ひとはシステムをまわすために生きるのか。
左手にせまる山はどこか不揃いで、けれどそのまばらで色の濃さの違う緑がかさなりあう姿がかえって自分の心を落ち着ける。山の斜面に並ぶ瓦屋根がどこか懐かしい感じがする。右手に見える島には2基の風車がまわっていて、きっとあの先には祝島があるのだろう。
数年前にSNSで知った山口県・上関町。いつか訪れたいと思っていた場所。patagoniaスタッフから「上関」の言葉が出たときに、ピンとくるものがあって現地の方を紹介いただいた。高島美登里(みどり)さん。透き通った目が印象的な方だ。
上関のはじまりは印象的だった。まだみどりさんに伝えている到着時間まで少しあったので、漁港でのんびり過ごすことにした。灯台から脇道を下がったこの集落には、外部の人はほとんど来ない。漁港でのんびり歩く猫を呼びこもうとがんばっていたら、白い軽が目の前に止まった。こちらに向かってくるのは、若そうなママさんふたり。
「あの!フリーコーヒーってなんですか!?」
「旅をしながらコーヒーを淹れてまわってるんですよ。よかったら飲みます?」
「え!ほんとですか!飲みたい!」
「じゃあやりましょ!」
ちょうど上関へのご挨拶とばかりにはじめたフリーコーヒー。準備をしながらお姉さんたちの「えー!本格的!」「めっちゃオシャレじゃない!?」が素直にびっくりしてはる感じで心地よい。お姉さんたちとお話ししながら約束の9時になったので、みどりさんに「はじめまして!いま漁港でコーヒーを淹れてます!」と電話を入れた。
みどりさんを見たお姉さんは「みどりさんおはようございます!何度かお見かけしてます!」とひと言。「え!?どこに住んでるの!?」と返したみどりさんとお姉さんたちは笑いながらお家の場所や親の名前を言い合ってる。どうやらこのふたりはこの集落で生まれて、いまは隣町に住んでおられるようだ。
フリーコーヒーはさながら女子会になり、お姉さんたちは子ども時代にここで過ごした思い出を語ってくれた。
「この柵はなくてそのまま走って飛び込んでた!」
「あの船のロープのところに、いっつもタツノオトシゴがいたの!それをすくってからさ!」
「いっかいさ!この浜にイワシの大群が押し寄せてさ!おばあがバケツ渡してきて早くすくえ!って言われたっけ!」
聞いてるぼくまでその情景が浮かぶほど、彼女たちの話には新鮮で純粋な思いがたくさん入っていた。
しばらくすると車で寝ていた赤ちゃんが泣いて、赤ちゃんを抱きながらお母さんは「ほんっと可愛くて仕方がない!」と頬をすりあわせていた。
にぎやか姉妹がさよならー!と元気に車で走り去り、みどりさんとみかもとさんに上関を案内していただきながら彼らの思いとここでやってきた活動のお話をうかがった。
ぼくは多くは書かないけれど、彼女ら地域住民とともに、ここに建設が計画されている原発への運動を長年続けてきた。その思いを語るみどりさんからは、憎しみや怒りのような思いは伝わってこない。彼女だって、計画をしている人たちだって、賛成反対で分断されてきたここに住む人たちだって、みんな人間でそれぞれの思いがある。彼女の言葉のひとつひとつは、とてもシンプルだけれど、けれど何か大きなものをかけてきた人にある、何か独特な響きがあった。
それは聞いていると少し空間が生まれるような、ビジョンが見えるような、そんな言葉だ。
彼女たちは、ここにある自然と生態系を残していきたいと調査を続けている。
てっちゃん!てっちゃん!とここを紹介してくれたみんなが口をそろえて言う漁師のてっちゃんの船で、カンムリウミスズメの調査に同行させていただいた。
彼らはこの自然とそこに生きる生きものたちを「自分ごと」としてとらえてる。
巣でたまごを温めているだろうミサゴを見つけたとき、ボートに気づいてか、ミサゴがサッと飛び立った。そこにすかさず狙いをつけてやってきたカラスを追い払うために、巣が空になった。
「ごめんね!どうか無事でありますように。」と何度も祈るように唱えるみどりさんを見たときに、彼女のここでやってきたことを垣間見たような気がした。
僕らが未来に残せるものってなんだろう。
それを考えるには、まずいまここにあるものは僕らのものではないところからはじめてはどうだろうか。
ぼくが訪れたこの土地も、そこで生きる命も、僕らのものではない。それはずっとずっと誰かが「残してきた」借り物のようなものだ。だから、それが無くなってしまったら次の世代には残せない。
何かを得るということは、何かを失うということなのだ。
僕らはシステムをまわすために生まれてきたんだろうか。
僕らは傷つけ合うために生まれてきたんだろうか。
僕らはなんのために生きているのだろうか。
人生って自分のものなのか。それとも誰かのものなのか。
そんなものに明確な答えはない。誰だってこの両側で揺れ動きながら生きているんだと思う。
けれど確かなことは、ひとはひとりでは生きていけないということだ。
ひとを守るのはシステムだろうか。
ひとの暮らしを守るのは、何かを犠牲にしたうえでなのだろうか。
ひとを守ることができるのは、ひとなんじゃないだろうか。
そんな言葉にしたら簡単なことが、いまの僕にはまだまだ難しい。
必要なのは言葉ではない。必要なのは行動なのだ。
ぼくはここで得たものを、また自分に入れて運んでく。
また次にここに来たときに、少しでもお返しできるものが持てるように。
みどりさんたちの取り組みはこちらのpatagoniaのリンクから見られます。
https://www.patagonia.jp/sea-of-miracles.html(動画あり)
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