就活

就職活動が生理的に受け付けられない、奇妙すぎる、という話。

あんなESやら面接やらGDやらでなにがわかるっていうの?そんなんでわかられてたまるかよ!といつも思ってる。
けど実際のところわかっちゃうんだろうしその「そんなん」で評価されてしまうわけで。まぁ、評価されてしまう、というよりは、それで評価するしか手段がない、のかもしれない。それもそうだよね赤の他人同士なわけだし。

マ◯ナビの人とかリ◯ナビの人とかちょくちょく学校で講演してくれるけど話を聞けば聞くほど腹の底からふつふつと怒り憤りが込み上げてくる。就職活動のノウハウを教わることは大事だし、知識をつける必要があることもわかっている。加えてこの人たちは皆1度は就活を経験しているいわば先輩で、そのひとつひとつの話に重みがあるのも感じている。でもここまでわかってるのになぜかイライラはおさまらなくて結果講演の内容は少しも頭に入ってこない。
この人たちは私たち若者の不安を煽って金を稼いでるから腹が立つ、なんて、人前ではこんなひねくれた見解をひけらかしてるけれど、正直これも苛立ちの原因ではないような気がしてる。(そういう視点があるのもまた良いことだと私は思うよ、って言ってくれた友達がいて、どこまで本気かわからないけど私は少し嬉しかった。)そんなこんなでこの感情の原因がなんなのかは自分でも未だにわかっていない。

就活の知識をつけなきゃ、ESうまく書けるようにならなきゃ、面接GD対策しなきゃ、なんてことを散々言ってきたけど、正直なところ何一つとしてやりたいと思ったことはないのが現状。
就職はしなきゃと思う気持ちはある。このまま一生ぬるい学生生活できるとは思ってないし、こんな生活をするために親がたくさんお金を出してくれていることもわかっているから、働いてしっかり稼いで孝行したい。プー太郎でいるのは惨めで恥ずかしいもんね。
「辛すぎない仕事をして、人並みにお給料をもらって、それなりに休みがとれて、ある程度好きなことをするための時間と金銭の余裕がある暮らし」が理想の社会人像で、そういう自分の希望を叶えるためには就職活動に取り組まなきゃいけない。今の私にとって就職活動はとても気味が悪いものばかり。でもそれをしないとその先にある希望を叶えることはたぶん難しい。

「雇う側」に立って考えれば全部そりゃそうよって思うんだろうけどね、理解はしてるけど納得はできない。今はこんなこと思ってるけど嫌々ながらも義務感に駆られて色々と進めていくのが目に見えてるし、慣れればこんな違和感も消えていく気がしてる。
お酒が大嫌いだった、異性と付き合うことの必要性がわからなかった、高校生の頃のあの思考みたいに、ね。
 

そんな感じで、この世の働いている全ての社会人は本当に凄いと思います。尊敬しかない。まだ社会に出たことのないぬるま湯大学生の私は、そう思います。

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