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しあわせとは。

福岡でのフリーコーヒーそして出会いは、自分がなにか大きな渦にまかれているような、そうしてその同じ渦のなかでさらに多くのものに出会っていくような、そんな感覚をいだくほどの濃さだった。

舞鶴公園でのイベントでコーヒーを淹れ終わったあと、片付けて走りはじめたときにポツポツと雨が降りだした。頭のまんなかのほうがジンと痺れる感じで、いつものようにこのあとのことは何にも決めていなくて、さあどうしようかとすっかり暗くなった街のはずれで考えた。

もう福岡ではやりきったかな、と感じて次の目的地に向けて走りはじめることにする。なんとなく。そんなに考えることもなく。

夜の国道を糸島までいくつもりだったけれど、途中から雨が強くなってきたのでとりあえず今日は、と橋の下のスペースでテントを張らせてもらった。とにかく疲れていて、昼間にいただいたパンをサッと食べて眠ってしまった気がする。

翌朝起きたとき、雨がサーっと水面を打っていて、少し離れたベンチには小さな犬を連れたおじいさんが座っていて、なんだか静かな朝だった。昨日決めていたとおりに糸島に向かった。ここにはコスタリカで泊めてくださったマウリさんを紹介くださったサッカーチームでコーチを務めるテツさんが住んでいて、彼にひとめでも会ってお礼を伝えたかった。

まだ朝早かったので、もし会えたら、とだけメッセージを打ってあとはなるがままに任せようと雨の中時間を過ごせるファミレスに入った。なんとなく作業をしながら、なにか昨日の夜からモヤモヤひっかかってるんだよなぁと思いながら。そうしたらイメージが落ちてきた。どうしても会いたかった仲間たち。

僕が12年前に自転車旅をはじめたころに出会った福岡の仲間たち。数年前まではときどき何してるかなぁなんて近況をFacebookで見ることもあったのだけれど、最近はやめてしまったのか見ることがなくなってた。その彼に福岡に入るときにメッセージをいれたんだけど、既読になってないからいまはFacebook使ってないのかもな。

けれど仲間のひとりが中古家具屋を数年前からやっていたことを思い出して、ネットで検索したらInstagramのアカウントが出てきた。HIGASHIYA。合ってるかなぁこれかなぁと画面をスクロールしたら懐かしい彼の顔が出てきた。うん、これだ。そのアカウントをフォローしたらすぐにフォローがかえってきて、いまだ!と「覚えてる?マサだよ!」とメッセージを打ったら、あたりまえじゃん!と返事がきた。会いに福岡に戻ろうと店を出た。

雨のなかHIGASHIYAにたどり着いた。僕の大好きなジーエンはあれから少しふっくらして、おっちゃんぽくなって、けどその優しい語り口とおだやかな目はあのときのままだった。

「のりちゃんお帰り!変わってないね〜!野生だね〜!」

そうだった。彼らには「のりちゃん」って呼ばれてたんだった。そういえば尾道にいたときに出会った三重の女の子が、数日前にぼくにメッセージをくれたときに「のりさん」って書いてきてて、あれ?ぼく自分のことまさって言ってるのに不思議だなぁと思ってた。もしかしたらあのメッセージもひとつのサインだったのかなぁ。なんてあとから思う。

「のりちゃんね、タングたちにも連絡したらね、来てくれるって。」

ジーエンのやさしく響く会話の心地よさを感じながら、濡れていた服を着替えてしばらくしたらタングとしのちゃんがやってきた。

しのちゃんに僕が大学生のときに出会ったのだ。マラガという南スペインの町のゲストハウスから僕が夜行列車に乗るために出ようとしていたときに彼女と弟くんは入れ替わりでやってきて、連絡先だけ交換して「日本で会おうね!」と別れた。そして12年前の日本一周で福岡を訪れたときに彼女たちが借りていた部屋に泊めてもらって、そしたらとなりに住んでいたのがジーエンで、1週間くらいだったろうか、ほんとに毎日のように馬鹿みたいに笑って過ごした。

しばらくしたら「のりちゃーん!おかえり!」としのちゃんがタングと子どもを連れてやってきた。よーかえってきたねー!と言ったかと思うと、しのちゃんは店のものを見て、ジーエンこれいいねー!なんて言っている。タングはこれまだあったんや!おれが持って帰るべきなんやろうか?と自分のこと。ジーエンはジーエンで過ごしてる。

このバラバラで、けどみんなが自分のまんまでそこにいてくれること。それぞれが交ざっては、また自分のことをやりだして、けどそれでなにかがポッカリあいてしまうのではなく、そのままで満たされているような、その気持ちを味わったときに自分のなかでなにかが溶けた。

それは12年の年月が溶けたみたいに単純なことではなくて、なにかが戻ってきたような。12年それぞれが過ごしてたんだけど、本質はなんにもそれぞれ変わっていなかったみたいな。そんな存在をそのまま受け入れてもらえたような心地よさがそこにはあった。

そこからまた物語がまわりはじめ、ぼくは北九州でネパールからの仲間と再会ができて、またそこから福岡に戻ってきたときにはHIGASHIYAでまたみんなと誰も気を使わないよい時間を過ごすことができた。

あのとき「しあわせですか?」と聞かれたら僕は幸せですと答えただろう。

じゃあなにが幸せかと聞かれたら、ぼくはこう答える。

「自分が自分のままでいられること」だと。



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