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#旅
冒険家について小学生から受けたインタビュー後に、起こった展開に未来を感じたお話。
メッセージ: 西川 昌徳様
こんにちは。僕は、目黒区◯◯小学校6年の、中野◯◯です。今、総合的な学習の時間で、憧れの職業について調べています。そこで、西川さんにメールでインタビューさせていただきたいと思っています。自転車での冒険やお仕事に対する思いについて聞かせていただけたら、とても嬉しいです。もし可能でしたら、お返事をください。大切なお時間をいただくことになりますが、どうぞよろしくお願いいた
僕が”生きててよかった”と思えるとき。
ちょくちょく僕のところには、ホームページの問い合わせフォームよりメッセージが届く。メールでお知らせが来ることになっているんだけど、その多くは講演依頼。そしてときどき取材依頼だったり、講演を聴いた誰かが感想を書いて送ってくれたりする。
いつものように講演依頼かなぁ、なんて思いながらスマホの画面をタップすると、「こんにちは。僕は」からはじまる文面が目に入った。
メッセージ: 西川 昌徳様
こんにち
思いを交換することで、人は生きてきた。
思いのほか、濃い時間を過ごした青森を離れ岩手へ。
「東北はみんなシャイなんじゃないか説」は僕のなかではすっかり消滅した。盛岡に到着して駅前通りを流す。ずーっと続いていく商店街を抜けたそのさきにお堀があって、この石垣をバックにコーヒー淹れようとセッティング。さあどんな出会いが待っているだろうか。
・・・・・。
誰も止まってくれない。確かに人は行ったり来たりするんだ。
けど、挨拶してもこちらをチ
コドモの夢を手伝えるオトナになろう
先日、東京・八王子の小学校で講演をさせていただいた。
小さな小さな学校だ。全校生徒は57名。それでも過疎がグッと進んでいるわけではなくて、子どもの数はそんなには変わっていないらしい。校長先生は明るくてほのぼのしてる。ちょうど僕が自転車で学校にかけつけたときも、学校の前の交差点で旗を持って登校してくる子どもたちを迎えていた。
会場は図書室。ギュッと詰め込まれた子どもたちと、うしろには親御さんたち。
被災地で僕が見つめていたこと。
この夏の北海道胆振東部地震。
いまの自分だからできることはなんだろう。
停電のなか、被災地に向かいながら考えた。やっぱりコーヒーだった。
Facebookでの呼びかけに全国からコーヒー豆が集まった。
たくさんのお手紙とともに。
被災地に入ってからのイメージはまだない。
こんなにも空が青くて、日差しがまぶしい。
どこかまだ現実じゃないような、いのちの重みのようなものを想像することもできないまま被災
ひとと会わない日のお話。
ひとと全く会っていないわけじゃないんだけれど、なんだかそんな気持ちになったのでこのタイトルにした。なので写真や本文とは関係ないのかもしれない。
アイヌの家族とともに過ごした阿寒湖をあとにした僕は、今回の北海道地震の被災地に向かってルートをとる。そのあいだの写真たちだ。
どこかのレンガ倉庫。北海道にはこういった古い建物がたいして直されるわけでもなく、そのまま使われていたりして残っているのがどの町
アイヌと家族とコーヒーの物語。
旅というのは不思議なものだ。
そのときどきに見つけた小さなカケラをたどっていくうちに、いつの間にかおおきな一筋の物語が浮かび上がってくるような。
予定をたどること。
空白を埋めていくこと。
それが日常なら、旅はこうかもしれない。
心地よい空白を持ち。そこに入ってくるものを受け入れるもの。
どんな絵になるかは分からない。けどあとから振り返るそこに、自分の人生にとっての必然性のようなものが生まれ
「違いますよ、お父さん」と僕は言った。
札幌のとある夜のこと。まだやってますか?と車に呼び止められ、コンビニの駐車場で淹れたコーヒーがきっかけで、ご近所さんのお家の夕食にお呼ばれした。
そのお家の旦那さんは、むかし自転車で日本一周をやられた方で、コーヒーを飲んでくださった奥様が「きっと旦那も会いたいと思うんです。けれどお店につきっきりだから。。。もしお酒飲まれるなら行ってくださいませんか?」と僕に伝えてくださった。
なんだかその表情
「誰かにとっての居場所になること」
やっとこさ札幌を離れる。まだ知り合って間もなかった僕を迎えてくださったサムズバイクの奈美さん、そしてサムズバイクのスタッフとファミリーのみなさんには感謝しかない。たくさんの出会いと思い出、そしてまたひとつ「帰る」場所が増えたことに感謝して、僕は札幌を離れた。
あらためてサムズバイクは不思議な場所だった。セレクトしているバイクにパーツのセンス、メカニックの技術がいいことは言うまでもないけれど、それ