見出し画像

バニーガーデンを買った。

5/6、バニーガーデンを買った。私は人の金か会社の金でしかキャバクラやガールズバーに行ったことがない。ただでさえ金銭感覚が終わっており毎月ギリギリ低空飛行のような生活をしているような現状、そんなお店にリアルで通おうものなら首が回らなくなり破綻してしまうことだろう。

ア!!かわいい!!僕好みだ!!!!というかこれセンシティブ的に大丈夫?怒られない?


はじめに


こんな形で連休延長になるなんて本当に本当に嫌だった。
















急転直下

5/5。父が死んだ。享年75歳だった。高血圧、高脂血症、腎不全、動脈硬化に末期糖尿病という数え役満のような状態で、私と食べる量はあまり変わらず(参考までに、私はエオルゼアカフェに於いてアレキサンデーを一人で半分食べるなどしている)夜中にアイスやマンゴープリンを食べるような生活だったうえ、私が高校生の頃から医者の処方に中指を立て透析や入院を断るような男だった。
毎日お笑いでも冗談でもなく死亡セーヴィング・スローを行っているようなものだ。

「俺はもう死ぬ」と言い続けて20年。近々死ぬものだと理解していたはずだが、心の何処かで私が不惑を迎えるまでは生きているものだと思っていた。
実際、同日1930頃に母から連絡があって「父が倒れた」と聞いても、その時は「ああ、またか……はいはい」程度にしか思っていなかった。
年齢も手伝って足の骨にヒビが入ったりと細かいが大きな怪我は比較的頻度が高かったのである。年に二度程しか会いに行かないので、たまには顔を出しておくか、程度の思いしかなく用を足し外出着を用意するまでやや時間を要していた。のんびり用意をしていると恐ろしい数の母からのショートメールと着信。さすがにただ事ではないと折り返すと、予想していなかった言葉が。
「延命治療をするかどうか聞かれている」
声が震えていた。本当にただ事ではなかった。あまり遠くはなかったので30分程度で大学病院に着くことは出来、母と合流する。
「延命治療は受けさせたくない。これ以上苦しむ必要はない」
大粒の涙を流しながらも、恐ろしい程に冷静な判断を下していた。私も同じ意見だったが、とても意外だったのを覚えている。
処置室ではK2に出てくるような若い男女の医師が涙を流して横たえる父を見ていた。運ばれた時点で心臓の波形が戻らず、危険な状況だったらしい。
「今現在人工呼吸器で呼吸はしていますが」
「外してください」
基本的に人の話を丁寧に聞く母が強い口調で医師に伝える。人工呼吸器を外すともう父は冷たくなり、動かなくなっていた。
本当に機械に生かされていただけだったのだ。
「20時33分、御臨終です」
母は声を上げて泣き、医師たちも小さく黙祷していた。私は歯を食いしばり溢れてくる涙を抑えようとした。その行為に意味はなかった。



帰る場所

父は自宅で涅槃の姿勢を取ったまま動かなくなった、と母は語っていた。その日はやはり体調がすぐれない、気分が悪いと言っていたらしく、母も「ああ、またか──」程度の認識だったそうだ。きちんと向き合っていればよかった、と後悔の気持ちを吐露していたが、私も同じ立場だったら同じ対応をしていたので今言っても仕方のないことだと母に伝えた。気休めにすらなっていない。

自宅で起こった、という事実があるが故、警察の事情聴取・家宅捜索等が行われ解放されたのは日を跨ぎ0130頃だった。父の注射器やおくすり手帳を見ていた刑事が「お父さん、薬の用法や用量を全く守っていなかったようですね」と呟いていた。わかるものなのか?それは。
遺体を運び込む際、母たっての希望で自宅に運び込むように手配をしたものの、エレベータに進入することが出来ない、と葬儀屋から苦言を呈された。段取りが悪すぎる。拡張スペースが使用出来ないので上階に上がれないとのとこだった。住所も伝え、マンションの何号室であるかも口頭だけではなく文面で合わせて伝えているはずなのだが。呆然としている母をよそに私はエレベーターの管理システムに問い合わせ、葬儀屋をエントランスに待たせる。

管理システムからは折り返し致します、と一言頂いて早30分。葬儀屋から一言。「もう待てませんのでこちらでお預かりしてもよろしいでしょうか」あまりにも心無い言葉だ。カッとなり頭に血が上るのを感じた。危うく手が出るところだった。言葉を選べ、と心底思った。そちらには日常かもしれないがこちらには一生のうち何度もない非日常なのだ。
「もう結構です」冷たい口調で母が言い放つと、私の頭も急速に冷えていくようだった。最期のわがままなのだ、押し通してもいいのではないかと母に食い下がったが、母は首を縦に振らない。父の体は二度と帰ることはなかった。
葬儀屋と父を見送り、ふらふらと私は自室に入る。無理に元気である事をアピールし、空腹に耐えられないので床に就くと一言告げると、部屋の電気を消した。私はベッドの中で布団を被り、声を殺すこともなく大きな声を上げて泣いた。




放心

5/6。当然だがろくに眠れず、目の周りは腫れたままだ。朝食に野菜とチキンのソテーが出される。母の手料理は相当久しぶりで、また涙が出そうになる。それは本当は昨晩父が食べるはずだった、と一言添えられた。私は箸を止め、また泣いた。

この日は母の姉の伯母と共に葬儀屋へ赴き、諸々の打ち合わせをする予定だった。昨日の段取りの悪さが嘘のようにスムーズに予定が決まり、父の端末へひっきりなしにかかってくる友人や義姉、伯父の相手をするのが大変だったくらいだ。
打ち合わせが決まり、納棺は翌日、告別式は翌々日です、とスタッフから声がかかる。現実感のなさに忘れてしまわないよう、自身のiPhoneに予定を打ち込んだ。全て済んだ後、母と伯母に自分はアパートへ帰ると告げた。
特に引き止められることもなく、快諾してもらえた。この日は理由を話さなかったが、実家の自室のベッドで眠ると色々思い出し、思案に耽ってしまうのでそれは避けたかった。なんとも自分勝手で子供のような理由だったが、何も聞かないでいてくれた母に感謝したい。

アパートの自室は大変安らげる空間だった。とはいえ、独りでぼんやりしているとまたマイナスの方向に思案してしまうし、何かをしていたかった。
Kindleで「銀と金」を買ったが、全く頭に入ってこない。それからは目についたものを順番に処理することに全ての意識を向けていった。
塗装が全て終わってあとは組むだけだったプラモデルに手を付け、完成させる。少し塗装が剥げてしまったが、見栄えよく出来て良かった。
更にフィットボクシング2のデイリーを行う。限界まで負荷を上げているので大体毎日55分から65分を行ったり来たりしている。蕎麦を茹でて食事、入浴剤を入れて長めの風呂、スト6のバトルハブ──。行ったことすべてに夢中になった覚えがある。
それがすべて逃避で、嫌な現実を忘れるためのものだった。さながらアパートの自室は穴ぐらで自分は巣に引きこもる野生動物のようだ、と自嘲気味に私は笑った。




奇襲

SNSに書き込む気力もなく、ぼんやりとアカウント登録をしている各所を反復横跳びだけしてiPhoneをつけては消してを繰り返していた。
その中でどこかのタイムラインに流れてきたのだろう、バニーガーデンのクリップが目に止まった。即断即決だった。Steamランチャーを起動し購入。普段の元気な私なら「また発作を起こした!」などと言ってゲームを楽しんでいたはずだ。今回は違った。もっと、もっと逃げ込む先が必要だ。そう思っていた。
私は2時間程、夢中になってテキストとボイス、ASMRを堪能していたと思う。花奈の語る夢を聞いて「これ夜職の常套句だろ……騙されんぞ」とニヤニヤしながらまた嫌な現実を忘れることが出来た。
だが、途中ゲーム内とはいえ、6桁のお金が飛んでいくのを見て私は不意に我に返ってしまった。
──今回、逃避先がちょっとムフフなだけのゲームで良かった。冒頭にも書いた通り、現実に、しかもこんな精神状態で夜のお店に通おうものなら財布が爆発してしまう。ゲーム内のガールズバーに夢中で通ううち、カレンダーが9月までしかないことに気づく。花奈の好感度が(おそらく)一定のところまで行っており、まあそんな悪いことにはならないだろうと迎えた9月末。

後頭部を激しく叩かれるような心地だった。既読になっているのは初見で放心してSSを逃した為。

マグロ漁船に拉致されるエンディングがあるのは知っていたし、そうなったら「ははは馬鹿だなぁ」で気持ちよく終われただろうし、ニュートラルな「また通うぞ~」的なエンディングがあると思い込んでいた。甘かった。誰かとくっつく以外は杯人にも私にとってもより残酷な結末しか用意されていなかったのだ。
──お前の夢の時間もここで終わりだ。ゲームにそう囁かれているような気さえした。この日はこのままパソコンをシャットダウンし、床に就いた。
不思議とよく眠れた。




荒療治

5/7の納棺が済んだ後、父方の親戚数名を実家に迎えて昔話に花を咲かせていた。その中でも私はやはり居心地の悪さを感じ、菓子折を渡してさっさとアパートへ引き揚げてしまった。後で母に聞いたことだが、父も親戚の集まりが嫌いで自分だけ引っ込むことが多かったそうだ。気付かなかった。うまく立ち回っていたものだと感心した反面、どこまでも自分の気質が父似で嫌になる。結局陰キャでコミュ障なのだ。
平成生まれ令和サラリーマンの私にとっては相当生きやすい世の中だが、戦後すぐに生まれ昭和サラリーマンの父にはそれはもう筆舌に尽くし難い程に生き辛い世だっただろう。母は私の影に父の姿を見て「帰る」等と言い出した愚かな息子を止めずにいてくれたと思うとますます辛くなる。

5/8、告別式当日。普段出来ることなのに私は参列者の方々にろくに挨拶すら出来なかった。伯母曰く、目つきが子どもの頃のそれになってしまっていたらしい。早い話が幼児退行だ。X0歳を過ぎた大人が本当に情けない。
儀式はつつがなく終わり、火葬場で最期のお別れです、とスタッフが告げた時、母が声を上げて泣いた。私は静かに涙を流し、お気に入りの高級スーツを纏った父を見送った。棺の中には友人と毎週行っていたテニスボール、春秋の天皇賞と有馬記念にしか賭けないにもかかわらず毎年買っていた競馬雑誌、6年前まで吸っていた紙巻き煙草、それからハーゲンダッツのストロベリー。死後の世界など基本的に信じていない私でも、この時はどうか幽世でも安らかに過ごして欲しい、と祈った。

精進落しとして通された食堂ではあまり会話もなく、黙々と食事が進められていった。私はその空気に耐えることが出来なかった。
あまり飲まなくなっていたビールに手を出す。明らかに良くない兆候だが、グラス一杯のビールを飲み干すたびに自己肯定感がマイナスからゼロに向けて浮上していくような味がする。一時的に喪失していた社交性をアルコールで無理やり取り戻す事に成功した。毎年会っている親戚たちは安堵したような表情を見せていたが、幼い頃の私のイメージが払拭出来ていない義姉は新種の妖怪を見るような目を私に向けていたのを見逃していない。
結果、瓶ビールを1人で2本も消費し、料理も2人前頂くこととなった。あすけんの女が見たら目を回して卒倒してしまいそうだが。おかげで気力も戻ってきて、少し前向きになることが出来た。あすけんの点数だけが正義ではない。


その日は冷凍してあった手製のカレーを食べた。
あすけんの女には思ったより怒られませんでした。



惜別

遺骨になった父と対面する。この10年で筋肉が削ぎ落ち、骨と皮だけになっていった父だが、残ったものはしっかりと骨太で印象に残る形をしていた。骨上げの際、部位の説明がスタッフから入るが、足元、骨盤、背骨と上に向かっていく途中で、彼が嗚咽を漏らし手を止めてしまった。控えていたスタッフが後を引き継ぎ、骨壺に収めていく。優しさ痛み入るが、貴方はこの仕事に向いていないのかもしれない。
そうしてコンパクトになったお骨箱を持ち上げると、乳児か、それより少し軽いくらいかの重さしかなかった。──小さいなあ。生まれる時も、死ぬ時も、大きさと重さは寄ってしまうのかもしれない、などとアルコールの抜けきらない頭で思案していた。

実家の和室に祭壇が組まれるまで、私はお骨箱を手放すことをしなかった。最期のけじめのつもりだった。それからは前日、前々日と同じだった。
「ここにいると、嫌なことばかり思い出すしネガティブな思考に引きずられる。少し時間が欲しい。自分勝手で申し訳ないけど、定期的に連絡するので、帰らせて欲しい。次回は来週訪問する」
本当にただのわがままで愚かで幼稚だが、きちんと言葉に出来た。
相続、移譲、解約、やることは山積みでその場を伯母と義姉と姪に押し付けて逃げ出してきた。それでも今はただ、穴ぐらにこもって全てを忘れたかった。





それから

5/9から5/12現在まで、家から出ずに今後の事をずっと考えつつ、ただひたすらゲームをしていた。8日の夜は深夜の3時までずっとスト6のバトルハブに。MASTERのエドに30連敗しダイヤのエドにも20連敗した。彼らは即再戦を押し食い下がる私によく付き合ってくれたものだと思う。全く勝てなかったが、ただただ楽しかった。それ以外ではほとんどの時間をFallout76でアパラチアに入り浸る退廃的な生活をしている。逃げ出すにしても失踪するわけにもいかないので、ゲーム内で彷徨出来るのが本当にありがたい限りだ。おかげで数日でレベル83まで上がってしまった。やりすぎである。バニーガーデンの方は花奈のエンディングをきちんと見届けた。そのあたりはまた別の機会で。

前述した通り毎日ぼんやりとSNSに目を通していたが、例えインターネットの海に藻屑と消えようと短文だけでも自ら発信することは心に沈殿していくヘドロのようなものを発散するのにちょうど良いのだな、と改めて認識した。一週間色々な考えが浮かんでは消え、気分が沈むばかりだったが、ネガティブな汚泥を各々のTLに不法投棄するのは無差別なテロ行為だと思っている。今回自省の意味も込め、こういった形で長文を投稿することにした。時間をかけてキーボードを叩くことで考えもまとまるしいい反省にもなる。今後もインターネットとは依存しない程度に上手く付き合って行こう。
5/13には社会復帰だ。GWも挟んで恐ろしい程長く休んでしまったのでハードルを低く、まず「朝起きて会社に辿り着く」くらいを目標にしよう。






最後に

連日のぼんやりTL彷徨の際、世にもやべー漫画が流れてきた。
そう「ドカ食いダイスキ!もちづきさん」だ。

正直、思うところがあった。記事の冒頭で述べたように父は高血圧、高脂血症、腎不全、動脈硬化、末期糖尿病で生活していた。毎食泣き言を言いながらインスリンを腿に突き刺し「ああ、なんだか輸血液ぶっ刺してるみたいだなぁ」などと笑ったこともある。この漫画ほど大げさではなかったが、若い頃にはホットケーキ2人前の後に通常の晩飯を食べていたと母から聞かされたこともある。戦後すぐに生まれ、飢餓に育った故の暴食だったこともあり一概にそれを否定することも出来ないが、この5つが直接の死因と言っても過言ではない。

かく言う私も去年の今頃(ゼルダのTotKで生活を破壊したのをよく覚えている)血圧が上201下135程あり、すぐにMRIに回されると同時に医者から「今すぐ入院しろ」と恫喝された。「やです!!!!!!」と全力で言うことを聞かなかった。こんな所も親父と思考回路が同じで本当に嫌になる。
今は上133下89程度とやや高いかな?くらいのレベルまで下がり体調もかなり良いので助かっている。それもこれもフィットボクシング2のおかげだ。

5/12で180日継続です。よく続いていると思います。というかこれもセンシティブ的に大丈夫か?

毎日続けたおかげで半年で体重が25kg下がり大学生の姪より体力がついた。
効果には個人差がある上こんなもの生存性バイアスでしかないが、続けることで自信にも繋がったと思う。
少しでも不健康から脱出出来て、早死にから遠のくことになるなら、やった価値はあった。これからも毎日続けていこう。
こんな調子じゃ世界が滅びるその日まで腕振り回してそうな感じはする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?