日記!(かなり、とりとめない)

ちとメモりたいので完全に脳内整理の意味で書き散らす日記になる予定。

俺の人生のつまんなさを蹴散らしてくれるものが何なのか、たぶん、ついに分かった

自分の人生がつまんなくて、満たされないって思ってる人は多いのではないかと思う。基本、ほとんどの大人がそんな感じなんじゃないかなと思う。

成功した人、みたいな言い方することがあるけど、それはイコール幸せってことなのか、しっくりきてなかった。ベンチャー企業を創業して。。とか、一攫千金して。。とか、一時期はそういう人についてめちゃくちゃ調べてたこともあったけど(主に迷走してた就活時代)

絵でも陶芸でもシンガーソングライターでも、なんでもいいからクリエイターとして成功して、ファンができて、知名度が上がれば承認欲求が満たされて幸せになるのかな?とも思っていた。(主に学生時代からここ最近まで)

あるいはもしかして、30代にもなると多くの人がその道へ行くように、恋愛して家庭を持ったり、仕事で出世して給料が上がったりするとまぁ幸せになれるのは固いのかな?とも思ってた。

とくに、20代後半で、なにかピンときたものがない人間である自分は、この、家庭を持って仕事で出世、みたいなポピュラーコースをガチで検討してみないとやばいのかな?みたいな思考実験を、ここ1、2年めちゃくちゃ試みたりしていた。

結果、わかったこととして、

・恋愛は違いそう
(少なくとも、恋をしようとしてする=恋活みたいな路線はマジで興味がなくて無理そう)

・性欲も違いそう
(セクマイについて超調べた時期もあったけど、そもそもセックスを起点/頂点とした人種分類に共感できなくて無理そう)

・家庭子供も違いそう
(ちょっとあまりにも具体的に想像できなくて無理そう)

・仕事出世も違いそう
(マイペースが乱れると体調がむちゃくちゃ悪くなるのでお金のために強く何かを耐えるというのは無理そう)

で、28歳、
ここで一旦絶望しかけるんですが、最近希望の光が見えてきたことがあって、それが

高度な美的研鑽をしているとき、かなりエロい気分になり、他に何も要らんほど心身が満たされる

って気づいたこと。

(自分が)エロくない人間なら死にたいと思ってた

これ、謎の感覚だと思うのですが、私は自分自身をエロいと思っていたい人間なのですね。とても。

なんかまぁ、ナルシストといわれればそうだとも思うんだけど、なんかこう、すげーー!とか、かっけーーー!とか、かわいいーーー!とかの感情の爆発の先には究極、エッッロ!!!っていう感覚があるんだと思ってて。

自分自身、かなりそういう美的感受性の強い人間であるし、一般的な意味でのエロい人間、なのだと信じてました。ずっと。

それが、まぁ、他者との身体接触ではエロさを感じられないと気づき、動揺し始める。
(まず、裸をエロいという感覚がガチでわかんない。みんな肌色で、情けないショボショボの乳首とかが張り付いてて、まぬけで面白いなーとは思うけど、銭湯とか、みんな肌色の塊で、服を着ている時の方が1,000倍楽しい。)

おれの言ってるエロいって言葉は、感覚は、じゃあ、なんなん…………?


脱げば脱ぐほど、エロい気分から遠のくし、身体距離が近づけば近づくほど、エロい気分から遠のく。

でも、そんな自分も、めっちゃエロい気分になることがあるんだよ、それはなんだったか、思い出せ………!!!


音楽が、そのヒントをくれました。


大好きな曲の、音楽的な解説動画を見た時だった。

「ここの転調は同主調転調ですね、そしてここでクラップ(身体の音)がくるのは「生死」という歌詞の人間らしさを表している、サビでやけに明るいコードになるけど、これは空元気を表現してるよね、明るいコードを皮肉として悲しい歌詞に載せることがあって……」 etc. etc.

エェェェェェェェッッッッッツツロ

え????

卑猥。。。。。。ハレンチ。。。。。

本気で思った。
涙目になってたし、実際泣いた。

自分がその音楽を聴いた時に感じた感情の正体が、作者のどんな技術と理論と思惑によって「仕向けられた感情」だったのかを知っていく時間。複雑怪奇に見えていた音楽が、あれよあれよと明快な理論によって、その作曲者の意図や心意気が紐解かれていく瞬間。

どエロい。どシコい。どスコい。

幸福ホルモンが出過ぎてラリるかと恐怖したため、動画の再生をこまめに留めながら見た。

ああ、そうだったんだ。
私は、美的感覚を他人となぞり合う/試し合うことにエロさを感じていたんだな。。

このエロさの行き着く先は、恋愛でも家庭でもないけど、でも、たしかに「幸せ」には違いない。

私はちゃんとエロい人間で、ちゃんと幸せになれる。

そう思った時、心の底から安心して、ゆっくりと満ち足りた気持ちになった。
大丈夫、幸せになれる。

当面、やること

まず、自分の人生を彩ってきた数々の名曲たちを、片っ端からコード理論で分析していく。
サビで悲しくなるのは何故か、イントロで胸が弾むのは何故か、アウトロで天に昇るような喜びと名残惜しさを感じるのは何故か、
その全てを理論から言語化したい。

そしてその節々に、どのようなテクニックが散りばめられているのかを調べる。

これだけで、かなり幸せになれる予感がある。

そして、理論に慣れた頃に、作曲に挑戦する。これはすぐにとは行かないだろうが、まあいい。

大事なのは、結果ではないと分かってしまったので、たぶん挫折ができなくなった。

分析している瞬間に幸福の全てがある、という発見の頼もしさといったらない。

金をかけるのではなく、名声を求めるのではなく、時間と手間暇をかけることで静かに幸せになっていくという事実の頼もしさ。

この方向は、「合ってる」気がする。

色々な幸福論を行き来して、迷走を重ねた挙句の、今の暫定解。

すこし大切に、ゆっくりと育ててみたい。