女とバレたらいけない!とまだ思っている

多分全員にバレてるけど、女とバレるとマズいと思って生活している。
この感覚に名前が欲しい。

より厳密には、女っぽい女 と言われたら負けだ という感覚が消えない。

いかにも女性が好きそうなものを好きな時もあるんだけど、それをあんまり大きな声で言えない自分がいるのが、ダサくてショボくて、つらい。

ドーナツ美味しい!とかさ。
犬可愛い〜!とかさ。
感動して泣けた〜!とかさ。

せんべいうまい!と同じように、適当に流してもらいたい普通のコメントでも、「甘いお菓子が好きだなんて、乙女だね❤️」「泣くのは女らしいね❤️」みたいに言われると背骨が腐りそうなほど嫌悪感がして、しにたくなる。気軽に感想をつぶやいた己を悔やんでなぐりたくなる。なんで自分を責めてんねん。よくわからない。
具体的には、父親とかに言われると1番キツい。父親に女らしさを語られるの、シンプルにキショすぎんか…?てめえは女でもなければ、おれを女として判断して良い立場でもないが?二重にキツい。まぁドーナツに関しては最近実際言われた言葉なんですけども。(夢ならばどれほど良かったでしょう)

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一方女性でも、そういう品のない絡みを気にしない人も多分いて、その堂々と女を謳歌してる様をみるとカッコよくて、羨ましくて、また自分をなぐりたくなってくる。メソメソしおって、女かよ。とか、1番言われたくない言葉で自分を責めるのだ。

多分だけど、メソメソするのは性格の問題であり、生まれ持った脳みそガチャの結果であり、女とか男とか関係ないと思う。メソメソする男もドーナツ好きな男もいくらでもいる。

じゃあなんで女らしいとか男らしいって言葉があって、
なんでそれを言われると自分は苦しいんだろ。

最近、発達障害や認知の歪みについて調べているのだけど、判定はともかく、自分はかなり、認知の歪みが強いタイプだなということは強烈に自覚しつつある。

過度の一般化、とか、ゼロヒャクで考える、とか、いわゆる認知の歪みの数々を眺めていると、これは私の自己紹介じゃないか。とさえ思えてくる。

たぶん、女と言われたら負けだとか、論理の飛躍が凄まじいことになってしまっているのだが、自分ではどうにもできずにもがいている。

好きな人を喜ばす為でなく、嫌いな人間を喜ばせない為の生き方をしてしまっている不思議。なぜ最も感謝しなくて良い人の顔色を伺って生きているのか。この、しょうもない怒りと抑圧のループから、どうしたら抜け出せるのか。

シンプルに、ドーナツが好きで映画で泣くけどいい女だな!と思える人を自分が沢山見つけるといいのかもしれない。

そして、ドーナツが好きな女は乙女だね❤️みたいなショボい感想を、鼻で笑えるくらいの知力が欲しい。