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ワクチン接種一回目

ワクチンに対する考え方は人それぞれ。基礎疾患があり、高齢で、周りからは早く受けて欲しいなと思われる義父は、割と早い時期に「今日の午後でも打てますよ」と医者に言われたのに、いやいやまだまだ!と1ヶ月先延ばしにして帰ってきた。看護学生の娘は、もともと注射嫌いなのもあり、また慎重な性格と少々の医学の知識から、まだよくわからないものを打つのはしたくない、いつかは納得して打つかもしれないけど、今ではない、とこれまた早い時期にあった接種の案内を断った。実習とか大丈夫なの?と訊くと、それは大丈夫、接種は自分の意思で決める事だから、強制はされないと確認済み、という。それにしても、周りの学生がほとんど接種する中、同調圧力をものともせずに自分の考えを貫くとは、日頃ふにゃふにゃした末っ子と思っていただけに驚きである。

主人は自衛官として、集団の職域接種導入前の一万人モニターの一人として、否応なくモデルナのワクチンを接種し、毎日の体温などの記録をしていた。お勤めご苦労様です!長女は、飲食店勤務で、一日も早くたくさんの人に接種してもらって、前のように活気のある飲食業界にしたい、と熱望しており、自分も早く打ちたい、と待っている。三女の話を聞いて、は?なんで?と説得を試みていた。次女はほとんど家から出ないリモートワーク中なので、ワクチンのワの字も出てこない。割とあれこれ考える質なので、もしかしたら聞けばあれこれ語るかもしれない。

絶対打ってはいけない、という人もいる。この人の動画を見て、きっと反対する気持ちがわかるから、と送ってくれる。とりあえず動画を見て、文献を見て、それに対する様々な見解を調べる。うん、私のためを思ってくれている気持ちをありがたくいただこう、とお礼だけは丁寧に伝える。

私自身は、すごく前のめりに接種したい、とも思えず、打ちたい人はお先にどうぞ、という感じで、何回か巡ってきた予約のチャンスを見送った。基礎疾患はないし、万一コロナに罹っても持ちこたえる体力はありそうだから、というのもあるし、副反応が怖い、というのもある。それでも、必ず一回は死ななければいけない、という事を考えた時、コロナで死ぬか、ワクチンの副反応で死ぬか、と思ったら、ワクチンで死んだ方がマシだと思った。もし私がコロナで死んだら、私に移した人がどんな思いでその後の人生を送るんだろう、と想像して、気の毒になったからだ。それぐらいなら、自己責任でワクチン接種して死んだ方がいい。

そんな悲壮な覚悟で、ようやく大規模接種会場が新設されたタイミングで接種を申し込んだ。それからの一週間は、買い物する時も、私が万一の時には、と考えて多めに買い、下拵えしたものを娘に見せて、これを使えばいいからね、と伝えたりした。洗濯槽をきれいにしたり、サボりまくっていた庭の草取りをしたりもした。日々、こんな覚悟で生活していれば、生き方が変わるなあと思った。

昨日はいよいよ接種当日。大規模会場とはいえ、予約の時はまだだいぶ人数の余裕もありそうだったので、ガラガラかな、とイメージしていたが、駐車場に着いてビックリ、結構な混み具合だった。あまり早く着きすぎても、とギリギリ目指して行ったら、同じ時間帯の人は、すでに待機場所から受付エリアに移動していた。待機→受付→問診票チェック→医者との面談→接種(16ブースもあった!)→15分様子見で待機、とそれぞれ密にならないように会場が作られている。仕事帰りと思しき20代から50代くらいの元気な人がいっぱいいて、日頃高齢者との関わりの方が多いので、熊本ってこんなに若い人がいたんだ!と新鮮な驚きがあった。

そして、痛くないとは聞いていたが、本当に筋肉注射は蚊に刺されるより痛くなかった。いやいや、油断してはいかん、夜中に腕が痛くなったり高熱にうなされるかもしれない、と冷えピタ、飲み物、体温計を枕元に置いて早々に休んだが、体温も最高で36.6℃、腕もちょっとぶつけた?くらいの痛みで、無事に朝を迎えた。それでもモデルナなので、一週間はバタバタせずに様子を見ようとは思っているが、覚悟が悲壮だっただけに、少しホッとした。

首都圏の同級生の友人は、まだいつ予約できるかもわからない、という。打ったからと言って、感染しないし伝染す心配もない、とも言い切れないが、希望する人が無事に接種できて、みんな無事に接種後の生活ができますように、と祈るばかりだ。

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