの血液は色がブルーで、その理由は‥そんな原始・原子話すら余談に出ていたような‥?休憩時間なのですが(爆)
原始のカニを思い起こさせる女😎←カニではなく、話、盛りました。

それならいっそ小学生は?と思い返してみます。
私が初めて世に名を出したのは、小3、10歳です。
テストでした。
「権力」の権の文字が書けず、「自分の名前でもいいから試験は白紙で出すな」という「我が家の掟」のごとく、「のぎへん」にして出しました🖐️!!

「今日は漢字を作った人が居ます。💢」
と男性先生に翌日の返却冒頭から発表されてしまったこととか。
危うく「私」を折半した作製漢字で通過するとろでした‥!😎

高校時代、英語のクラスだったか、ジョン・レノンの「Let it be」を「ありのまま」と日本語訳をしたプリントとともにクラスで歌うことになったのですが、英語授業を好んでいないギター好きな男子生徒が非常に「歌の訳が音にあわない!」と1人、激おこ(怒)して歌い直していたのですが、先生というのは、時に逆襲するものだなと思いました。

さて、日本の「松竹梅(しょうちくばい)」は時に優劣を示します。
これは中国起源では、ないです。
日本特有です。

そうすると門松や、能でも「松」や「梅」なるテーマは古くから入り込んでいますから、どこからだろう?となるわけです。

九州に行ってきてから少々時間が開きましたが、
「畿内説(ご存知の方はキーワードですが)」やら「九州説」という言葉は飛鳥以前の謎の日本列島の権力状況への専門的に知りたい各人の「期待」方向(方角)を示す単語です。
ここから先は九州の湯布院「はな村」さん温泉湯♨️、マッサージチェアが2階にあるメゾネットが当日空いているからと、1人で使わせていただけた、おもてなしの心を思い出しながら(全日程の全て、お宿をもご用意してくださった九州の川上さん、皆さんへ感謝しながら)、「梅の秘密」を有料投稿Noteしたいと思っております。

©︎ E World Japan 代表者名 野田瑛里子
©︎ E World Japan 代表者名 野田瑛里子

【梅の秘密】「僕は旋律を失ったんです」

※検証 島国への音の入り方 ルートの違い?

父は何百冊もの自宅の名だたるユーラシア大陸の作曲家のスコアへアナリーゼを書き込む人ではありませんでした。頭に入っていて他に話すよりも作曲時間がメインであることは、娘っ子が2頭身3歳くらいにいつもの仕事部屋のブルーの硬い絨毯の上で、ショパンと父の音の違いが分かるくらい、明白でした。
遺品整理をすると、父が、初めとした(それ以前の大量の試作品ノートは焼いたそうですから)大学のごくわずかな成長過程の記録が見られます。それらはわずかに、しかしながら和声やフーガとして完成形への過程でありましたので、藝大へ資料として寄贈しました。
中でも珍しいと感じたのは、ワーグナーのアナリーゼがわずかに残してあったことです。
父はフランス話声を主流の池内友次郎派閥です。
ですが、留学は以前記載の通り、師から不要であると言われた何かを持ち合わせ、自覚しておりました。
今居るその場所からを始点に発展させることができる、という意識であります。

父は2022年9月18日、亡くなる13時間ほど前に私へ話したことがあります。言葉の綾では「亡くなる寸前まで作曲家」でいたことを死に目に会えた奇跡で家族として死後の世界になっても、私は証明できます。しかしその亡くなる時に病室でスコアでも持ち込んで作曲をしたわけではありまけん。
ここからはまことしやかに承諾も無く病院のカルテに訪問記録もない人が勝手に(母と私しか知りません)我が家の死に際に関して勝手なことを世間へ、さもありなんで拡散した方達へ、誰とは書きませんが、未だ(2024年になっても)訂正もせずにおられることへ、はっきりと、にこやかに書き記しておこうと思うことなのですが🤭、
正確には私の方から父へ病室で父に話しかけたことの延長で遺作『ピアノ、ソナタ』の1箇所について話が触れられたわけですが、その完成時期は、この間送付されていた作曲家名鑑へ、父からパソコン代理で頼まれて申請書を私が書いていた時より以前であります。父の死ぬ時ではありません笑

2021年後半から年明け2022年の、帝国ホテルへ8ヶ月滞在していた時なので、私はよく覚えているのですが、帝国ホテルで完成祝いを両親とともに(2022年)3月14にした際に、父からはコロナで白内障手術を見送ったため目が見えにくく、(怪我で)手の不自由さも出て書きにくい中、やっとできたこと、「(2022年3月)4日に完成して(ピアニストの)岡田(博美)さんへ渡せた!」と年数をかけた完成に、喜ぶ父の記録を私はしております。

病室では気にかけていただけで、どこかの誰かがネットに拡散していたような、病室でスコアを広げて完成させるような状態では、一切ありませんでした。最期を看取った娘として言い切れます。
また父はそこまで大したことではないように、死ぬ前の病室でも非常ににこやかに笑ってみせて話していたことです。
そこに悲壮感はありませんでした。

さて、和声、音。私は門外漢です。
歌詞の無い音楽か、歌詞付きかで、かなり作曲の技法展開に制限が変わりそうだなー?と、「シャンドネ?」などと、読めぬフランス発音を勘ぐる、ドイツ語専攻側の私は思うわけです。

イタリア歌曲集は歌ったことがありますが、発声自体、ワーグナーのオペラとイタリアオペラでは違う。マリア・カラスを見て聴いても分かることがありますが‥。
父の世に出た文章のデジタデータは遠山一行記念  日本近代音楽館へ私自身もスキャンして寄贈しておりますが、作曲作品が父の意見であります。
「歌詞付き」になると、ドイツ語のあの厳格な雰囲気の音と、日本語の音では異なりますし、歌に関して和声とはどのようになるのだろうか?と門外漢は疑問に思います。晩年の制限の少ない中で作曲する父は、そのような意味で作曲の幸せは深かったのではないかと思います。

島国ですから音の入り方、言葉の混ざりが、ユーラシア大陸とは大きく違い、原始の音は辿りにくいわけです。また証明の仕方もユーラシア大陸とは異ならざるを得ません。
日本語のアクセント本を父は生涯部屋に置いてありました。父はとにかく書き込みすることはなく、暗記している人でしたから、メモもアクセント本にはありません。
つまり音楽、既にある和声やフーガなどの技法を最大限に「歌う」ことへ現代音楽の要素で臨むにあたり、その土地の言葉のアクセントをも音に内包してきたのだろうと、私は解釈しています。

父は私が生まれてからかなり良質の演奏を日常で聴く生活をしてくれました。オペラ『ルル』は2頭身娘っ子にワンフレーズ歌ってみせて(娘っ子がルル?と言い当てて)理解したことを日記に書いていますが、心地よかろうが(現代音楽特有のありがちな)不快さだろうが、聴くことの日常への忍耐力をつけさせられました^_^
Dame Gwyneth Jones DBE(1936生)のブリュンヒルデを中学で初めて聴いたのも、父がせっせと「ブレーズ舞台演出の放映は面白い」と毎夜録画している日常を脇で眺めていただけであります。今となっては海外輸入版からしか手に入りません。
父はベルクについて、娘っ子が2頭身時代にも気にしている日記記録がありますが、世に出した発表範囲で自宅に記録を残してはいません。

完成遺作は『ピアノ・ソナタ』ですが、母からも極めて融通皆無の否定的な言葉、「ヴァイオリンコンチェルトの無さ!!」を指摘されたのか、臨んでいたようで、それが未完成です。
その部屋にベルクと、あと2冊の楽譜は置かれておりました。
そのことは、ベルク資料にお詳しい藝大教授の先生お一人にだけ、お伝えしました。
ベルクの話を出した理由は、父は(講義録音の音声がかろうじて手元にありますが)「歌う」ということ、ある時から「作曲概念」を変えるきっかけがあり、通過点にベルクがあったようで(ベルクを通過せずハマっていた時期を父は「僕は旋律を失ったんです」と表現しており、それを「獲得できたら気楽に気分悪く倒れるような曲が作れるんじゃないかと思っている」などと述べ、「今まで主観的であったものを客観的にした」と)自身の作品履歴でいうならば『ピアノ協奏曲(私の生まれた1977年)』からであると私が小学生頃に明言しております。
フランスのエクリチュールはもとより、それ以降の父は「再現」性にこだわり旋律と再現の世界、邦楽に対しては、「再会」と表現していました。

「歌う」ことが日本の島国の飛鳥以降の精神に確実に根本にあることは、和歌を見れば分かります。
これは私の検証事ですが、和歌の五・七・五‥このような「調」は、日本の島国を中心にした時の「北」と「南」を大まかに捉えた際に、「南」の経路から入る要素が内包され、いわゆる「北」側のルール「詩」とは別物の要素ではないか?
そこで「梅」であります。
 
【後日ここから先を有料投稿予定です】
(よくネットに出ていることから入りますので、購入しなくてよいかもしれませんが、承諾の上ご購入を笑)



父の公式サイトにのみ紐付けしております。
フェイスブック連結タイプでそちらからもご覧になれる(?)かもしれませんが、下記公式サイト紐付けのこのblog(?)以外は、投稿はしておりません。
なにせ、SNSへのやる気が2.5perですから、このまま年間どころか全体投稿数2.5🐹で終わる可能性もありながら、つれ「ず」れ致します。

【父の公式サイト】
https://www.teruyuki-noda-officeoversea.com/

https://www.teruyuki-noda-officeoversea.com/erikoから連結blog(?)

この記事は私が書きました

閲覧環境による体系的な表示体形差の違いには責任を持ちかねます🐹

※ここまでの投稿はE World Japan出版「私」より抜粋です(元ネタ先)

©︎ E World Japan 代表者名 野田瑛里子
©︎ E World Japan 代表者名 野田瑛里子

「おら村」のきねずか🐹

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